バタフライ 17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで ユスラ・マルディニ著

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バタフライ 17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで ユスラ・マルディニ著

[レビュアー] 秋山千佳(ジャーナリスト)

◆極限を経た素直なつぶやき

 二〇一六年のリオ五輪、難民選手団の一人として注目を集めたのが、当時十八歳の競泳選手で本書の著者であるユスラ・マルディニだ。そのわずか一年前の彼女は、内戦の続く祖国シリアを逃れ、「プールサイドもないし、底もない」エーゲ海に命がけで飛び込む逃避行の最中にあった。本書ではユスラが等身大の言葉で、自身の歩みを、ひとくくりにされがちな難民の一人の素顔を、綴(つづ)っている。

 二〇一一年にアラブ世界で広がった民主化運動がシリアに及ぶ直前、ユスラはユーチューブを観(み)て、他国の指導者のパロディ映像に笑っていた。ところがまもなく空から爆弾が、死が無差別に降りかかってくるようになる。内戦の激化と反比例するように当初の恐怖心が麻痺(まひ)するユスラだが、練習中のプールに不発弾が着弾した時、「プールに爆弾が落ちてこない国へ行くしかない」と心を決める。

 最大の危機は、おもちゃのようなゴムボートに乗ってのトルコからギリシャへの密航だ。エンジンが停止し、定員超過の重みで沈みかけるボートから、姉のサラが、続いてユスラが大波の中に入る。ボートの舳先(へさき)を修正しながら死と背中合わせの極限状態に置かれる。陸の上でも試練は続く。「難民」として一緒くたにされ、人間扱いされず、時には犯罪者のように警察に追われる。一方でジャーナリストたちとの奇縁が、「伝える」というユスラの後の使命に繋(つな)がっていく。

 SNSを駆使したり、ファストフード店で「ハンバーガー。コーク。Wi-Fi。ああ、天国」とつぶやいたり。「いまは世の中が暗いから、みんなヒーローの出現を期待しているのかもしれないけど、わたしはふつうの女の子だ」という言葉どおり、今どきのティーンエイジャーの身に起こったこととして伝えるからこそ、彼女のこの一貫したメッセージが説得力を持つ。「難民はほかの人たちと同じ人間なのです」

 ユスラは今、来年の東京五輪を目指しているという。彼女のバタフライを見られるだろうか。楽しみだ。
(土屋京子訳、朝日新聞出版 ・ 2052円)

1998年生まれ。シリア出身の競泳選手。リオ五輪に難民選手団の一員としてバタフライ100メートルに出場。

◆もう1冊 

ウェンディ・パールマン著『シリア 震える橋を渡って-人々は語る』(岩波書店)

中日新聞 東京新聞
2019年9月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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