古代の都 なぜ都は動いたのか 吉村武彦・吉川真司・川尻秋生(あきお)編
[レビュアー] 三浦佑之(立正大教授)
◆短い使用期間を裏付け
狭い谷間の明日香の地で、一代ごとに天皇の住まいや政務執行のための宮(みや)を移動させていた六、七世紀のヤマト王権が、八世紀になると宮を中心として貴族や役人その他の人びとが住むための条坊(じょうぼう)を整えた広大な都の造営に動きだす。しかも都は、藤原京にはじまり、平城京、長岡京から平安京に移るという、目まぐるしい変転をみせる。京というのは今でいえば首都にあたるが、その使用期間はあまりに短く、藤原京は十六年、平城京は七十四年(途中で恭仁京(くにきょう)や難波(なにわ)京への遷都がある)、長岡京は十年だ。
平城京の場合は少しは長いが、それでもわれわれの感覚からすると「なぜ移動」と思ってしまう。その疑問に答えるのが本書で、「なぜ都は動いたのか」という副題のもと、それぞれの都の発掘に携わる考古学者らが分担執筆しているだけあって、記述は具体的である。その論述をみると、藤原京は地盤が軟弱すぎて重い瓦屋根を支えられない上に汚水が宮に流入した、旧勢力を排除し新王朝を樹立したい桓武天皇が平城京を放棄した、長岡京は構造的な欠陥のために廃棄されたといった原因が示される。なんとやるせないことよと言うほかはない。
支配者はそれでいいだろうが、都造りに駆り出される人民の負担、引っ越しに翻弄(ほんろう)される下級役人たちの生活をどうしてくれるのだといいたくなる。平城京でいえば、それほど広くもない京域に、五万人あるいはそれ以上の人々が暮らしていたという。本書の意図とはずれようが、いつの時代も権力者の気まぐれと国家の無計画な施策に苦しむ人はいるものだと思わされる。それゆえ、下級役人層が出勤日数にあまりこだわらず、けっこう休んでいたらしいという記述を見つけてほっとした。
発掘に裏付けられた最先端の知見に加えて豊富な図版や丁寧な注もあり、コンパクトでありながら、読みごたえは十分だ。そのぶん専門的な記述もあり範囲も広いので、執筆者ら五人による巻末の座談会を先に読んだ上で本文を読んだほうが、全体像を把握しやすいように思った。
(岩波書店・2808円)
シリーズ「古代史をひらく」の一冊で川尻の責任編集。執筆は市大樹(いちひろき)、馬場基(はじめ)、網伸也(あみのぶや)、李炳鎬(イビョンホ)。
◆もう1冊
吉田歓(かん)著『古代の都はどうつくられたか-中国・日本・朝鮮・渤海』(吉川弘文館)