地方にクラシックホテルが誕生した理由 戦前の日本が打ち出した「観光」という戦略

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東洋と西洋がダイナミックに調和する雲仙観光ホテル

 東京オリンピック・パラリンピックを1年後に控え、インバウンド(訪日外国人旅行者)需要が高まっている。こうした状況を踏まえ、ホテル業界では欧米の富裕層を意識した超高級ホテルや若者をターゲットにした低価格タイプなどさまざまなホテルが開業している。
 実は1940年に開催予定だった幻の東京オリンピック前にも、現在と同じようなホテルの建設ラッシュがあったことをご存じだろうか。
 当時、日本が「観光政策」の柱としたのが、外国人の泊まれるホテルを整備することだった。
 この時に誕生したのが後に昭和を代表するクラシックホテル。その多くはなぜか地方にある。今回はその理由と歴史的背景をノンフィクション作家・山口由美さんの著書『昭和の品格 クラシックホテルの秘密』から一部抜粋、再編集して紹介する。

日本のクラシックホテルが誕生した理由

 日本の観光地は今、多くの外国人観光客であふれ、空前のインバウンドブームになっている。だが、実は戦前、日本が戦争に向かっていた時代にも、インバウンドブームがあった。

 今回のブームが2020年の東京オリンピックが起爆剤になっているように、当時も幻となる1940年の東京オリンピック開催が決まっていたことも共通する。

 観光立国の実現に向けて2008年に観光庁が設置されたように、戦前のインバウンドブームでも、1930年に「国際観光局」が創設された。

 日本の公的機関が「観光」という言葉を使ったのは、これが初めて。日本の「観光」は、まさにこの時、始まったのである。


クラシカルな朝食やディナーを味わえる、川奈ホテルのメインダイニングルーム

 その国際観光局が力をいれたのが外国人の泊まれるホテルを整備することだった。今でこそ外国人は大喜びで寿司や刺身を食べ、畳の部屋に寝るが、戦前、いや戦後も1980年代頃まで、外国人は生魚を嫌い、旅館も好まない人が多かった。それゆえ当時のインバウンド政策は、西洋風のホテル整備と直結していたのだ。

 もちろん昭和初期、大都市や外国人に人気の観光地には、すでにホテルはあったが、地方には外国人が満足できるようなホテルがほとんどなかった。そこで、国際観光局は、外国人観光客が日本を周遊できるように、各地にホテルを整備する為に特別融資を行ったのだ。

 国際観光局の特別融資の対象となったホテルは、1927年にすでに開業していたホテルニューグランドの増改築を除くと、すべて新規開業であり、融資先の地方自治体は九つの県、四つの市、一つの町におよぶ。1933年から1940年にかけて、開業したホテルの数は14軒にのぼった。

 現在も残る魅力的なクラシックホテル、愛知県蒲郡市にある蒲郡クラシックホテル(旧蒲郡ホテル)、静岡県伊東市の川奈ホテル、長崎県雲仙市の雲仙観光ホテル、この3軒はいずれも国際観光局の後押しがなければ開業しなかった。

なぜ昭和初期にインバウンドだったのか


蒲郡クラシックホテルの朝食で提供されるオムレツ

 では、なぜ昭和初期にインバウンドだったのだろうか。

 近年政府が観光産業に力を入れ始めたのは、製造業に代表される日本経済の主役たちの長い低迷を受けてのこと。同じように、昭和初期にも深刻な産業構造の変化があった。明治以降、日本の経済を支えてきた生糸などの輸出が、国際価格の下落で低迷。日本の貿易収支は赤字になり、昭和恐慌へと追い詰められていった。そうした時代背景のなか、輸出に代わり外貨を獲得する政策として、インバウンドに白羽の矢が立ったのだ。

 当時政府が観光に注目したのはいくつかの理由があった。一つめは、鉄道省の官僚などが海外に出向く機会が増え、欧米各国における観光業の状況を見聞きしたことだ。国を支える産業として官僚が「観光」を意識するようになったことの意味は大きい。

 二つめが交通網の整備である。1920年代、スエズ運河経由の海路しかなかった極東とヨーロッパを結ぶルートに、シベリア経由の鉄道が加わった。20年代後半には、国際連絡運輸網が整備され、1枚の切符で東京とヨーロッパが結ばれた。

 そして三つめの理由ははるかに切実だ。昭和初期の日本には、武力による大陸への進出で経済の低迷を打開しようとする動きがあった。国際観光局が創設された翌年の1931年には満州事変、さらに翌年には上海事変が勃発、そして満州国が建国されている。同年5月には、五・一五事件がおき、リベラル派の政治家だった犬養毅が暗殺された。

 今日、「軍部の暴走」と指摘される状況のなか、大陸進出は日本の生命線とされ、批判できる状況ではなかった。そのような状況下においても、せめて日本の美しさを知ってもらい、日本に好ましい感情を抱いてもらおう、という意図が当時のインバウンド政策にはあったのだ。

観光は平和産業

 観光は平和産業である。国と国との間が平和でなければ、観光は成り立たない。

 多くの人がその国を訪れ、良い印象を持てば、その国に対する憎しみではなく、好ましい感情が生まれる。

 一時期、対日感情の悪化が問題になった中国でも、最近の国民感情は抗日・反日一色ではなくなってきた。その根底には、多くの中国人が観光で日本を訪れ、楽しい体験をして、日本を好きになったことが大きい。

 観光は相互理解が深まる有効で平和的な戦略だ。戦前に建てられたクラシックホテルを訪れ、観光による平和を願った人々の思いに触れてみるのはいかがだろうか。

新潮社
2019年10月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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