編集者の夢の話から生まれた小説とは? 作家・吉田修一が創作秘話を語る

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【特集 吉田修一の20年】吉田修一、新潮文庫の自作を語る【後篇】

[文] 新潮社


吉田修一さん

「ちょっと偉そうなことを言わせてもらうと――。」
『悪人』『パレード』『パークライフ』『東京湾景』『長崎乱楽坂』……など、純文学やエンタメの垣根を越えて書き続けてきた作家・吉田修一が、デビュー20年を節目に語る本心と創作の秘密とは?〈自作を語る 後篇〉

【前篇】はこちら
https://www.bookbang.jp/review/article/583243

 ***

『さよなら渓谷』(2008年)

緑豊かな桂川渓谷で起こった幼児殺害事件。実母の立花里美が容疑者に浮かぶや、全国の好奇の視線は人気ない市営住宅に注がれた。そんな中、現場取材を続ける週刊誌記者の渡辺は、里美の隣家に妻と暮らす尾崎俊介が、ある重大事件に関与した事実をつかむ。呪わしい過去が結んだ男女の罪と償いを通して、極限の愛を問う渾身の長編。

――この長篇小説もやはり土地がまずあって……。

吉田 奥多摩ですね。

――同時に、吉田さんの作品歴でこのあたりからいわゆる犯罪小説のカラーが濃厚になってきます。

吉田 これは『悪人』の直後の作品ですよね。『悪人』も『さよなら渓谷』も発想の源には実際の事件があります。『さよなら渓谷』は「週刊新潮」の連載でしたが、記者の佐々木さんが見せてくれた、ある事件の犯人(女性)が逮捕前、メディアスクラムに遭っている写真が強く印象に残ったんです。取材陣はコワモテでガタイのいい男性ばかりで、彼らが彼女をぐるりと囲んでいるのを、ちょっと引いた位置から写した一枚でした。この女性がよっぽど腹が据わっていたとしても、やっぱりこの状況は怖いだろうなと思った。女性が感じるであろう、そんな肉体的な恐怖を書きたかった、というのがまずあった気がします。

――前号で〈人間の生っぽい感じ〉という話がありました。『さよなら渓谷』は酷い犯罪をおかした男と、その被害者だった女の物語です。これも恋愛小説といえば恋愛小説ですが、この時期から、より犯罪のウエイトが重くなっていくのは、生の人間を出しやすいから、なのでしょうか?

吉田 犯罪をおかす時の人間がいちばん魅力があるから、と言ったら変ですかね。言い換えると、その人間が犯罪をおかす時をいちばん見てみたいんですよ。今度の『湖の女たち』もいろんな罪をおかす人たちが出てきますが、なんで僕がこんなに犯罪者に惹かれるのか、ちょっとわかんないです。犯罪自体ではなくて、そこに漂う空気に、懐かしいとも居心地がいいとも違うけど、惹かれるんですよ。

――正確には、犯罪よりも、犯罪によって歪んでしまう人間関係に突っ込んでいかれます。

吉田 『さよなら渓谷』は男女間でしたが、男同士だって、本気と冗談の間で、ふざけて揉み合っているうちに、本当に殺し合いみたいになる瞬間ってありますよね。境目を越えてしまって、関係や感情ががらりと変わる。あの変り目みたいなものを書きたいのかもしれません。

 今になって思い返してみると、さっきの(前号参照)「十年大丈夫」じゃないけど、まず『悪人』をチャレンジとして書いてみて、続けて『さよなら渓谷』が書けた時は、「あ、大丈夫だ、こういうタイプのものを書いていけるな」という自信がつきました。

――「こういうタイプ」というのは?

吉田 もちろん自分が書いているものだから、まったく関係なくはないんだろうけど、ほぼ自分とは関係のない小説。〈他人の物語〉を自分が引き受けられる、ということですかね。まだ『悪人』は、場所にしろ人物にしろ、自分に近いものがあるんですよ。でも『さよなら渓谷』は、二三回温泉に行ったことがあるだけの土地だし、こういう関係ももちろん経験がない。だけど、これを書けたことで、新聞や雑誌で気になった事件を小説にしていくことができるんだ、と思えたんです。

――『さよなら渓谷』も映画化されて、モスクワ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しましたね。

吉田 この映画の時は「ひとりで見ます」とか言わなかったでしょ?(笑) このへんで、セルフプロデュースなんかいくらやってもしょうがないんだ、もうこのまんまでいいやと思えるようになった気がします。いや、もちろんまだ頑張って多少はカッコつけてますけど(笑)。

――『悪人』、『さよなら渓谷』、『横道世之介』(09年)と続いて、もう決まったって感じですよね。吉田さんは一九六八年生まれだから、当時まだ四十歳前後でした。すごい作品歴。

新潮社 波
2019年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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