河東碧梧桐(かわひがしへきごとう) 表現の永続革命 石川九楊(きゅうよう)著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

河東碧梧桐―表現の永続革命

『河東碧梧桐―表現の永続革命』

著者
石川 九楊 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163911007
発売日
2019/09/19
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

河東碧梧桐(かわひがしへきごとう) 表現の永続革命 石川九楊(きゅうよう)著

[レビュアー] 関悦史(俳人)

◆俳句と書に革新起こした人生

 河東碧梧桐は近代俳句史から外し得ないビッグネームでありながら、その作品が現在読まれることは少ない。その落差の激しさでは俳句史上随一の存在ではないか。高浜虚子(たかはまきょし)とならぶ正岡子規(まさおかしき)の高弟であり、新傾向俳句で一時は俳壇を席巻しながら、先鋭的表現に走って自己解体してしまった表現者というあたりが、一般的なイメージだろう。

 本書はその碧梧桐の復権をはかる評伝には違いないが、それだけには到底とどまらない遠大な射程を秘めている。

 碧梧桐は書家として特筆すべき存在であり、中村不折(ふせつ)と「六朝(りくちょう)書」のスタイルを広めるための革新的な書の団体まで作っていた。著者が碧梧桐に惹(ひ)かれたのは、その大胆に歪(ひず)んだ書を通してであったという。「文体の直截(ちょくせつ)的な表現」である書の筆触、運筆の精緻な読解から、その人物像を明らかにしていく手つきはこの著者の独擅場(どくせんじょう)。新傾向から無中心の句へ、さらにあの奇態なルビ付き俳句へと碧梧桐が句境を進めていくにつれ、書のスタイルも変化していく。書と句が身体レベルでひとつらなりになっているというありようが鮮烈に語られていくのである。

 門外漢を自称しながら碧梧桐、虚子他の句に対する著者の文学的評価は峻厳(しゅんげん)で的確。碧梧桐がローマで詠んだ「ミモーザの花」の一連の清冽(せいれつ)で豊かな魅力など、評者は本書で初めて教えられた。ルビ俳句個々の評価まで全て肯定するかはともかく、それらの見え方も確かに違ってくる。

 子規は古今集を貶(けな)し万葉集を称揚したが、この二つは書記体系から異なる。後者は万葉仮名で書かれ、見た目は全部漢字なのだ。石に刻む書体の「六朝書」が万葉にあたるという碧梧桐の認識は適切であり、だから近代化に際しての漢字語復権のなかで碧梧桐は書の革新にも取り組んだというのが著者の展望である。

 碧梧桐復権を目指し、虚子を悪役にした善悪真っ二つに近い史観で語られる本書は、その教条性と引き換えに俳句の概念を根こそぎ揺るがし、埋もれた可能性を幻視させる日本語表現論になっている。

(文芸春秋・2750円)

1945年、福井県生まれ。書家、書道史家。京都精華大客員教授。

◆もう1冊

現代俳句協会青年部編『新興俳句アンソロジー-何が新しかったのか』(ふらんす堂)

中日新聞 東京新聞
2019年10月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク