頑固一徹のマグロ漁を端正な文体で描いた「吉村作品」
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
【前回の文庫双六】冴え渡る筆致の“脱力系”小説――北上次郎
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映画監督としても活躍が期待される足立紳。略歴には相米慎二監督に師事したとある。相米監督が映画化した小説作品はいろいろあるが、なかでもとりわけ撮影が大変だったろうと思われるのが『魚影の群れ』だ。
吉村昭の原作は文庫本で80ページ足らずの中篇。内容は濃密で、ヘミングウェイ『老人と海』にも匹敵する迫力を秘めている。いろいろな監督が映画化をもくろんだと聞く。
舞台は下北半島突端の村。主人公の房次郎はマグロ漁の漁師だ。夜中、餌になるイカをとってからいったん戻り、短時間仮睡するだけで今度はマグロをねらって沖に出る。百キロ超のマグロを力でねじ伏せる重労働なうえ、睡眠不足とも戦わなければならない。なんとも過酷な仕事だ。
しかも今では、マグロの群れを一網打尽にする大型船団が幅をきかせている。だが房次郎は父以来の一本釣り漁法を守りとおす。そんな彼のもとに、弟子入り志願者が現れる。房次郎の一人娘の恋人で、漁師になって房次郎の跡を継ぎたいというのだが、どうなるか。
漁には危険がつきものだが、特に怖いのはマグロがかかった瞬間。釣糸が猛然と引っ張られていくのを、軍手をはめた両手で引っ張り返さなければならない。「釣糸との摩擦で軍手の繊維が焼ける」ほどだ。跳ね出た釣糸が額に巻きついたりしたら、凄惨な事態になる。
吉村昭は端正、澄明な文体の持ち主だ。そんな場面を描くときも乱れはない。一度マグロがかかったら絶対に糸を切らないのを誇りとする房次郎の頑固一徹を、簡潔な文章で描く。
相米監督といえば極度の長回しがトレードマーク。原作のスタイルと真逆とも思える。だがマグロ漁の描写を実写で撮りきろうとする姿勢は尊い。房次郎を緒形拳、娘を夏目雅子が演じた。両者とも下北方言でとおすので聞き取れないくらい。思えば原作のせりふは方言で書かれてはいない。それもまた吉村作品の「整い」の秘密なのだった。