『西への出口』
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娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた英国発“ブレグジット・ノヴェル”
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
二〇一六年六月の国民投票でイギリスのEU離脱(ブレグジット)が決まってから、イギリスでは現代政治・社会の問題を浮き彫りにする小説が多く発表され、「ブレグジット・ノヴェル」と称されている。アリ・スミスの『秋』(未邦訳)がその代表だが、これと同時に二〇一七年度のブッカー賞最終候補に選ばれた本書もまた、ブレグジット・ノヴェルとされることがある。
内戦下にあるイスラム圏の国を脱出し、西へ向かう男女を主人公とする本書では、後半にロンドンが舞台となり、排外主義者からの襲撃など、現代イギリスの情況を移民・難民の立場から証言するような箇所も確かに見られる。しかも、移民・難民がいわゆる先進国へと瞬時に移動できる秘密の扉が世界中に出現した、という架空の設定によって、移民問題はさらに深刻となり、想像力を介して現実の問題が不気味なまでに生々しく描かれている。
しかし本書はイギリスだけを舞台にするものではなく、主人公たちはギリシャのミコノス島やカリフォルニアにも移動する。なかでも興味深いのは、彼らが母国で愛を育む経緯である。イスラム社会の保守的な道徳観と、携帯電話で連絡を取り合い、部屋でドラッグを楽しむ若者との対比や、都会風の街に突如降りかかる暴力と死はステレオタイプを巧みに裏切り、鮮やかな印象を与えている。
さらには、主人公の男女、ロマンティックで家庭的なサイードと現実的で自立したナディアとの性格の違いが、環境の変化のなかで次第に際立っていく様子も丁寧に描写されており、単なるボーイ・ミーツ・ガールものとは一味違う展開が大いに楽しませてくれる。
娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた本書は、グローバル時代の最先端の文学といっても過言ではない。その内容に相応しい、スピード感に溢れる原作の文体は、周到な訳文によって十分に味わうことができる。