毒薬の手帖(てちょう) デボラ・ブラム著
[レビュアー] 石浦章一(同志社大特別客員教授)
◆禁酒法時代、犯跡をたどる苦難
澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)の著作と同じ表題を見ると何か恐ろしいことを想像するが、本書は二十世紀初頭のアメリカを舞台に毒を使った犯罪捜査事件を扱ったノンフィクションで、監察医ノリスと毒物化学者ゲトラーの奮闘記である。章の題名を見ると、クロロホルム、シアン化合物、ヒ素、水銀、タリウムなどと並んでいておどろおどろしいが、ほんの少しの化学知識があれば興味が倍増する物語になっている。
時は、禁酒法が施行される前夜のこと、当然のごとく非合法のメチルアルコールを混ぜた酒が売られるようになった。ご存じのように、私たちが普段飲む酒はエチルアルコールで、体内で代謝されてアセトアルデヒドになり、最終的に二酸化炭素と水に分解される。アセトアルデヒドが二日酔いの原因であり、これを分解できない人が酒に弱い、ということになっている。
ところがメチルアルコールを飲むと、体内で強毒性のホルムアルデヒドとギ酸が作られ、失明するのだ。その後、死亡原因としてメチルアルコールが犯人と特定できるかが問題で、死体からの微量検出の苦労が語られている。私自身は、何とか酒を工面しようとする禁酒法施行前後の人々の動きが興味深かった。
同じ頃、ブルックリンの高級住宅地に建つホテル・マーガレットの別館で、引退した織物商とその妻がバスルームの床で死んでいるのが発見された。遺体の様相は見るも恐ろしく、歯を食いしばり、唇には血で染まった泡、顔色は青く、肌一面に赤い斑点と、即効性の毒(シアン化合物)によるものと推定されたが、鍵が閉められた部屋からは毒は見つからなかった。解剖しても消化器からの毒の摂取の痕跡はなかった。結末は本書を読んでほしいが、ここでも化学者たちの苦難の道が語られる。
米国では禁酒法によって人々は余計に酒を飲むようになったという笑えない歴史がある。メチルアルコールの毒性もそうだが、現在の酒の主成分エチルアルコールの毒性を知ると、お酒の楽しみも吹っ飛びそうだ。
(五十嵐加奈子訳、青土社・2860円)
元新聞記者のサイエンスライター。『なぜサルを殺すのか』でピュリツァー賞。
◆もう1冊
五十君靜信監修『図解でよくわかる毒のきほん』(誠文堂新光社)