東京五輪開催の年に読みたい、数奇な人生の物語

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涼子点景1964

『涼子点景1964』

著者
森谷明子 [著]
出版社
双葉社
ISBN
9784575242430
発売日
2020/01/21
価格
1,760円(税込)

日本が新旧に区切りをつけた1964年 東京五輪開催の年にふさわしい一冊

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 日本はまだ、若々しい国だった。

 森谷明子『涼子点景1964』は、そんな昭和の時代を背景として描かれる、数奇な人生の物語である。

 間もなく第十八回オリンピックが始まろうとしている東京、オリンピック公式会場の国立霞ヶ丘競技場近辺が話の主舞台となる。ある日、小学四年生の曽根健太は、漫画雑誌を万引きした疑いをかけられてしまう。兄の幸一は弟を信じてくれるが身内では証人として認められないのだ。疑いを晴らすため、健太は自分が書店から手ぶらで出てきたことを証言してくれるだろう、同級生の知り合いのお姉さんを捜し始める。

 小野寺涼子という名前の、その少女を軸にして話は進んでいく。章ごとに視点人物が切り替わる叙述形式で、第二章では幸一が主役となる。健太の一件から関心を惹かれた彼は、自分と同じ学年にいたはずの涼子について調べ始める。彼女はいつの間にか転校してしまっており、しかも旧友たちが語る涼子像はちぐはぐで、まともな像を結ばないのだ。やがて幸一の前に現れた涼子は、意外な言葉を彼につきつけてくる。

 話者が交替しながら語られる涼子の物語はどれも断片的で、新しい事実が浮かんできても決定的な手がかりにはならず、かえってそれが少女の実像を覆い隠してしまうように感じられる。だからこそ、そうした細片が寄り集まって一つの図を形作る終章には驚きが生じるのだ。意志強く生きようとした少女の姿がそこでは浮かび上がってくるはずだ。

 背景にはオリンピック前後の狂騒がある。祭典が開催されることにより、日本という国は大きな変貌を遂げた。新旧の区切りとなった変革の時期だったからこそ、その慌ただしさの中に少女の影は紛れ込んでしまったのだろう。描かれる情景の一つひとつに味わいがある。涼子の生きた時代の空気と現在のそれとを重ね合わせて読みたくなる、オリンピック開催年にふさわしい一冊である。

新潮社 週刊新潮
2020年2月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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