[本の森 歴史・時代]『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

荒城に白百合ありて

『荒城に白百合ありて』

著者
須賀, しのぶ, 1972-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041084335
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 歴史・時代]『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ

[レビュアー] 田口幹人(書店人)

 ヨーロッパ史を題材とした名作『革命前夜』や『また、桜の国で』など、抗うことができないうねりが押し寄せる時代の転換期に、人々が何を心の支えとし、どう生きたかを描き続けてきた須賀しのぶ。初めて挑んだ日本の幕末を題材とした物語と聞き、心躍らせて読み進めた。

『荒城に白百合ありて』(KADOKAWA)は、長く続いた江戸という時代が終焉へと向かいつつある動乱の世に翻弄された、男女の「生き方」を描いた物語だった。

 黒船が来航し、開国派と攘夷派が対立し国が揺れていた頃、江戸定詰の会津藩士の長女として生まれ育った青垣鏡子は、幼い頃から生きている実感が持てずに成長した。母からの、「私たちが考えるべきは親のこと、長じては夫のこと、そして我が子のこと。それだけです」という教えに、疑いもせずに従ってきた鏡子という人物像は、これまでの著者の女性像とあまりにも違うので驚いた。きっと、会津という地に生まれ、会津の者として生きねばならなかった人々の苦悩を、与えられた役割を全うしようとする女性の姿を通じて表現したかったのだということが伝わってくる。作中、妻となり、そして母になることで変わっていく感情と、自身しか知りえない胸の内に秘めた冷たい感情が、決して交わることなく描かれていく。

 もう一人の主人公、薩摩藩士の岡元伊織は、昌平坂学問所で学ぶ秀才だが、江戸幕府の権力に衰えとほころびが出始めたころに、国を憂い巻き起こった攘夷論や開国論などを熱く議論する学友らとは違い、一歩引いた立ち位置に身を置いている。薩摩藩士として振る舞いながらも、世の変化に期待も持てず、役割に身を委ねることで、己だけが気付いている無力感を心の奥に押さえ込んでいた。

 そんな二人の恋は、安政の大地震の夜の出会いから始まる。

 岡元伊織は公武合体、さらには倒幕を目指す薩摩の志士として、青垣鏡子は最後まで徳川幕府への忠義を誓った会津婦人の鏡として動乱の幕末期を生き抜いてきた。大義や忠心、理想のために命を懸けた多くの人々を、歴史的事実を織り交ぜながら描いたパートと、最初の出会いを含めて三度しか描かれていない二人の逢瀬と、性別、家柄、地域によって生きていく道や役割が決まっていた幕末という時代における冷たい恋のパートが、絶妙にリンクしていく。

 公武の分裂と対立を未然に防ごうとした公武合体論は、やがて討幕へと繋がっていく。大きな歴史の流れがしっかりと描かれているのだが、青垣鏡子と岡元伊織の心の変遷を随所にちりばめることで、歴史の中から人物を浮かび上がらせるのではなく、人物が歴史を作ってきたことを実感させてくれる。

「体はいらぬ。心もいらぬ」と伊織が思い、実感を求めることがなかった二人の恋の行方は、時代の変わり目の熱量とは対照的に、静かで冷たく美しかった。

新潮社 小説新潮
2020年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク