水中への憧れ――あるカマキリの物語 『えげつない! 寄生生物』

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Case 01  水中への憧れ――あるカマキリの物語

「決して川には近付いたらいけない」

 その教えを僕はこれまでずっと守ってきた。
 僕たちは泳げない種族だから、絶対に川や水辺に近付いたりしちゃいけないんだ。これは僕ら種族の暗黙の掟でもあったし、そもそも、僕がまだ小さいときは水が怖くて川になんて近付こうとも思わなかった。
 だけど、僕の大好物のカゲロウをたくさん捕まえて食べていくうちに、僕の体はどんどん大きくなってきたんだ。そして、水なんていつの間にか怖くなくなってきた。
 むしろ、あの川のキラキラとした水面に、もっと近付いてその中を覗いてみたくてたまらなくなってきてしまったんだ。
 だから、今日は、みんなには内緒で川に一番近い岩の上まで来てしまった。

 あれ? おかしいな。おしりのあたりが少しだけムズムズする。
 いや、そんなことは今はどうでもいい。

 近くで見る川は、なんて美しいのだろう。
 目の前全部が輝く世界でいっぱいになる。
 この光り輝く世界には何かいいものがあるに決まっている。一度だけ、たった一度だけでいいから入って覗いてみたい。

 僕はその欲求が抑えられなくなって、吸い込まれるように川に入ってしまった。

 く、くるしい……さっきまであんなにも美しかった川の中は、ただ冷たく、息さえできない苦しみの世界だった。川の流れに飲み込まれ、薄れていく意識の中で、僕が最後に見たのは、僕のおしりから、ゆっくりと這い出てきた巨大な蛇のようなものだった。

Case 01  カマキリとハリガネムシ

泳げないカマキリが入水自殺!? ハリガネムシの驚くべきマインドコントロール術

 まず、最後に水に飛び込んでしまったカマキリの生涯の一コマを読んでいただきました。

 水の中で泳げないはずのコオロギやカマキリ、カマドウマが川に飛び込んでいく様は、まるで入水自殺です。水に飛び込んだこれらの虫は溺れ死ぬか、魚に食べられるかしか道はありません。それにもかかわらず、なぜ彼らは水に飛び込んでしまうのでしょうか。

 これらの入水自殺する昆虫たちの体内には、宿主の行動を操る寄生者が存在しています。それは「ハリガネムシ」という生物です。「ムシ」という名前はついていますが、昆虫ではなく、非常に単純な形態をした動物で、脚などの突起物はなく、目さえもなく、成体は1本の線でしかありません。まさに黒っぽい針金のような形状をした生物です。

ハリガネムシって針金みたいな虫?

 ハリガネムシ(針金虫)とは類線形動物門ハリガネムシ綱(線形虫綱)ハリガネムシ目に属する生物の総称です。世界には2000種以上いるといわれており、日本では14種が記載されています。

 種類によっては体長数センチから1メートルに達し、表面はクチクラという丈夫な膜で覆われているため乾燥すると針金のように硬くなることからこの「針金虫」という名前がつきました。実際にハリガネムシの動画などを見るとわかりますが、ミミズのようにうねうねとした柔らかい動きはせず、もがいて、のたうち回るような特徴的な動き方をします。

 では、ごく単純な形状のハリガネムシがどのようにしてカマキリなどの昆虫の体内に入り、自分の何倍もの大きさの昆虫を操って入水自殺させるのか、その生涯を少し覗いてみましょう。

ハリガネムシの赤ちゃん誕生

 まず、ハリガネムシが卵を産むところを見ていきます。単純な形状のハリガネムシですが、オスとメスがあり、やはり交尾なくしては産卵できません。交尾は水中でおこなわれます。

 広い川などで、この小さな体のオスとメスが出会う確率は奇跡に近いようにも感じますが、オスとメスが水の中でどのように相手を捜し当てるかは今のところわかっていません。それでも水の中でどうにか交尾相手を探し出します。そして、オスとメスが出会うと、お互いに巻き付き合って、メスは精子を受け取り、受精します。そのあと、卵の塊を大量に水中に産みます。

 その卵は、川の中で1、2カ月かけて細胞分裂を繰り返し、卵の中で小さなイモムシのようになります。そして、卵から出てきたハリガネムシの赤ちゃん(幼生)は、川底で「あること」が起きるのをじっと待っています。何を待っているのでしょう。驚きですが、自分が食べられるのを待っています。カゲロウやユスリカなどの水生昆虫は子どものうちは川の中で生活し、川の有機物を濾こ してエサにしています。そういった昆虫に、運よく食べられるのを待っているのです。

 食べられたハリガネムシの赤ちゃんは、ただエサとして消化されるわけにはいきません。この小さな小さなハリガネムシの赤ちゃんは「武器」を持っています。ノコギリのような、まさに、武器と呼ぶにふさわしいものが体の先端に付いており、しかも、それを出したり引っ込めたりすることができます。

 食べられたハリガネムシの赤ちゃんは、このノコギリを使って水生昆虫の腸管を掘るように進みます。そして、腹の中でちょうどよい場所を見つけると、「シスト」に変身します。

「シスト」とはハリガネムシの休眠最強モードです。イモムシのようだった体を折りたたんで、殻を作り、休眠した状態です。この状態だと、マイナス30℃の極寒でも凍らず、生きることができます。この状態で次は、川から陸に上がる機会を待っているのです。

川での生活から陸の生活へ

 川の中で生活していたカゲロウやユスリカですが、成虫になると羽を持ちます。そして、川から脱出し、陸上生活を始めます。そのお腹の中には、眠っているハリガネムシの赤ちゃんがいます。

 やがて陸上で生活するより大きなカマキリなどの肉食の昆虫が、ハリガネムシの赤ちゃんがお腹の中にいるカゲロウやユスリカを食べます。

 こうしてカマキリの体内に入ったハリガネムシの赤ちゃんは目を覚まします。カマキリの消化管に入り込み、栄養を吸収して数センチから1メートルに大きく、長く成長します。ハリガネムシは体表で養分を吸収するので口を持たず、消化器官もありません。カマキリのお腹の中のハリガネムシはもう小さな赤ちゃんではなく、見た目は立派な針金です。繁殖能力も持つようになります。そうなってしまうと、ハリガネムシはウズウズし始めます。なぜウズウズするのでしょう。人間も同じかもしれませんが、子どもから大人になると異性の相手を見つけたくなるのです。

 しかし、少し前に述べましたが、ハリガネムシの交尾は川の中でしかおこなうことができません。つまり、せっかく、陸にあがったにもかかわらず、結婚相手を見つけるにはもう一度川に戻る必要があります。

 そのために、本来、陸でしか生活しない宿主昆虫をマインドコントロールして川に向かわせるのです。

謀られたカマキリの自殺

 ハリガネムシが寄生しているカマキリなどの陸の昆虫は、川などには決して飛び込んだりしません。しかし、体内にいるハリガネムシは川に戻りたくてたまりません。成熟したハリガネムシに寄生されたカマキリは冒頭のシーンのように、何かに取りつかれたかのごとく、川に近付くと、飛び込んでしまいます。

 その結果、溺れたカマキリのおしりから、大きく成長したハリガネムシがゆっくりとにゅるにゅると這い出てきます。そして、川に戻ったハリガネムシは相手を探して交尾をし、また産卵するのです。

どうやって自殺させているのか
 ハリガネムシが宿主昆虫を水に向かわせることは、かなり昔からわかっていました。しかし、どんな方法で宿主の行動を操っているのかは謎でした。いまだにそのほとんどは謎ですが、2002年にフランスの研究チームがその方法の一部を明らかにすることに成功しました。

 その研究ではY字で分岐する道を作り、出口に水を置いてある道と、出口に水がない道の枝分かれを作っておきます。その道をハリガネムシに寄生されたコオロギと、寄生されていないコオロギを歩かせます。

 そうすると、寄生されているコオロギも、寄生されていないコオロギも、水のある方にもない方にも半々に行きます。つまり、寄生されているからといって水に向かう性質があるわけではないのです。

 しかし、たまたま水がある出口に出てきたところで行動が変化します。寄生されていないコオロギは水がある出口に出たとしても泳げないため、飛び込んだりはせず、ここで止まります。しかし、ハリガネムシに寄生されているコオロギは、水を見るや否やほぼ100パーセント水に飛び込んでしまいます。

 この結果を見た研究者たちは、出口に置かれた水のキラキラした反射にコオロギが反応しているのではないかと予測します。そこで、次に、水は置かずに、単純に光に反応するかという実験もおこなっています。その結果、寄生されたコオロギはその光に反応する行動が見られました。

 

 また、2005年に同じ研究チームはコオロギの脳で発現しているタンパク質を調べています。ハリガネムシに寄生されている個体、寄生されていない個体、寄生されているけれどもまだ行動操作を受けていない個体、寄生されておしりからハリガネムシを出した後の個体などの脳内のタンパク質を比較しました。

 その結果、まさにハリガネムシから行動操作を受けているコオロギの脳内でだけ、特別に発現しているタンパク質がいくつか見つかりました。それらのタンパク質は、神経の異常発達、場所認識、光応答にかかわる行動などに関係するタンパク質と似ていました。

 さらに、それらの寄生されたコオロギの脳内にはハリガネムシが作ったと思われるタンパク質まで含まれていたのです。お腹の中にいる寄生者が脳内の物質まで作り出し、操っていたという驚きの結果です。

 これらの研究から、ハリガネムシは寄生したコオロギの神経発達を混乱させ、光への反応を異常にし、キラキラとした水辺に近づいたら飛び込むように操っているのではないかと考えられています。

川で自殺する昆虫が魚の重要なエサ資源

 ハリガネムシに寄生され、マインドコントロールされることによって川で自殺をする昆虫は日本全国で後を絶ちません。けれども、それらの昆虫はただ無駄死にしているのではなく、川や森の生態系において大切な役割をもっていることが研究によって明らかになりました。

 2011年に発表された研究では、川のまわりをビニールで覆ってハリガネムシに寄生されたカマドウマが飛び込めないようにした区画と、自然なままの区画(入水自殺し放題!?)を2カ月間観察しました。

 その結果、川に生息する川魚が得る総エネルギー量の60パーセント程度が川に飛び込んだカマドウマであることがわかりました。川魚のエサの半分以上は自ら入水した昆虫だったのです。

 一方、カマドウマが飛び込めないようにした区画では、川魚は自殺するカマドウマを食することができないので、川の中の水生昆虫類をたくさん捕食していました。そのため、カマドウマが入水できない河川では、川魚に食べられ水生昆虫が減ります。これらの水生昆虫類のエサは藻類や落葉です。そのため、川の水生昆虫が減ると、その水生昆虫のエサとなるのを逃れた藻類の現存量が2倍に増大していました。同時に、水生昆虫が分解する川の落葉の分解速度は約30パーセント減少していました。

 このように、昆虫の体内で暮らす小さな寄生者であるハリガネムシが、昆虫を操り、川に入水自殺させるだけでなく、河川の生態系にさえ、大きな影響をもたらしていたのです。

「Case 02 宝石バチとの出会い――あるゴキブリの物語」はこちら
「Case 03 洗脳された僕――あるゴキブリのその後」はこちら
「Case 11 受難――あるテントウムシの物語」はこちら

新潮社
2020年3月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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