クルーズ船、デマ拡散……コロナ騒動は70年前に予見されていた 小説『ペスト』試し読み

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 新型コロナウィルスが話題になってから、全国の書店で品切れが続出している本がある。フランスのノーベル文学賞作家、アルベール・カミュ(1913~60)が1947年に発表した名作『ペスト』(宮崎嶺雄:訳)だ。SNSで「武漢の状況を見ると『ペスト』を思い出す」という投稿が激増し、売り上げが急上昇。2月中旬~3月で、3万4000部の増刷を決定した。50年前に邦訳版が刊行された書籍が、ここまで大きな反響を得ることは極めて異例の事態だ。

 作品の舞台は1940年代のアルジェリア・オラン市。高い致死率を持つ伝染病ペストの発生が確認され、感染拡大を防ぐために街が封鎖される。外部と遮断された孤立状態の中で、猛威を振るうペストにより、突如直面する「死」の恐怖、愛する人との別れや、見えない敵と闘う市民を描いた作品だ。

 なぜ、いま『ペスト』が読まれているのか。本文の一部を引用すると、

“徹底的な措置をとらなきゃ、なんのかんのいってるだけじゃだめだって。病疫に対してそれこそ完全な防壁を築くか、さもなきゃ全然なんにもしないのもおんなじだって、いったんです”(p.92より)

“世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる” (p.193より)

 など、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の対応に後れを取り続けた行政や、悪意なくデマ情報を拡散し日用品の品不足を誘発するSNSアカウントなど、本文の描写は、新型コロナウィルスをめぐる現状と予見していたかのように重なりあう。

 感染が拡大し、街に疫病の脅威が襲い掛かる描写はとても70年前に描かれたとは思えない圧巻のリアリティだ。そこで、『ペスト』本文より、街にペスト流行の前兆が描かれた冒頭の一部を公開する。

***アルベール・カミュ・著 / 宮崎嶺雄・訳『ペスト』(新潮文庫)P.11~34より***

 4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出かけようとして、階段口のまんなかで1匹の死んだ鼠(ねずみ)につまずいた。咄嗟に、気にもとめず押しのけて、階段を降りた。しかし、通りまで出て、その鼠が普段いそうもない場所にいたという考えがふと浮び、引っ返して門番に注意した。ミッシェル老人の反発にぶつかって、自分の発見に異様なもののあることが一層はっきり感じられた。

 この死んだ鼠の存在は、彼にはただ奇妙に思われただけであるが、それが門番にとっては、まさに醜聞となるものであった。もっとも、門番の論旨ははっきりしたものであった――この建物には鼠はいないのである。医師が2階の階段口に1匹、しかも多分死んだやつらしいのがいたといくら断言しても、ミッシェル氏の確信はびくともしなかった。この建物には鼠はいない。だからそいつは外からもってきたものに違いない。要するに、いたずらなのだ。

 同じ日の夕方、ベルナール・リウーは、アパートの玄関に立って、自分のところへ上って行く前に部屋の鍵を捜していたが、そのとき、廊下の暗い奥から、足もとのよろよろして、毛のぬれた、大きな鼠が現われるのを見た。鼠は立ち止り、ちょっと体の平均をとろうとする様子だったが、急に医師のほうへ駆け出し、また立ち止り、小さななき声をたてながらきりきり舞いをし、最後に半ば開いた唇から血を吐いて倒れた。医師はいっときその姿を眺めて自分の部屋へ上った。

 彼が考えていたのは鼠のことではなかった。鼠の吐いた血で、自身の心配ごとに引き戻されたのである。1年以来病んでいた彼の妻は、山の療養所へ明日たつことになっていた。帰ってみると、妻は、彼にそういわれたとおり、居間のほうに寝ていた。そうやって、転地の疲労に備えているのであった。彼女はほほ笑んだ。

「とても気分がいいの」と、彼女はいった。

 医師は、枕もとの電燈の明かりのなかで、自分のほうへ向けられた顔を眺めた。リウーにとっては、30になり、病の窶(やつ)れさえありながら、この顔はいつでも若いころのそれであった。おそらく他のすべてを消してしまう、その微笑のためであろう。

「できたら眠るといいな」と、彼はいった。「看護婦は11時に来るから、そうしたら12時の汽車に連れてってあげるよ」

 彼は軽く汗ばんだ額に接吻した。微笑が戸口まで追って来た。

 翌4月17日、8時に、門番は通りかかった医師を引きとめて、悪ふざけをするやつらが廊下の真ん中に死んだ鼠を3匹置いて行ったと訴えた。きっと大きな罠とったものに違いない、なにしろ血だらけだ。門番は鼠の足をぶらさげてしばらく入口の閾(しきい)の上に突っ立ったまま、犯人どもが進んで正体を現わす気になって何か嘲弄の言葉でもあびせかけてきたらと待ち構えていたのだった。だが、一向なんの気配もなかった。

「まったく、やつら」と、ミッシェル氏はいっていた。「最後にゃ、とっつかまえてやるぞ」。何かいわくありそうな気がして、リウーは、患者のうちでいちばん貧しい人たちの住んでいる外郭の地区から往診を始めることにした。塵芥(ごみ)集めがその地区ではずっと遅くなってから行われ、そこの真っすぐなほこりっぽい道を走って行く自動車は、歩道の縁に放置された芥箱(ごみばこ)をすれすれにかすめるのであった。そんなふうにして通って行った1つの通りで、医師は、野菜くずや汚れた襤褸(ぼろ)の上に投げ出された鼠を12匹ぐらい数えた。

 訪ねた最初の病人は、道路に面した寝室と食堂を兼ねた部屋で、床についていた。これは、落ちくぼんでいかつい顔をした、年寄りのイスパニア人であった。彼は自分の前のふとんの上に、豌豆(えんどう)のいっぱい入った鍋を2つ置いていた。医師がはいって行ったとき、ちょうど病人は半ば身を起して、うしろへそり返りながら、喘息病みの老人のごろごろする息づかいを回復しようと試みているところであった。細君が洗面器を持って来た。

「どうですね、先生」と、注射の間に彼はいった。「やつらの出て来るこたあ。見ましたかい」

「そうなんですよ」と、細君はいった。「お隣じゃ3匹も見つけたんですとさ」

 爺さんはもみ手をしながら――

「出て来るのなんのって、芥箱って芥箱にはみんないまさあ。こいつは飢饉ですぜ」

 リウーが、それに引き続いて、その界隈じゅうが鼠のうわさをしていることを確かめるのには、たいして手間はかからなかった。往診が終って、家へ帰って来た。

「あんたに電報が来てますぜ、階上(うえ)に」と、ミッシェル氏がいった。医師は、また鼠を見つけたかと尋ねた。

「見つけるもんかね」と、門番はいった。「こっちは見張ってまさ、ちゃんとね。で、あんちくしょうども、やれないんでさ」

 電報はリウーに母が明日着くことを知らせたものであった。病人の留守中、息子の家の面倒を見に来るのであった。医師が家へはいると、看護婦はもう来ていた。見ると、妻はちゃんと起きて、テイラード・スーツのいでたちに、化粧のあとまで見せていた。彼はそれにほほ笑みかけて――

「ああ、いいな」といった。「とてもいいよ」

 それから間もなく、停車場で、彼女を寝台車に乗り込ませた。彼女は車室を見まわした。

「たいした料金なんでしょう、あたしたちの身分じゃ。そうじゃない?」

「必要なことだもの」と、リウーはいった。

「いったいどういうんですの、今度の鼠騒ぎは」

「わからない。まったく奇妙だ。だが、そのうち済んじまうだろう」

 それから、彼はひどく口早に、彼女に向って、どうか許してくれるように、ちゃんと気をつけてやるべきだったのに、ずいぶんほったらかしにしていてと、いった。彼女は、なんにもいわないでというように、首を振っていた。しかし、彼は付け加えた――

「何もかもよくなるよ、今度帰って来たら。お互いにまたもう一度やり直すさ」

「ほんとよ」と、目を輝かせながら彼女はいった。「やり直しましょうね」

 それから間もなく、彼女は彼に背を向け、窓ガラスの外を眺めていた。ホームの上では、人々が急ぎ合い、ぶつかり合っていた。機関車のシュッシュッという音が彼らのところまで聞えてきた。彼は妻の呼び名を呼んだが、振り向いたのを見ると、その顔は涙におおわれていた。

「だめだなあ」と、やさしく彼はいった。

 涙の陰から、やや引きつったように、またほほ笑みが浮んできた。彼女は大きく息をついた。

「行っておいで。万事うまく行くよ」

 彼は彼女を抱きしめ、そして今はもうホームに立って、窓ガラスの向う側に、ただ彼女のほほ笑みを見るばかりであった。

「くれぐれも体に気をつけてね」と、彼はいった。

 しかし、彼女には、それは聞えなかった。

 出口に近く、駅のホームで、リウーは予審判事のオトン氏が小さい男の子の手を引いているのにぶつかった。医師は、彼に旅行に出かけるのかと尋ねた。長身黒髪のオトン氏は、半ばはかつて社交界の人士と呼ばれたものに似、半ばは葬儀人夫に似た風采であったが、愛想のいい、しかしぶっきらぼうな声で、こう答えた。

「家内を待ってるんです。私の実家にご機嫌うかがいに行ってましたので」

 機関車の汽笛が鳴った。

「鼠が……」と、判事がいった。

 リウーは汽車の方角へちょっと身を動かしたが、また出口のほうへ向き直った。

「ええ」と、彼はいった。「なに、なんでもありませんよ」

 この瞬間について記憶に残ったことといえば、死んだ鼠のいっぱい入った箱を小脇にかかえた1人の駅員が通ったということだけであった。

 17時に、医師がまた往診に出かけようとすると、階段の途中で、がっしりと彫りの深い顔に濃い眉毛を一文字に引いた、姿全体に重々しさのある、まだ若い男とすれ違った。その男には、時おり、このアパートの最上階に住んでいるイスパニア人の舞踊師たちのところで出会ったことがあった。

 ジャン・タルーは、しきりにたばこをふかしながら、足もとの階段の上で死にかけている1匹の鼠の最後の痙攣を眺めていた。彼は医師のほうへ、その灰色の眼の、落ち着いた、やや見すえるような視線をあげ、挨拶の言葉をいい、そしてこの鼠どもの出現は興味あることがらだと付け加えた。

「ええ」と、リウーはいった。「しかし、こうなると、もう小うるさくなってきますよ」

「ある意味ではね。ある意味でだけですよ。つまり、こんなことは見たことがないっていうだけのことです。しかし、僕はこれを興味あること、まったく、実際に興味あることだと思ってるんです」

 タルーは髪の毛をうしろにかきあげ、今はもう動かなくなった鼠を再びながめ、それからリウーにほほ笑みかけた――

「しかし、要するにですな、こいつは何よりも門番の問題というわけです」

 ちょうどその門番を医師はアパートの前で見かけたが、入口のそばの壁にもたれて、いつもは血色のいいあから顔に、ちょっとぐったりしたような表情を浮べていた。

「ああ、知ってまさ」と、ミッシェル老人は、新たな発見を知らせたリウーにいった。「なにしろ2匹だの3匹だのって見つかるんだからね、今じゃ。だが、こいつはほかのアパートでもおんなじなんでさ」

 彼の様子はいかにも打ちのめされたように、気づかわしげであった。機械的な動作でしきりに首をこすっていた。リウーは、体具合はどうかと尋ねた。門番は、体具合が悪いとは、もちろんいえなかった。ただ、どうも調子が十分でない。彼の意見では、つまり精神的なものが作用しているのだ。あの鼠どものために衝撃(ショック)を受けたわけで、やつらが姿を消してしまえば万事ずっと順調になるだろう。

 しかし翌4月18日の朝、駅から母を迎えて来た医師は、ミッシェル氏がまた一層しなびた顔つきをしているのを見た。地下室から屋根裏まで、10匹もの鼠が階段に散乱していたのである。近所の家々の芥箱は鼠でいっぱいだった。医師の母親はその話を聞いても別に驚かなかった。

「いろんなことがあるものですよ」

 黒いやさしい目をした、銀髪の、小柄な婦人であった。

「あたしはうれしいの、ベルナール、またお前の顔が見られて」と彼女はいった。「鼠だってなんだって、それをどうすることもできやしないさ」

 彼もその言葉にうなずいた。そういえば、まったく、彼女の手にかかると、すべてがいつでも造作のないことに見えるのであった。

 リウーは、それでも、そこの課長を知っている市の鼠害(そがい)対策課へ電話をかけた。課長は、大量に巣外へ出て来て死ぬ鼠どものうわさを聞いているだろうか? 課長のメルシエは、そのうわさを聞いていたし、河岸(かし)から遠くないところにある彼の役所でも、それが50匹ぐらい発見されていた。彼は、しかしながら、それが果してまともに考慮すべき事件かどうか迷っていた。リウーもその点はなんともいえなかったが、しかし鼠害対策課が乗り出すべきだと考えていた。

「うん、命令さえあればね」と、メルシエはいった。「君がもしそうするだけのことがあると思うんなら、ひとつ、命令を出してもらうようにやってみてもいいんだが」

「そりゃ、やればやるだけのことはあるさ、いつだって」と、リウーはいった。

 家政婦が今しがた伝えたところによると、彼女の夫の働いている大工場では、死んだ鼠が何百匹となく拾い集められたという。いずれにしても、ほぼこの時期において、わが市民は不安になり始めたのであった。

新潮社
2020年3月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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