この18日の日から、工場や倉庫は事実幾百という鼠の死骸を吐き出したのである。ある場合など、断末魔の長すぎるやつは手をくだして殺すことを余儀なくされた。しかも、外郭地区から市の中心に至るまで、およそ医師リウーの通りかかるところ、市民の集まるところには、至るところ山をなして芥箱(ごみばこ)の中に、もしくは長い列をなして溝の中に、鼠が待ち受けていた。
夕刊紙はさっそくこの日から事件をとりあげて、市庁は果して動き出すつもりかどうか、また、この不快な襲来から治下の市民を守るために果していかなる緊急措置を検討したかを問題にした。
市庁はまだ何をするつもりもなく、なんら検討もしていなかったが、そのかわり、まず会議に集まって評定することから始めた。毎朝、明けがたに、死んだ鼠を拾集するよう鼠害対策課に命令が発せられた。拾集が終ると、課の車2台がその鼠を塵埃焼却場へ運んで焼き捨てることになっていた。
しかし、続く数日において事態はさらに悪化した。拾い集められる齧歯獣の数は増加する一方で収穫は朝ごとにますますおびただしかった。
4日目からは、鼠は外へ出て群れをなして死にはじめた。隠れ家から、地下室から、穴倉から、下水から、よろめく長い列をなして上って来て、明るい光線のなかでひょろつき、きりきり舞いをし、そして人間どものそばで死んで行くのであった。夜は、廊下や路地に、その断末魔の小さななき声が、はっきり聞えた。朝になると、町はずれのほうでは、溝いっぱいに並んで、とがった鼻面に小さな血の泡をくっつけ、あるものはふくれ上って腐りかけ、あるものは、まだひげをぴんとさせたまま硬直しているのが見出された。
市中でさえも、階段口や中庭に、小さな山をなしているのに出くわした。また、官公庁の広間や、学校の雨天体操場や、カフェのテラスに、時々はぽつんと死んでいることもあった。市民の度胆を抜くように、それは町の最も雑踏する場所にも発見された。閲兵広場や、並木通りや、臨海遊歩場も、おりおり汚された。明けがた、死んだ鼠を一掃した町は、その日のうちに、次第にまたますます多数の鼠を見出すようになるのであった。歩道の上で、夜の散歩者がまだ新しい死骸の弾力あるかたまりを足下に感じたりすることも、一再ならず起った。
さながら、われわれの家の建っている大地そのものが、うちにたまっていた膿汁(うみ)を出しきって、それまで内部をむしばんでいた癤瘡(ねぶと)や血膿を地面に流れ出させたとでもいうようであった。これまで実に平穏であり、それが数日にして一変させられたこの小都市の、あたかも壮健な男の濃厚な血が突如として変調を起したような、その仰天ぶりを考えてもみていただきたい。
事態はついに報知(情報、資料提供、ありとあらゆる問題に関するいっさいの情報)通信社が、その無料提供情報のラジオ放送において、25日の1日だけで6231匹の鼠が拾集され焼き捨てられたと報ずるに至った。この数字は、市が眼前に見ている毎日の光景に1個の明瞭な意味を与えるものであり、これがさらに混乱を増大させた。
それまでのところ、人々は少々気持ちの悪い出来事としてこぼしていただけであった。今や、人々は、まだその全容を明確にすることも、原因をつきとめることもできぬこの現象が、何かしら由々しいものをはらんでいることに気づいたのである。
ひとり、例のイスパニア人の喘息(ぜんそく)もちの爺さんだけが、相変らずもみ手をしながら、「出て来るわ、出て来るわ」と、年寄りらしい喜びをもって繰り返していた。
とかくするうち、4月28日には報知通信社は約8000匹の鼠が拾集されたことを報じ、市中の不安は頂点に達した。人々は根本的な対策を要求し、当局を非難し、海岸に家をもっている人々のうちには早くもそっちへ引きあげる話まで言いだすものもあった。
ところが、翌日、通信社はこの現象がぱったりとやみ、鼠害対策課は問題とするに足りぬ数量の鼠の死骸を拾集したにすぎなかったと報じた。市中はほっとした。
しかもその同じ日の正午、医師リウーは、アパートの前に車をとめると、街路のはずれに、門番が、首をうなだれ、両手両足を広げ、あやつり人形のような格好で、難儀そうに歩いて来るのを見たのである。老人は1人の司祭の腕につかまっていたが、その司祭は医師も知っている顔であった。パヌルー神父という博学かつ戦闘的なイエズス会士で、彼も時々会ったことがあり、市では宗教上のことに無関心な人々の間にさえなかなか尊敬されていた。
医師は2人を待った。ミッシェル老人は眼をぎらぎらさせ、せいせい息をきらしていた。どうも体の調子がよくなかったので、外の空気に当ってみようと思った。ところが、首と腋の下と鼠蹊部に激しい疼痛(とうつう)が起って、引き返さねばならなくなり、そしてパヌルー神父の助けを乞わなければならなかった。
「どうも腫物(できもの)だね」と、彼はいった。「えらく骨が折れたよ」
車の戸口から腕を出して、医師はミッシェルの差し出す首の付け根のあたりを指でさぐった。一種の木の節くれのようなものが、そこにできていた。
「寝て、熱をはかっといてください。今日、午後から来てみます」
門番が行ってしまうと、リウーはパヌルー神父に、例の鼠の騒ぎについてどう考えているか尋ねた。
「なに」と神父はいった。「きっと流行病でしょう」、そういって、彼の眼は丸い眼鏡の陰で微笑した。
夕刊の呼び売りは鼠の襲来が停止したと報じていた。しかし、リウーが行ってみると、病人は半ば寝台の外に乗り出して、片手を腹に、もう一方の手を首のまわりに当て、ひどくしゃくり上げながら、薔薇色がかった液汁を汚物溜めのなかに吐いていた。
しばらく苦しみ続けたあげく、あえぎあえぎ、門番はまた床についた。熱は39度5分で、頸部のリンパ腺と四肢が腫脹(しゅちょう)し、脇腹に黒っぽい斑点が2つ広がりかけていた。彼は今では内部の痛みを訴えていた。
「焼けつくようだ」と、彼はいっていた。「こんちくしょう、ひどく痛みゃがって」
黒ずんだ口のなかで言葉はくぐもりがちに、目玉の飛び出た目を医師のほうに向けていたが、その目には頭痛のために涙が浮んでいた。女房は、じっと黙りこんでいるリウーを不安に堪えぬ様子でながめていた。
「先生」と、女房はいった。「いったい、なんでしょう、これは」
「さあ、いろんなふうに考えられるんでね。しかし、まだなんにも確かな兆候はない。晩まで、絶食と浄血剤だ。うんと飲みものをとるようにしなさい」
ちょうど、門番はのどがかわいてたまらないところだった。
家に帰ると、リウーは同業のリシャールという、市内で最も有力な医者の1人に電話をかけた。
「いや」と、リシャールはいった。「べつに、とくべつ変ったことは目につかなかったが」
「局部的な炎症を伴った熱っていうようなものは、なかったですか」
「そうだ、あったよ、そういえば。2件ばかり、リンパ腺につよい炎症が来ててね」
「異常にですか」
「さあね」と、リシャールはいった。「普通っていうと、なにしろ……」
いずれにしても、その晩、門番はうわごとをいいはじめ、40度の熱を出しながら、鼠のことを口走った。リウーは膿瘍(のうよう)固定を試みた。テレビン油のしみる痛みに、門番はうなった――「ああ、畜生!」
リンパ腺はさらに大きくなり、さわってみると堅く木のようになっていた。門番の女房はおろおろしていた。
「ずっとついててあげなさい」と、医師は女房にいった。「それで、呼んでください、もし何かあったら」
翌4月30日は、もうなま温かい微風が、青くしっとりした空に吹いていた。風は花の香を運んで、郊外のずっと遠くのほうからもそれが漂って来た。街々の朝の物音はふだんより一層生きいきと楽しげに聞えた。1週間を暮してきた暗黙の懸念から解放されて、この小都市の町じゅう、この日はおよそ一陽来復の1日であった。
リウー自身も、妻から手紙があったのでまず安心して、軽快な気持ちで門番のところへ降りて行った。そして、事実、朝になって熱は38度に下っていた。衰弱して、病人は床のなかでほほえんでいた……
「だいぶいいようだけど、どうでしょう、先生」と、女房はいった。
「まあ、もう少し様子をみないと」
ところが、正午になると、熱は一挙に40度に上り、病人は間断なく譫言(うわごと)をいい、吐き気がまた始まった。頸部のリンパ腺は触れると痛そうで、門番は頭をできるだけ体から遠くに離していようとでもしているようだった。女房は寝台の足もとに腰掛けて、両手でふとんの上から、そっと病人の足を押えていた。女房はリウーの顔を見守っていた。
「どうもこいつは」と、リウーはいった。「こいつは隔離して、まったく特別な手当てをやってみる必要があるな。病院に電話をかけるから、救急車で連れて行こう」
2時間の後、救急車のなかで、医師と女房とは病人の顔をのぞき込んでいた。いちめん菌状のぶつぶつでおおわれた口から、きれぎれの言葉がもれていた――「鼠のやつ!」と、病人はいっていた。土気色になり、唇は蝋(ろう)のように、まぶたは鉛色に、息はきれぎれに短く、リンパ腺に肉を引き裂かれ、寝床の奥にちぢこまって、まるでその寝床を体の上へ折りたたもうとするかのように、もしくはまた、地の底から来る何ものかに一瞬の休みもなく呼びたてられているかのように、門番は目に見えぬ重圧のもとにあえいでいた。女房は泣いていた。
「もう望みはないんでしょうか、先生」
「死んでしまった」と、リウーはいった。
その後、『ペスト』では同様の熱病者が続出し、次々と罪なき市民が命を失っていく。感染拡大を防ぐために街は外部と遮断され、封鎖状態に。行政は対応に後れを取り続け、ペストの脅威は拡大の一途をたどっていく……。
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