『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』
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不完全だから愛しくなる。冴えた語りの短編集
[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)
なぜ自分はこんな行動に出てしまったのか。それが自分でもつかめないことが、たぶん誰にでもある。同時に、いま自分が思いがけない地点にいることがそう不思議でもなく、それが運命だったかのように感じてしまうことも。各編の主人公たちは、そんなふうに人生のかみ合わなさを感じながらも、後悔や羞恥(しゅうち)にまみれた「いま」を受容し、語り出す。
表題作を始め、どれも語りが魅力的なのだが、特に、四話めの「私を嫌悪することになるパク・チャンスへ」と五話めの「ずっと前に、キム・スッキは」という対になった物語は印象的だ。事故死として処理されていた“夫殺し”を、時効三ヶ月前になって突如自首してきた四十二歳のキム・スッキ。パク・チャンスは、スッキと同棲している恋人だ。スッキの視点の〈供述書〉として語られる四話めと、彼女の元愛人チョン・ジェミンが十五年ぶりに取り調べを受ける五話めによって、埋もれていた事実と大それた犯行の理由を掘り起こす。締めくくりに置かれているのは「あとがき」。だが、実はこれも歴(れっき)とした作品。一話めと同じイ・ギホという名前の、大学教授が、自分が起こした交通事故と補償をめぐる泣き笑いを語る。ウィットの効いた仕掛けが見事だ。
どの物語でも、裁かれようが裁かれまいが、おのれの罪を自覚する者がいる一方で、鈍感さやあるいは善意で、人を傷つけておきながら、気づくことも罰せられることもない者もいる理不尽。両者を分けるものは何かという難問を、読者の前にそっと置く。
著者はデビュー二十周年を超える韓国文学の旗手だが、まとまった邦訳は本書が初めて。社会問題を忍ばせながら、首肯したくなる心理の揺れをていねいに描く。それでいて深刻すぎず、読みやすくてユーモアもにじませる力量を存分に味わえる一冊だ。