森村誠一渾身の長編ミステリ。リタイア後の男達が己の正義を貫き謎の黒服と財政界の闇に迫る『深海の寓話』

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深海の寓話

『深海の寓話』

著者
森村 誠一 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041090169
発売日
2020/01/23
価格
748円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

森村誠一渾身の長編ミステリ。リタイア後の男達が己の正義を貫き謎の黒服と財政界の闇に迫る『深海の寓話』

[レビュアー] 山前譲(推理小説研究家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:山前 譲 / 推理小説研究家)

 日本人の寿命は世界的にトップクラスを維持している。だが、それだけに人生設計も難しくなっていると言える。たとえばサラリーマンが定年退職した後、何年生きることになるのか。少子高齢化が年金制度への不安を募らせている。健康で文化的な最低限度の生活を営むためには、いったいどれだけの資金を蓄えておけばいいのだろうか。

 森村誠一氏はエッセイ「可能性の狩人」(『人生の究極』収録)などで、人生を大きく三つに区分している。第一期は「仕込み(学生)時代」、第二期は「現役」、第三期は「余生(リタイア後)」だ。

 第一期と第二期はまだ将来への希望と夢を抱いて、気力も充実しているに違いない。夢に描いた世界で働くことができなかったり、いわゆるブラック企業に身を置くことになってしまうこともあるかもしれないが、挫折から這い上がる可能性はある。だが、第三期となると、残された時間をどう生きていくかを常に意識しなければならない。

 一方で第三期になって得ることのできるのが自由だ。〝第三期にはなにをしてもよい自由と、なにをしなくてもよい自由がある。そして、自由ということが大変な生き方であることに気がつく〟のだが、そこにじつは大きな可能性があるのだとも森村氏は「可能性の狩人」で指摘している。

「小説 野性時代」に連載(二〇一六年一月号~二〇一七年三月号)された後、二〇一七年六月にKADOKAWAより刊行された本書『深海の寓話』の主人公である鯨井義信は、その自由に戸惑い、そして可能性になかなか気付くことができなかった。

森村誠一『深海の寓話』(角川文庫)
森村誠一『深海の寓話』(角川文庫)

 鯨井は元警察官で、刑事畑一筋で定年を迎えた。警備会社への再就職の誘いもあったが、自由な時間を選択する。ただ、刑事時代とはまったく正反対である自由の無限性と、海のように膨大な時間の使い方に、途方に暮れるのだった。最初は朝寝を満喫したが、何日も経たないうちに現役時代の睡眠不足は解消され、朝寝坊が退屈になる。早朝の散歩もせいぜい三十分だ。図書館は時間を有効に使えるスペースだったが、その静謐な空間が高圧となって鯨井を締め付ける。

 ようやく見付けたのが、環状線の電車である。図書館から借り出した本を読み、季節の移ろいを感じる車窓の風景を愛で、途中下車して食事をする。しだいに環状線の自由に嵌まり込んだ鯨井は、やがて同じように自由を満喫している常連に気付く。会釈を交わす程度の関係でしかなかったが、それもまたほどよい距離感だった。

 そんな環状線で事件(?)が起こった。二十代半ばの都会的な女性が、四人の黒服集団に包囲されていたのだ。刑事の嗅覚が危険を察知した。鯨井が女性を助けようと思うと、そこに意外な応援が加わる。ほぼ同年代の環状線の常連だった。鯨井が女性に声をかけたことで、黒服集団は電車を降りていく。その女性は新米弁護士だという。何かトラブルを? 環状線の常連たちは、クライアントへ向かう途中まで、彼女を目立たぬようにエスコートするのだった。

 この出来事をきっかけにして、リタイア後の自由を持て余していた男たち六人が集う。そして、渋谷の昔ながらの一膳飯屋「メシア(救世主)」を拠点として、大都会の深海に潜むさまざまな悪と対峙していく……。

 棟居刑事や牛尾刑事のシリーズも警察組織のなかでのチームプレイだが、多彩なメンバーによるチームプレイも森村作品で描かれてきた。

 その嚆矢と言えるのは一九八〇年に刊行された『致死連盟』だろう。埼玉県相武市衛生課の清掃課員に応募するも採用されなかった中高年四人組の目に留まったのは、ガードマン募集のチラシである。そして初めて与えられた業務は、秩父の山奥の山荘に籠っている、元ヤクザの組長だという老人とその孫娘の警備だった。対立するヤクザの襲撃を、四人組がさまざまなアイデアを駆使して迎え撃つ姿が痛快である。

「星シリーズ」とでも言える『星の陣』(一九八九)、『星の旗』(一九九四)、『星の町』(一九九五 文庫で『流星の降る町』と改題)の三長編は、高齢化社会を先取りしたかのような老人の大活躍だ。

『星の陣』は、暴力団に家族を葬られ、心の恋人を殺害されてしまった旗本良介が、秩父の山中に隠されていた旧陸軍の武器を手に復讐していく。その旗本のもとに集まっているのは中隊長時代の部下だ。銀の戦士【シルバー・ウォリアーズ】と呼ばれる彼らが、各々の戦闘技術をフルに発揮して巨大な敵に立ち向かっていく。

『星の旗』の中心にいるのは元特攻隊員の木島一郎である。暴力団の餌食となって娘一家が心中し、初めて愛した女性に生き写しの女性までもが毒牙にかかってしまう。木島はかつての戦友と平成天誅組を結成し、暴力団と悪行を重ねる権力者に立ち向かう。

 そして『星の町』は、風光明媚な町を組の「首都」にしようとする暴力団が相手である。引退した泥棒、元軍人、射撃の上手な元SPら男女七人の徹底抗戦は、その特技を生かしたさまざまな奇策が痛快だった。

 本書『深海の寓話』のグループも多士済々と言えるだろう。ある官庁の大規模な構造汚職の発覚の切っかけを作った北風、遠祖が伊賀の忍者で商社マンとして世界を股にかけた忍足、スタントマン出身の笛吹、カメラマンとして世界の戦場を駆け歩いた万葉、元新聞記者の井草──いずれも現役を定年で、あるいは自主的に退職することによって得た自由を持て余し、環状線の常連となっていたのである。

 そんな彼らが、女性弁護士に迫った危機を端緒として、日本社会のさまざまな歪みを反映した事件を解決していく。そこには自身の特技やかつての人脈が生かされている。第一期や第二期の人生は、第三期のスプリングボードだったのかもしれない。

 鯨井らの活躍の背景には、森村氏ならではの現代社会の闇に向けられた鋭い視線がある。それが森村作品の大きな魅力となってきたのは言うまでもない。

『犯罪同盟』(二〇〇一)での頻発する身寄りのない孤独な男女の失踪事件は、『深海の寓話』の事件と共通するところがあるだろう。都会の片隅にあるスナックの常連四人が、その事件に敢然と立ち向かい、政財界を巻き込んだ巨悪に迫っていく。

 人生の敗者復活戦だという『名誉の条件』(二〇〇一)は、勤務先が倒産してしまった商社マンが、亡き盟友が残した暴力団更生会社の社長に転身している。その社長のもとに商社時代の仲間や元刑事らが集う。そして政権与党の疑惑を暴いていく。

 スキーバスのダム転落事故から奇跡的に生還した四人の男女が、八ヶ岳の山荘で共同生活を始めているのが『誉生の証明』(二〇〇三)だ。犠牲者の妹も迎え、名誉ある余生を送ろうとしたのだが、近隣に新興宗教団体の施設が建設され、立ち退きを要求されたことから、平穏な日常が崩壊してしまう。やはり暴力団や政治家の闇が描かれていた。

『野性の条件』(二〇〇六)では、借金地獄やストーカー被害などで苦しむ人々を救う組織である、「アネックス」に惹かれるに違いない。女神のような女性のもとに、窓際族のサラリーマン、作家志望の大学生、無資格の医者、長距離便の運転手、反戦自衛官、国際的なクライマー、芸者、キャバクラのホステス、鍵職人、パイロットなどが集う。そして、独裁国からの亡命少女を匿ったことで、それぞれが秘めていた野性が覚醒していくのだった。

 グループとして互いに補完することでより強力となった力が、社会の暗部を暴いていく作品だが、そこには画一的な人物はいない。さまざまな葛藤のはてに、自身のアイデンティティを求める人たちがいる。この『深海の寓話』の鯨井らも同じだ。個々のスキルを生かし、悪をターゲットにしてひとつの方向に向かって進んでいくのだが、そこにはやはりメンバーそれぞれの過去が反映された思いも託されている。

 そんな鯨井たちの視線の先にあるのはやはり「深海」だ。深海とは一般的に水深二百メートル以上の海域を指すそうだが、高圧で、低温で、そしてもちろん暗黒の世界である。だが、そんな深海にもさまざまな生物が棲息し、最近の知見では不協和音が響き渡っているという。それは社会の深海に蠢いている現代人の叫びと重奏しているようだ。

 深海のイメージに導かれた森村作品もあった。『深海の迷路』(一九八九)の錯綜する犯罪、短編集『深海の夜景』(二〇一三)の大都会で居場所を見失った人たち、さらには『深海の人魚』(二〇一四)での渋谷のクラブ「ステンドグラス」に集う大物たち……もちろん『深海の寓話』もそうである。

 そして本書のもっとも重要なキーワードは「余生」=「誉生」だ。会社などの社会的なしがらみから解放されたあとの人生は、すなわち第三期は余った人生ではない。それは人生の総決算が行われる時間であり、かつ誉れある生でなくてはいけないのである。鯨井たちは誉生をこの物語のなかで確実に手にしているのだ。

▼森村誠一『深海の寓話』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000283/

KADOKAWA カドブン
2020年4月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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