小津(おづ)安二郎の俳句 松岡ひでたか著
[レビュアー] 関悦史(俳人)
◆玉と石をよりわけ鑑賞
映画監督小津安二郎は少なくとも三十代から先、日常的に俳句を作り、スタッフと連句も楽しんでいた。ただしそれらは句集にまとめられてはいない。『全日記 小津安二郎』(フィルムアート社、一九九三年)のなかに短歌、川柳とともに混在しているのである(ほかに徴集・抑留されていた時期の手帖(てちょう)に三十八句が収録されている)。
本書はそこから俳句を拾いあつめ、年代順に鑑賞をほどこしたもの。これで小津安二郎の俳句が通覧できることになった。小津の人生のダイジェストという趣も自然に帯びる。著者が集め得た二百二十三句は巻末にまとめて収録されている。句集一冊分になる句数である。
句の出来は玉石混交。小津自身も自覚していたようで、例えば<小田原は灯りそめをり夕ごゝろ>なる句など「この句はあまりに不味(まず)い」と本人から評され、著者もそれを追認している。季重なり、「や」と「かな」の併用といった悪手も少なくない。
一方<〓(こおろぎ)やとなりは壁に釘(くぎ)をうつ><鯛(たい)の骨のどに立てたる夜長哉(かな)><黒飴(あめ)もひとかたまりの暑さかな>といった佳句もあり、玉と石をよりわけてその読みどころを示していく著者の手際は堅実で的確。
小津映画の技法や様式と俳句との関わりにはさほど踏み込まず禁欲的だが、例外的な箇所もある。戦地で食欲に苛(さいな)まれた小津の述懐「僕の芸術上の潔癖もまた何時か案外簡単にくずれるのかも知れない」から、著者は「麦秋」「東京物語」などの沈黙(余白)の美しさは、この認識によって生じた謙虚さの反映であるとの見方を引き出すのである。単純過ぎる読み筋にも見えるが、考えてみれば小津映画の題名が「早春」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚(さんま)の味」と季語だらけになっていくのは確かに戦後のことである。小津における映画と俳句の関わりの、ひとつの急所に触れた着眼ではあるのかもしれない。
本書はもともと二〇一二年、小津の五十回忌にあわせて私家版で刊行されたもの。それが図書館で編集者の目にとまり、異例の復刊となった。
(河出書房新社・2640円)
1949年生まれ。俳人、俳句研究者、僧侶。著書『竹久夢二の俳句』など。
◆もう1冊
文藝別冊『小津安二郎<増補新版>永遠の映画』(河出書房新社)。俳句も収録。
※〓は虫へんに車