『ポラリスが降り注ぐ夜』
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レズビアンバーで映しだされる七つの性のありよう
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
新宿二丁目のレズビアンバー「ポラリス」を舞台に展開する人間関係を、ゆるやかな、意外な、七つの連作として描きだす短編集だ。
「日暮れ」という編は、失恋の痛手を慰めてほしいという女性のネット投稿から始まる。彼女は年上の女性とポラリスを訪れるが、話の歯車は噛みあわないまま、自分の依存心を突きつけられる。「太陽花(ひまわり)たちの旅」には台湾人の親友同士の女性二人が登場し、大学生による議事堂占拠の夜が回想される。女性の一人はかつて、「性別がどっちつかずの人達」もいることは知っていたが、「マイノリティとすら呼べないほど限られた個体に過ぎず、『例外』という言葉で片付けられる」と思っていた。だが、のちに同性婚法制化のデモに参加した彼女はピケ隊に、「私はあなた達と同じ人間なんです。〈中略〉あなた達とどこが違うんですか?」と問う。
「蝶々や鳥になれるわけでも」に登場するのはAセクシャル(無性愛者)の女性。「同性愛者は初恋をもってはじめて生まれるというのなら、自分の場合は〈中略〉逆に母胎に引き摺り戻されるようなものではないか」と言う。初めは「Aセク」とカテゴライズされることに抵抗を覚えたが、「名前というのは、自分は一人じゃないってことの証拠なの」と友人に諭される。連帯すること。その強さと同時に、いつも「複数形」でいることの危うさにも触れるのは、ポラリスの店長の過去を振り返る「夏の白鳥」だ。
トランスジェンダーでかつ同性愛者、パンセクシャル、「オナベ」という古風な語も出てくる。まさに多種多様な性のありようが映しだされる。
李琴峰はある対談で、同性愛が題材の小説は「『これが同性愛でなければならない理由はなんなのか』などと問われることなく、普通のこととして書かれ」なくてはいけない、という松浦理英子の言葉を引いている。二十年も前の発言だ。今も同じことを問わなくていいだろう。