「かくあるべし」という圧迫や強制の苦しさから脱出するために

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「かくあるべし」という圧迫や強制の苦しさから脱出するために

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 最近の日本社会の特徴として、規範意識やマニュアルの暴走を感じる。「このケースにはこのように対処する」「こういう場合はこのように言う」といったテンプレートが強力すぎる。判断に迷わずにすむよう示された基準なのかもしれないが、その運用が行き過ぎて、個人の事情や個性が無視されている。いま人々は、自分自身を表現する言葉さえ、出来合いの型に頼っていると思う。

 人が心のバランスを崩すのは、そういうときだろう。「かくあるべし」という圧迫や強制が強いと、そこからはみ出した生身の肉体や感情は、自分の内側におしこめるしかない。その苦しさから脱出するには、どうしたらよいのか。ひきこもり問題や「新型うつ」について発信を続けてきた精神科医と、双極性障害にともなう重度のうつを体験した歴史学者の対話は、落としどころを定めず、アメーバ状に触手をのばしながらゆったりと続いていく。

 各章のタイトルは「友達っていないといけないの?」「家族ってそんなに大事なの?」などとストレートだが、もちろん、簡単な答えが用意されているわけではない。対話は、ヤンキー文化の功罪や日本の右傾化の分析から始まり、すべての責任を「個人の性格やキャラ」に帰する悪癖や、人生のすべてを仕事に捧げる人をたたえる物語が極端な仕事観を再生産しつづけている状況などに及ぶ。そこに、「半グレ」や新型うつ、発達障害バブルやAI万能論などのトピックスも登場して、現在の社会のありさまを概観できる構成にもなっている。

 自分の考えを述べると「論破するかされるか」の殴り合いに参加したことにされてしまう世の中は息苦しい。必要なのは論争よりも意見交換。本書の対話が「相手の主張に同意できなくても相手の存在を認める」という成熟をうながし、「同意」より「共感」を尊重していることに救いを感じる。

新潮社 週刊新潮
2020年7月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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