芥川賞候補作とコロナ禍で溢れるエッセイや日記

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芥川賞候補作とコロナ禍で溢れるエッセイや日記

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界』6月号

 今回は、文芸誌6月号と7月号を見ていきたい。

『文學界』6月号から、石原燃「赤い砂を蹴る」が第163回芥川賞にノミネートされた。石原は劇団を主宰する劇作家で、小説作品は本作が初めてとなる。

 太宰治の孫にあたることがニュースでは強調されていたが、この作品に関しては、母である作家の津島佑子が重要であって、太宰は無視していい。というのは主題が、母との関係、および母と弟の死をいかに受け容れるか、にあるからだ。

 きわめて私小説的な作品で、作中の母・恭子を津島佑子に、「私」を石原に重ねることで像が結ばれる。津島の小説を参照することも作品は暗に求めてくる。

 血筋など見ず作品だけに向き合うべきだというのは正論だが、本作については、作品以外の情報を無視することは解釈の妨げとなるし、焦点のぼやけた凡作という評価にもなりかねない(実際そうした時評も出ている)。芥川賞選考でもこの点がネックになってきそうだ。

 コロナ禍は文芸誌にも及んでいる。というよりすでにバブル気味で、評論やエッセイ、日記が多数溢れている。小説では、金原ひとみ「アンソーシャル ディスタンス」、鴻池留衣「最後の自粛」(ともに新潮6月号)、小林エリカ「脱皮」(群像6月号)、滝口悠生「火の通り方」、山下澄人「空から降る石、中からあく穴」(ともに文學界6月号)、古川真人「宿酔島日記」(文學界7月号)などがいち早く取り込んでいる。今後ますます増えるだろうことを考えるとげんなりしてくるが、後年振り返ったときに総体として意味を帯びてくる事象であると思われる。

 山崎ナオコーラが『文學界』7月号のエッセイ「コロナ禍に読む『源氏物語』」で、先日死去した古井由吉にセクハラされた体験を「なんとなく、書いておこうと思ったので書いた」と暴露している。古井を尊敬する中村文則に話したら「ショックを受けた顔をした」そうだ。「私以外の作家や編集者もこのことを経験していると思う」と山崎は書くのだが、渡部直己事件のときと同様、いやそれ以上に、「文壇」は、彼女の告発に対し黙殺を決め込むことが予測される。

新潮社 週刊新潮
2020年7月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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