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書籍情報:openBD

ノンストップSFサスペンスにして時間逆行ものの古典

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)

 時間ループものに比べて時間逆行ものは割と珍しいが、7月に改訳版が出たフィリップ・K・ディック『逆まわりの世界』(小尾芙佐訳)は、この分野の古典。

 核になるのは“ホバート位相”と呼ばれる時間逆流現象。死者が墓から甦り、生者は若返って、やがて子宮に戻ってゆく。1986年にこの現象が発生して以来、世界は一変した……。

 作中の現在は、それから10年余を経た1998年。物語は、人里離れた墓地の地中から「外に出たいの」と声がする場面で始まる。巡回中の巡査がそれを見つけて、セバスチャンの会社に連絡する。彼の仕事は、甦った“老生者”の発掘・支援・売却(いわば人材派遣)。その彼が、黒人解放家にしてユーディ教の始祖を掘り出したことから、世界を揺るがす三つ巴の戦いに巻き込まれる……。

 論理的に考えるといろいろ納得のいかないところはあるが、委細かまわず突っ走る、著者十八番のノンストップSFサスペンス。

 同じディックの代表作『ユービック』(浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF)には、まわりのものがどんどん古くなる“時間退行現象”が登場する。最新型のテレビは木製キャビネット入りの古いラジオに変わり、第2次大戦前のドラマを流しはじめる。オーディオは蓄音機になり、自動車は1929年のA型フォードに……という具合。それを止めるには、ユービック・スプレーをさっとひと噴き―という発想も面白い。

 一方、2016年の松本清張賞を受賞した蜂須賀敬明『待ってよ』(文春文庫)は、『逆まわりの世界』的な設定を現代日本の田舎町に移植する大胆不敵なデビュー作。主人公は、この町に招かれたマジシャン。迎えにきてくれた女性が真夜中、「産まれそうなの」と言うので助力を申し出たら、墓を暴いて老婆を掘り出す作業を手伝わされる羽目に。だが、驚いたことに、老婆は生きていた。この町では、人間は墓場から老人の姿で誕生し、だんだん若返って赤ん坊になり、最後は娘の腹の中に還ってゆくという……。無茶な話を最後まで書き切る豪腕に脱帽。

新潮社 週刊新潮
2020年7月30日風待月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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