ヨガインストラクターに学ぶ。心が喜ぶインドの2つのことわざ
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
私は14年間、人材業界や人事という仕事に携わっています。そして、後半の9年はヨガのインストラクターとしても、企業出張やイベントなどを通じて、日本人に必要な体と心の扱い方を伝えてきました。
約5年前、日本でのヨガの勉強や実践では物足りず、本場のインドで学ぶために渡印を決めました。
インドでの修行や生活の中で、インド人の生き方と考え方、その元になっているヨガが今の日本人を救ってくれると強く感じたことを覚えています。(「はじめに」より)
自身のキャリアについてこう明かす『インド式 壁の乗りこえ方』(栃久保 奈々 著、自由国民社)の著者は、インド政府公認ヨガインストラクター。
現在までに約3000人を指導し、精神科医や研修会社とも協力して、体はもちろんのこと、心が喜ぶ生き方につながるヨガを教えているのだそうです。
本書のバックグラウンドにあるのも、「体の悩み、あるいは自分のマインドをどうにかしたいと思っている人のヒントになれば」という思い。
そこで、日常生活のエッセンスとしてできる「インド的しあわせヨガ」、そのもととなっているインド人的思考や文化を明らかにしているわけです。
きょうは第4章「明日、人に話したくなるインドのことわざ」のなかから、2つを抜き出してみたいと思います。
ことばは棘にも薬にもなる
「口は災いのもと」「病は口より入り禍(わざわい)は口より出ず」など、日本のことわざには悪いことばの使い方に着目したものが少なくありません。
一方、インド人は「誰とたくさん話してもいいけど、よいことば、お互いに気持ちいいことばを使うことが大事」という考え方を大切にしているのだそうです。
インド人は、人と話すことが大好き。
主張を通すための交渉やディスカッションはもちろんのこと、相手への興味や自分の仮説を確かめるためのヒアリング、「せっかく隣になったから」という思いから始まる会話など状況はさまざまだとはいえ、話すことを好むというのです。
そして話をする際に彼らが大事にしているのは、「よいことば」を使うこと。
人にしたことは自分に返ってくるという価値観や、人脈ありきで日常生活やビジネスが行われているという背景もあるものの、彼らはことばが現実になると信じているということです。
言葉には世界を変える偉大な力があると言われています。それは神代の時代から続く言葉でも、私たち1人1人が発する言葉も同様だそうです。その理由も色々あるようですが、神様は世界を自由につくることができますが、その神様は私たち全員の中にも存在しているから、と聞いたことがあります。
「一度の人生なら、良いものをたくさん生み出そう。相手のことを好きかどうかは関係ない。良い言葉を使うと自分が心地よい気分に慣れて幸せだし、そうでないと周りも幸せにできないよ。」(101〜102ページより)
人のことを深く考えているかと思えば、その一方で自分勝手にも見えたり、しかし最後は周囲のことも気にかけていたりと、非常に人間らしい人がインドには多いのだといいます。(100ページより)
ものを与えることは、ものを受け取るよりも素晴らしいことだ
数十年前の日本人旅行者を知るインド人は、「日本人は、昔よりもお金の使い方が下手な人が増えた」とよく話すのだとか。
最近の日本人旅行者は、お土産をほとんど買わず、アジアの慣習になっている寄付をするでもなく、とにかく安く旅行をしようとするというのです。
ただし「お金を払うところをしっかり選べばいいのに」という意味だけで言っているのではなく、私たち日本人が「受け取ることも下手」だと感じているのだといいます。
たとえば親切でなにかをしたり、ギフトをあげたりしても、日本人は「裏があるのではないか?」と疑ったり、アドバイスやほめことばも笑って流すか、「でも…」と言い返すというのです。
インド人からすると、それは少し寂しいことだというわけです。
たしかに私たち日本人の文化においては、心から自然にほめ合ったり、理由のないときにギフトを渡す人は多くないかもしれません。
また謙遜を美徳とする価値観も残っているため、まずは自分を卑下する癖が染みついているのも事実だと言えそうです。
とはいえ、それが意識的なものであるならともかく、無意識のうちにそうしているのであれば、結果的にはどんどん自分の価値を下げてしまうことになってしまう可能性もあります。
すると、受け取ることも与えることも下手な人間になってしまうわけです。だからこそ、インド人に学ぶべきところがあるのではないかと著者は考えるのです。
とはいえもちろんインド人にも、いろいろな価値観の人がいるはずです。
お土産やチップを渡したとき、なんの躊躇いもなくピュアな笑顔で受け取ってくれる人もいれば、一度断ってから受け取る人もいるわけです。
あるいは、今度は自分がなにかすることを条件に、しぶしぶ受け取ってくれる人もいることでしょう。
ただし、最後まで拒否をする人はほぼいないというのです。
受け取ることも、一歩前に踏み出すための勇気がいる行動。
人から、神から、自然から、いろいろなものをいただいてこそ、その喜びを感じつつ、与えられるものの少ない自分の非力を知り、努力することで他の人に還元できる人間になれる。
そういう考え方を大切にしているということ。
私たちの命には、人のための命と自分のための命があるそうです。産まれてきたからには、自分のために生きるのではなく、人のために生きることも大事と当たり前のように話す人が多いことに驚かされます。
つまり、人に与えられるというのは、インド人にとっては受け取れる勇気と素直さを身につけ、かつ人のためにも生きられるようになった努力の証なのです。(105ページより)
したがって私たちも、まずは「上手に受け取る」ということからやってみることが大切なのではないか?
著者は、そう記しています。(103ページより)
おもに女性をターゲットにしているようですが、その考え方自体は普遍的なものであるだけに、当然のことながら男性にとっても有効。
共感できることを取り入れてみれば、壁にぶつかったときにでも、無理なく乗り越えられるようになれるかもしれません。
Photo: 印南敦史
Source: 自由国民社