19世紀の英国人作家が見抜いた現代人の「未視感」

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エレホン

『エレホン』

著者
Butler, Samuel, 1835-1902武藤, 浩史, 1958-
出版社
新潮社
ISBN
9784105071516
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

19世紀の英国人作家が見抜いた現代人の「未視感」

[レビュアー] 村上陽一郎(科学史家)

 イギリスには、現実にない世界(ユートピア)を描くことによって、現実の世界の愚かさ、醜さ、美しさ、愛おしさに気付かせる文学の伝統がある。トマス・モーアの『ユートピア』に淵源し、デフォーのロビンソン・クルーソーであり、オーウェルの『1984』であり、そしてサミュエル・バトラーの本書だ。「ユートピア」とは、ギリシャ語の〈ou+topos〉つまり「無い+場所」を語源とするモーアの造語だが、意味をとって〈nowhere〉とも表現される。さらに英語では、ときに〈eutopia〉とも書かれる。この場合は〈eu〉つまり「立派な」となるから、「理想世界」の意味ともなる。

 本書は、タイトルからして、こうした事情を勘案した上で凝りに凝ったものとなった。〈nowhere〉をほぼ逆に綴った〈erewhon〉としたのである。その地に登場する人物の名前も同様で、例えば「ノスニボー」氏はロビンソン〈Robinson〉の逆綴り〈Nosnibor〉、「イラム」嬢は「メアリー」〈Mary〉の逆綴りということになる。エレホンは、ユートピアつまり「どこにもない世界」が現実の世界の逆さならば、それをもう一度逆さにした世界なのである。本書を読みながら、これは何のさかさまだろうか、と思いを巡らせるのも一興。

 この著作の背景については、訳者の周到な解題を読むべきである。しかし、19世紀に書かれたこの傑出した書物が、今日にどのような意味を持つのか。現代にバトラーが生きていたら、どんな物語を書いたろう、と考えてみれば、私の思うには、あまり変わらないものができたのではないか。無論自然神学の大家ペイリーの「時計職人のアナロジー」が本書の「機械の書」に反映されており、それは、当時の最大の話題だったダーウィンの進化論との関連にもなるが、そうした「時代精神」は自ずから変わるだろう。しかし、例えば「出生告白書」の章で展開される命の扱い、圧倒的に進歩した「機械」に対する「機械の書」の諧謔に満ちた教訓、環境問題が焦眉の急になっている今日への警告にもなり得る、動物と植物の「権利」を扱った巻末近い二章、いずれも、読み込めば読み込むほど、何やら奇妙なデジャヴュ感覚(既視感)、いや、ここでも話は逆さまで、われわれが現実に観ている世界が、現存するバトラーの「既視感」になるのでは、という意味では「未視感」とでも名付ければよいか、そんな感覚に襲われるのだ。

新潮社 週刊新潮
2020年8月6日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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