京都・将軍塚の地鳴りはなぜ天変地異の予兆なのか?――コロナで猖獗を極める令和に体感する「異界」の息吹

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華頂山の山頂にあり、京都市街全体を眺望できる

 いまだ世界はコロナ禍にありますが、人間と感染症の戦いはいまに始まったものではありません。実は日本人は古代より疫病に幾度となく苦しめられ、蔓延を恐れていたことが、多くの文献からうかがえます。

 京都・東山には「将軍塚」と呼ばれる場所があります。「天下に異変が生じるときは、必ず将軍塚が鳴動(めいどう)する」という言い伝えがあり、京都の人びとは疫病や戦乱などの予兆として恐れていたようです。実際、過去の記録をみてみると、鳴動をきっかけに大きな戦乱や災害が発生していたことがわかります。

 ここでは民俗学者の新谷尚紀さんが、古社寺をとおして時代を超えた「異界」の息吹を紹介する書籍『京都異界に秘められた古社寺の謎』を元に、異界としての将軍塚についてみていきます。

京の人びとが恐れた地鳴り

 東山三十六峰のひとつ、華頂山(かちょうざん)(標高210メートル)の頂に「将軍塚」(京都市東山区)と呼ばれる塚があります。知恩院や円山公園の東方の丘陵の上にあり、京都市街全体を眺望できる佳景の地でもあります。

 保元(ほうげん)元年(1156)7月5日のことです。『保元物語』によると、鳥羽法皇の崩御から3日後のこの日、明け方の東の空に彗星があらわれ、将軍塚が突如、鳴動したとあります。鳴動とは地鳴り、山鳴りのたぐいのことです。

 それは翌日もつづき、陰陽師たちは天変地異の予兆と占い、鳥羽法皇の旧臣たちは「これはただごとではない、どんな世になるのか」と嘆きあったとされます。

 それから数日後には、後白河天皇と崇徳(すとく)上皇が対決する保元の乱が起こりました。戦いは平清盛、源義朝らを従えた後白河側の勝利に終わり、崇徳上皇は讃岐へ配流されました。天皇家・摂関家の内部抗争に起因するこの戦いは、武士が政治の表舞台に進出する端緒になったともいわれます。

争乱の前に鳴動したとされる将軍塚

『源平盛衰記』によると、治承(じしょう)3年(1179)7月7日申の刻(午後3~5時)には、にわかに南風が吹いて碧天(へきてん)がたちまちかき曇り、夜のように暗くなると、将軍塚が一時(いっとき)のあいだに3度も鳴動したとあります。この翌年には、源頼朝が挙兵し、源平の争乱がはじまっています。

 また、『太平記』巻27「天下妖怪事」によると、貞和5年(1349)には、正月から不吉な星や彗星がつぎつぎにあらわれたとあります。陰陽師たちは変事・兵乱・疫病の予兆であると占ってひそかに奏上していましたが、2月26日の夜半、今度は将軍塚がはげしく鳴動し、天空で兵馬の駆け過ぎる音が1時間ほどつづいたとされます。

 これを受けて京中の人びとはみな恐れおののき、「いったい何が起きるのか」と肝を冷やしました。すると翌27日の昼、清水坂でにわかに火事がおこり、またたくまに火は清水寺に広がり、伽藍を燃やしつくしました。だが、この清水寺全焼も、大変事の前兆のひとつにすぎなかったのです。

 なぜなら、ちょうどこの時期から室町幕府の内部紛争が本格化し、ほどなく足利尊氏とその弟・直義(ただよし)の対立を軸とした全国的な戦乱、「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」が勃発したからです。

天災、戦乱、疫病…京に生きる人びとの不安と怯え

『山城名勝志』(1711年刊)が引用する『大和本記』によると、延暦13年(794)に平安遷都がおこなわれたとき、桓武天皇は、王法はこれまで場所を移し続けてきたが、末代にいたるまで都をこの地から遷してはならないと命じ、土で八尺(約2・4メートル)の人形(ひとがた)を造り、末永く王城を守れといい含めて、これを東山の頂に埋めさせたとあります。さらに、それは将軍塚と名づけられ、王城に事があるときはかならず鳴動するとあります。

 つまり、将軍塚には平安京を守護する将軍になぞらえる巨大な土偶が埋められていて、天下の異変を察知するとその土偶が揺れ動いて人びとに知らせる、というわけです。

『平家物語』にもこれと似たようなことが書かれていて、この伝説が古くから流布していたことがわかりますが、八尺の土偶については「鉄の鎧兜(よろいかぶと)を着て、鉄の弓矢をもち、(平安京に向くように)西向きに立って埋められている」と詳述されています(巻5「都遷(みやこうつり)」)。このように将軍塚の鳴動の例は、中世・近世の史書にいくつも記録されており、異変の前兆として人びとに注目されていたことがわかります。

 都に住む人びとは戦乱ばかりでなく、飢饉や疫病などにも絶えず悩まされていました。将軍塚の不気味な地鳴りとは、都の住人たちの胸にたえずわだかまっていた、世相に対する不安・おびえのこだまでもあり、彼らの心のなかに巣食う「闇」が発する声であったともいえるでしょう。

 そのほか、京都には敗者の霊を鎮め疫病を祓う「御霊神社」や二つの怨霊を封じ込めた「明智光秀の首塚」など、災厄を鎮めるための伝承地が存在します。本記事に引用された書籍『京都異界に秘められた古社寺の謎』では、そうした土地の記憶を深く濃くとどめる京都を紹介しています。将軍塚一つとってみても、京都の人びとの混乱が想像できるのではないでしょうか。

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2020年9月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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