クライマックスは「なぞ解きの先」にある――『僕の神さま』『空想クラブ』刊行記念! 芦沢央×逸木裕 緊急オンライン対談

対談・鼎談

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僕の神さま

『僕の神さま』

著者
芦沢 央 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041097786
発売日
2020/08/19
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

空想クラブ

『空想クラブ』

著者
逸木 裕 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041095591
発売日
2020/08/28
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

クライマックスは「なぞ解きの先」にある――『僕の神さま』『空想クラブ』刊行記念! 芦沢央×逸木裕 緊急オンライン対談

[文] カドブン

小学生の日常に起きた「悲劇」を描いた連作ミステリ『僕の神さま』(芦沢央)と、中学生が親友の少女の死の謎を追う『空想クラブ』(逸木裕)。共に8月に刊行された二つの小説には、ある共通点がありました。

――今回のお二人の対談には、意外なきっかけがあったそうですね。

芦沢:そもそもは小説家の谷津矢車さんが『僕の神さま』の感想をツイートしてくれて、その中で逸木裕さんの『空想クラブ』と「問題意識のあり方が似ている」という指摘をいただいたんです。対談を組んでいいレベル、という言葉に、それは楽しそうだな、と反応したら、あっという間に対談が決定(笑)。

逸木:本当に実現しちゃいましたね(笑)。

芦沢:谷津さんに詳しくお聞きしたのですが、2作の共通点として、「ミステリ的な枠組みでは救われない子供の世界」というモチーフ、そしてミステリ的な解決がストーリーの解決にならず、別のアプローチで話を閉じている、という点を挙げてくださいました。

(それぞれのあらすじはこちらから!)
『僕の神さま』:https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000165/
『空想クラブ』:https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000892/

逸木:表面的な流れを見ていると、この2作は全然違う話だと思うんですよ。でも谷津さんのご指摘はその通りだと思いましたし、さすがの読み込みの深さだと感じました。確かに、『空想クラブ』も謎が解けたことが必ずしも登場人物たちにとっての解決にならないストーリーです。

芦沢:『僕の神さま』には父親から虐待を受けている川上さんという女の子が出てくるんですけど、彼女はどうしたら救われるのか、そもそも彼女にとっての救いとは何なんだ、というところでかなり悩んで、筆が数か月止まってしまいました。実際に現実で起きている虐待では、悲劇が起こってしまうことがたくさんある。そうした現実へ向けて発表する作品として、物語の中ですべてがうまくいって手放しのハッピーエンドになるという展開を、私自身が信じられなかったんです。それでは物語のためのご都合主義で勝手に「閉じて片づける」ことになってしまうんじゃないかと。それがミステリ的な解決とは別のアプローチを取ることにつながったのだと思います。

芦沢央『僕の神さま』(KADOKAWA)
芦沢央『僕の神さま』(KADOKAWA)

逸木:エンタメ的なわかりやすい解決を選ぶのではなく、現実的な問題と誠実に向き合うほうを選んだということですね。

芦沢:はい、なのでラストについては様々な受け止め方がありうると思いますが、私自身はアンハッピーエンドだとは思っていません。一度離れた方がいい人間関係もある、別離はそれまでの時間を否定するものではない、という思いがあって。

『空想クラブ』は別れた仲間が再集結するじゃないですか。でも、すぐ先の別離がすでに決まっている。いつか終わるんだとわかっていて、でも心を通わせていく。構造からしてすごくエモーショナルだなと思いました。

逸木:真夜という頭の良い女の子が登場するんですけど、河原から動けないという設定もあって、安楽椅子探偵的に活躍します。彼女が様々な謎を解くことで、周囲の人にいいフィードバックが生まれる。でも、現実的に何かの謎を暴くことは、必ずしもいい結果になるわけではない。残酷な現実に直面した子供たちが、そこからどう生きていくのか、ということが描きたかったんです。

逸木裕『空想クラブ』(KADOKAWA)
逸木裕『空想クラブ』(KADOKAWA)

芦沢:『空想クラブ』は少年少女たちが集まって、問題に向き合ってという、少年探偵団的な形を取っていますよね。でも、主人公がある「力」を持っていることによって、読者は全く予想外のラストに連れていかれる。谷津さんの話に戻ると、少年探偵団的にミステリ的な謎解きで解決するというのが、ある種の定型だと思うんですね。この作品ではそれはあくまで「前提」で、「その先」を描きたかったんだというのが伝わってきました。

モチーフとして意識されている作品はありました?

逸木:『ドラえもん』ですね(笑)。『ドラえもん』には、主要なキャラクターが5人いますよね。私、5人組の話が好きなんです。5人は、全員で何かをするのにもちょうどいい人数ですし、ひとり対ひとりの密な関係性なども生まれやすい。中学生の頃に5人組の少年少女の話を小説で書こうとして挫折したことがあって、それが根底にあったのかもしれません。

 ところで芦沢さんの作品には、隠し事をする登場人物がよく出てくるように思うんです。たとえば『獏の耳たぶ』は新生児の取り違えを世間に隠す母親が出てくる。それが発覚しないようにふるまい続けるというのが、サスペンスの核になっている。

芦沢:なるほど、たしかにバレたらどうしようと思っている登場人物、多いですね。何でだろう……もしかしたら、自分のことをそんなに信じていないからかもしれません。自分が常に正しくいられるという確信がない。『貘の耳たぶ』に限らず、「一線を踏み越えてしまう人物」を描くときには、どんな人でも最悪のタイミングが重なれば「自分の思う正しさ」を守れない可能性がある、というのを前提にしています。

 それで、今日はぜひ逸木さんと「物語における悪」について話したいと思っていたんです。

『空想クラブ』では郷原という登場人物が悪として登場するわけですけど、最後、彼は変わる部分がある。どうして彼の変化を描いたんでしょう?

逸木:私は一面的に悪い人、というのはいないと思っていて、人間というのは多面体だと思っています。悪というのは、その悪い面がその人に見えている、ということではないかと思います。現実は複雑で、悪い人に見えていても角度を変えてみると、違うかもしれない。世界をそう認識しているので、悪役を書こうする場合そういう書きかたになることが多いです。

芦沢:『空想クラブ』もそうですけど、『銀色の国』とかも、いろいろな辛い現実、生きづらさはあるけれども、それでも肯定したいという強い祈りのようなものを感じました。根本からの否定はしない、信じたいものがある。

 ちなみに、今回の作品で一番苦労したのはどこですか?

逸木:涼子という登場人物がいるんですが、彼女の造形ですね。なかなか固まらなくて、苦労しました。

芦沢:涼子いいですよね、彼女だけの話も読みたいくらい。お金を介在させることでしか人間関係に安心できない。父親を憎んでいるはずなのに、自分も似たところがあって、同じようなことをしてしまう。この歪みが凄く気になる。

逸木:苦労したところなので、報われる気持ちです。

 涼子は世界に対して恐怖を抱いている人物なんですよね。非常に不安定。芦沢さんの作品にもそういう人物が登場しますけど、一方で『カインは言わなかった』の天才的な人物・豪ですとか、強固なキャラクターへの憧れがあるのではないかと思うんです。不安定な世界とは関係のない、強固な価値観と言いますか。

芦沢:ありますね。結構繰り返し書いてしまいます。やはり憧れがある。

逸木:水谷くんもそうですよね。

芦沢:彼は自分の価値観があって、それに殉ずることができる。徒競走でビリでも平気だし、誰もついてこなくても気にしない。自分にない部分を持つ存在として憧れがあって、こういう人物を書くときは楽しいです。一方で、やはり揺れ動く登場人物にも心惹かれるので、『空想クラブ』においても涼子が一番好きでした。

 涼子は初め、この「空想クラブ」というグループにいて、周りの「健全さ」に息苦しさを感じているじゃないですか。それが、今回の再結成後では、周囲の彼女への接し方に変化がある。ここがすごく気になって。

逸木:ここは涼子にとって一つの決着というか、周りがけりをつけてあげるという意味で書いたんです。涼子にとって、誰かにお金を貢ぐという行為は、後ろめたいけれど同時に幸せも感じられるという、引き裂かれるような思いがある。だからこそ、涼子にとって一番大切な存在である真夜のために、周りからお金を「使わせてあげる」ことにしたんです。単純に「空想クラブ」に戻ってきて、みんなと仲良くやろう、というのでは、彼女の葛藤が解決しないと思ったんですよ。

芦沢:いろいろな歪みもある彼女を、それでもありのままの彼女として受け入れようとする肯定の形なんですね。すごく腑に落ちました。

「物語における悪」の描き方について、私はこれまで、先ほども述べたようにどんな人でも一線を越えうるという前提で寄り添って描いてきたんですが、『僕の神さま』は悪に寄り添わないで書く、ということを決めていました。虐待をしている川上さんの父親に焦点を当てれば、彼なりのきっかけであったり、何かあるはずなんですけど、そこは描かない。子供の世界においては大人の事情は関係なく、ただ暴力を振るわれているという事実があるんじゃないかと思ったんです。

 そういう意味でも、先ほどの「隠し事をしている人物」を視点人物として書くこれまでの書き方とは違うかもしれません。

逸木:隠し事をする、という意味では、『僕の神さま』ではこれまでと視点が逆転していて、主人公たちは暴く側に立っていますよね。隠し事をしている側の謎を暴いてしまうと、綺麗事では終わらず、ときに相手を傷つけるし、返り血を浴びることもある。謎を暴く探偵の、覚悟を問う物語になっていると思いました。

芦沢:もともとは探偵の覚悟を描くつもりはなかったんです。この作品の探偵役である水谷くんは、最初は2000字くらいの掌編で登場させて、気に入ったので今回の第一話を書いたんですね。もう一度書きたいな、という気持ちで第二話を書いたら、自分でも想像していなかった方向へ展開していった。

『空想クラブ』はどのような形で構想したのですか?

逸木:最初、青春ミステリのオーダーをもらって、「部活もの」を描こうとしていました。ただ、一般的な部活で、子供たちがいて、学園の謎を解いて……というのは、自分が描いても面白くなる自信がなかった。どのように描けば面白いかな、と考えていって……いつの間にかこういう物語ができました(笑)。

 あと、感覚的な話なんですけど、海外旅行が好きで、若い頃にベトナムなどあちこちに行ってたんです。それで、自分はいま日本にいるわけですけど、昔行った、記憶にしかない場所で、今この瞬間も生活している人々がいる。そのことを想像すると世界の広がり、世界とのつながりを感じる、不思議な感覚があるんです。それをどんどん拡大していくと、宇宙の果てに行き着きます。宇宙の果てにはもちろん行けないし、観測することもできないですけど、実際に空の向こうにそこは存在していて、そこだけの時間が流れている。想像しかできない、でも確実にある、そういうことを描きたいと以前から思っていて、それが組み合わさってできた感じです。

芦沢:なるほど、それでああいう「力」になったわけですね。その「力」が長編のラストにああいう形で発揮される……ラストまで読んで、ああこのためだったのか、と爽快感がありました。

 ちなみに、短編と長編ではどちらが得意とかはありますか?

逸木:書きやすいのは短編ですね。ビジョンが見えているので。長編は複雑すぎて混迷を深めていきます(笑)。

芦沢:わかります(笑)。私は長編と短編では描き方が全然違っていて、短編は構成をしっかり作るのに対し、長編はプロットゼロで書くので、ずっと迷子(笑)。

 短編は、お皿の上に食材を乗せて、どの角度から見ても美しく見えるように無駄なものが無いように盛り付けていくイメージです。

 長編は、広い、複雑な建物に入って見取り図を描くような感じですね。一つ一つの部屋を見ていって、構造を調べていくんだけど、別の階に行くとどうやらさっき描いたのは違ったようだ、と。建物の見取り図を正確に書くために、何度も何度も書き直して、行って帰って行って帰って、というような感じです。

逸木:それに比べると、私は結構システマティックに書いていますね。プロットを起承転結に四分割して、それぞれのパートでどういうことが起こるか、どういう楽しみを読者に提供したいかを決めます。あとは転換点。「承」と「転」の間の真ん中と、「転」と「結」の間のクライマックスに大きなことが起こって、キャラクターが変わっていく、というイメージです。

――最後にお互いの作品に関して、おすすめポイントをご紹介いただければと思います。

芦沢:『空想クラブ』は帯にもありますけど、やっぱりラスト16ページですね。このシーンを是非読んで、「体感」してほしいです。

逸木:『僕の神さま』の一番良いシーンはラストなんですけど、それだけじゃなくて、「登場人物の変化」に注目してほしいですね。特に主人公の「僕」が様々な謎を解いていくに当たって、どういう変化をしていくのか、そこを読んでほしいと思います。

KADOKAWA カドブン
2020年9月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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