【ハマるぞ!伊岡瞬】トラウマを抱える全ての人へ。心の傷と共に生きる主人公のハードボイルド・ミステリー。――『145gの孤独』

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【ハマるぞ!伊岡瞬】トラウマを抱える全ての人へ。心の傷と共に生きる主人公のハードボイルド・ミステリー。――『145gの孤独』

[レビュアー] 香山二三郎(コラムニスト)

単行本『145gの孤独』の幻の書評(「本の旅人」2006年6月号掲載)を特別公開!

 プロ野球では、ボールをぶつけられたり、ぶつけられそうになった打者がマウンドの投手に殴りかかることが珍しくない。まさに硬球は凶器になり得るわけだが、凶器のエキスパートであるミステリー系作家がそれを見逃すはずはない。

 本書の主人公倉沢修介もそうした速球派として知られる投手であったが、友人でもあるライバル球団の強打者・西野真佐夫のこめかみに一五〇キロ近い速球をぶつけたのがきっかけで、以後試合に勝てなくなり、引退せざるを得なくなる。その後サラリーマンに転じるものの水に合わず、酒席で知り合った戸部という男の紹介で便利屋稼業に就くことに。倉沢は東京・武蔵野の井の頭公園に隣接した自宅を事務所にして、一緒に働くようになった西野の妹・晴香とともに現場へ出るようになるが、物語はそんな四月のある日、仕事の一環として“付き添い屋”を始めるところから幕を開ける。

 付き添い屋とは、文字通り、客の依頼した相手に決められた時間だけ付き添うお仕事。その第一号は広瀬碧という美女の依頼で、小学六年生になる彼女のひとり息子優介と一緒にサッカー観戦をすることだったが……。

 著者の伊岡瞬は、昨年(編注:2005年度)『いつか、虹の向こうへ』(角川書店)で第二五回横溝正史ミステリ大賞を受賞した新人だが、そこで選考委員の満場一致の高評を受けたことは記憶にまだ新しい。選考委員のひとり大沢在昌はその作風をして「正当なハードボイルド」と評したが、本書でも倉沢の減らず口ややせ我慢体質、あるいは便利屋でありながら、ついつい探偵調査に足を突っ込んでしまうあたりから、やはりハードボイルド的な作風を感じ取ることが出来よう。

 広瀬碧の依頼に不審を感じた倉沢が真相を探っていく展開は前作同様、オーソドックスだし、そのほろ苦い顛末もまた、ハードボイルドならではの味わいといえようか。

 続く第二章では、倉沢のかつてのチームメイトだった現役のスラッガー村越の依頼で、彼の義弟がのめり込んだフィリピン人ホステスを帰国させるべく成田空港までの付き添いを引き受ける。第一章とはまったく違う筋立てであり、その意味では連作集的な構成をうかがわせる。お話それ自体は前章と同じく、軽快な語りと社会派的なテーマを織り合わせたサスペンスに仕上がっているが、ここでは複雑な人間関係を巧みに活かした本格仕掛けが決まっているところが味噌。

 続く第三章では、ひとり住まいの老女性社会心理学者の家で泊まり込みの資料整理を引き受けることになる。倉沢は、何故泊まり込み仕事なのか、疑問に駆られながら仕事を進めていくが、やがて明かされる真相から思いも寄らない事実が浮かび上がってくる。連作集仕立てと思われた構成も、実は綿密な計算が施されていたことがそこで判明するのだが、仔細は読んでのお楽しみ。ここで強調しておきたいのは、前作のチーム小説趣向を受け継ぐ「正当ハードボイルド」と思わせておいて、実は心の闇へのノワール的追求や、より大胆な本格仕掛けの導入により、著者が自分独自の世界を築こうとしていることなのだ。前作の選評で大沢在昌に指摘された通り、著者は「現代日本を舞台にこの作者でしか書きえないハードボイルド世界」を生みだそうとしたのである。

 第四章は、倉沢を便利屋に引き入れた戸部自身の依頼で、彼とその娘ともども車で北へ向かうことになる。このロードノベルのタッチで描かれる最終章で浮き彫りにされるのは、月並みな言葉でいえば“癒しと再生”ということになるが、前三章の巧みな構成で描き出された人生悲劇がその月並みさに充分説得力を与えていよう。

 むろん本書が挫折した野球選手の再生譚としても、独自の魅力をたたえていることはいうまでもない。

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【ハマるぞ!伊岡瞬】トラウマを抱える全ての人へ。心の傷と共に生きる主人公の…

▼伊岡瞬『145gの孤独』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/200907000292/

*掲載にあたり、一部修正を加えました。

KADOKAWA カドブン
2020年10月21日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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