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さて、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』および続編の『誓願』について論じるにあたり、わたしが先だって書いたメールと、小川洋子『密やかな結晶』が上梓された一九九四年の時評を引用した。ちなみに、『密やかな結晶』はその英訳The Memory Police(スティーヴン・スナイダー訳)が、二〇一九年の全米図書賞翻訳文学部門、二〇二〇年の英ブッカー国際賞にノミネートされた他、昨年のノーベル文学賞受賞者オルガ・トカルチュクとともにベスト・トランスレイティッド・ブック・アウォードの最終候補に選ばれ、また、同年のアメリカン・ブック・アウォードを受賞した。
現在、アトウッドと小川洋子のこれらの作品を並べたとき、読者の多くは共通点にすぐ気づくだろう。行きすぎた管理社会を描く「ディストピア小説」だということだ。『密やかな結晶』は、小説家を主人公にした、言葉と記憶が次々と消滅していく国の物語であり、まっとうに「記憶が消えない」人々を秘密警察が取り締まる。言葉と思考、創作と表現の抑圧どころか、削除行為である。まさに、日本学術会議の人選への介入をはじめ、学術芸術が危機にさらされているいま、読まれるべき書物だろう。
しかし『侍女の物語』も『密やかな結晶』も刊行当時から、ディストピア小説の傑作として読まれていたわけではない。一九八〇年代半ばから一九九〇年代(『侍女の物語』の邦訳は一九九〇年)、まだ日本の読書界ではディストピアという概念も言葉も広くは知られていなかった。空想的な寓話か、ダークファンタジーのように読まれていたのではないか。フォルカー・シュレンドルフが監督した映画「侍女の物語」は日本でも封切られ、それなりに話題になったと思うが、「現実を映しだす鏡!」のような宣伝文句はなく、どちらかというと、SF映画扱いに近かった(ただし、シュレンドルフ監督は「近未来の話のようでいて、三か月前のベルリンの壁の向こうの話でもある。今は映画祭より、壁の向こうがどうなっているか、とても気がかり」だと、ベルリン国際映画祭出品に際して答えている。読売新聞東京夕刊1990.02.27付)。
『密やかな結晶』はその三年前に芥川賞を受けた小川洋子が初めて世に送りだした長編小説だ。朝日新聞時評の評者大江健三郎は、小川氏が同賞を受けたときの選考委員でもあるので、厳しめの言葉のうちに励ましの意を込めているものと思う。ともあれ、この時評を読んでわたしがはたと膝を打ったのは、「ファンタジー」という語が繰り返し使われていることだ。現在「ディストピア」と呼ばれている小説は、やはり、ファンタジーとして読まれていたのだ。大江評は約(つづ)めると、『密やかな結晶』はファンタジーとしては世界観の造りこみが緩いため、物語が内向的になってしまう、ということだと思う。
じつは、これと同様のことを『侍女の物語』も言われたことがある。ギレアデ国内の設定に関する描きこみが足りない、国家体制や政治機構が具体的に描けていないというのだ。しかしこのつかみどころのなさは視点の構造によるものであり、作者が故意に作りだしたものだ。「侍女」という社会の最下層に近い立場に押しこめられた女性の単独視点によるモノローグで語られるのだから、はっきりした見取り図が得られないのは当然なのだ。
その暗黒と不分明、わかりにくさ、ひいては読みにくさに、同作の眼目はあった。語り手のオブフレッドとともに読者は闇をさまようようにできているのだ。坑道を灯りひとつを頼りに、奥へ奥へと入りこんでいくような視野狭窄的な読み心地があり、まさに「内向的」な造りだと言えるだろう。
確かにファンタジー作品としてとらえると、二作とも舞台設定にあまり重厚な描きこみがないように見えるかもしれない。しかし『侍女の物語』も『密やかな結晶』も本質はファンタジーではなかった、ということだ。
また、因みに『密やかな結晶』は、朝日と同じ月度の読売新聞文芸時評では、三枝和子にこう評されている。「消滅感覚という、扱い方によっては存在論的な難しい小説になってしまうテーマを、小川さんは軽やかな、幻想的な手法で展開した。場所も定かでない架空の島を設定してリアリティの枠組みの外に出た。当然、寓話的すぎる、メルヘン風に流す問題ではない、との批判は出て来るにちがいない。しかしこの良い意味での少女小説的感性は小川さんの特質だ」(二月二十一日掲載)。絶賛評だが、掲載日からして大江氏の時評を「予期」していたかの印象を与える。しかし、同作の作風を表すのに、「幻想」「寓話」「メルヘン」といった語が使われ、「ディストピア」や「社会批評」といった言葉は出てきていない。
大江氏の時評に、「そこにこそ物語をつくる能力は意味を持つはずであり、様ざまな大切なものの「消滅」は、われわれの文明の課題ともなりうるのに」と悔やむくだりがあるが、現在、『密やかな結晶』が海外でも著しく高い評価を受けているのは、夢物語のファンタジーではなく、まさに「われわれの文明の課題」となりうる問題を、普遍的な手法で描いているからなのだ。
この四半世紀の間に、明らかに大きな読みの転換が起きたようだ。
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