三島由紀夫の存在を誰よりも意識して育ったハリー杉山 その思いを語る

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ハリー杉山氏 撮影=坪田充晃(新潮社写真部)

【特別企画】没後50年 三島由紀夫の残照「僕と父と三島由紀夫」ハリー杉山

生前の三島由紀夫に最も信頼された英国人ジャーナリスト、ヘンリー・スコット=ストークス氏(82)。氏を父に持ち、その作家の存在を誰よりも意識して育ったハリー杉山氏へ、没後50年の思いを尋ねたロングインタビュー。

作家と新聞記者

 僕の父は世界を代表するロックの聖地・グラストンベリーの生まれで、イギリスの経済紙『フィナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長を務めたジャーナリストでした。1964年に東京五輪取材のため来日し、日本という国の取材を始めます。その後『タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』でも東京支局長として取材を続ける中で、作家・三島由紀夫と知り合いました。

 第二次世界大戦から間もないイギリスからみた日本はまだ「敵」でしたから、来日する以前の父の日本に対する印象は決して良いものではありませんでした。しかも当時の日本は車の排気ガスによる空気汚染がひどく、タクシーの車窓から街並みを眺めても15メートル先が見えなくて、空港に着いて15分でイギリスへ帰りたくなったほどだったと。そんな父が結局居を構えるほど日本という国を愛することになった理由に、三島さんの存在が大きかったと聞いています。

 父が初めて三島さんに会ったのは1966年4月18日、外国特派員協会での囲み取材の時です。一般的に三島さんは筋骨隆々の男らしいイメージが強いと思いますが、実はもともと身長が低く、加えて当時まだそれほどボディビルも完成しきっていなかったため、父の抱いた第一印象は「小さくてちょっと不健康そう」。いかにも夜な夜な原稿を書いている作家、というかんじだったそうです。しかし驚いたのは、三島さんの英語力。海外に長く住んでいたわけでもないのに発音が素晴らしく、さらに文法やニュアンスの誤差をまったく気にせず堂々と話す姿は、当時流暢に英語を話せる人が少ない日本でかなりめずらしいものでした。結果、「小さくて顔色が悪いのに態度の大きな、日本人らしからぬ日本人」と思ったそうです。

 次に会ったのは1968年。この時はホテルオークラのバーで二人きりでした。この時もやはり日本人らしからぬ、目と目をあわせて白黒はっきりものをいうところに父は好感を持ちます。アカデミックな会話を好み、話が盛り上がると100メートル先にも届くような豪快な笑い声を響かせていたそうです。ただ、その日父は待ち合わせ場所を間違えていて、落ち合うまでに三島さんを30分も待たせてしまい、最初に三島さんからこっぴどく怒られたそうなんです。それ以降、父は誰とのどんな些細な約束事でも15分前には必ず現場に着くということを徹底していました。

 それから父と三島さんは何通も手紙のやりとりを重ね、父は外国人として唯一「楯の会」の自衛隊体験入隊訓練を取材したり、森田必勝(まさかつ)へのインタビューも行いました。お互いの家を行き来して食事をするなど家族ぐるみの付き合いもするようになっていきます。父は取材を通して三島さんという人へ強烈な興味を持ち、尊敬し、徐々に友人として人として深く魅せられていったんだと思います。


ハリー杉山氏 撮影=坪田充晃(新潮社写真部)

父の病

 僕は85年に日本で生まれましたが、進学のため96年からイギリスに移り住んだので、11歳から18歳までは父と離れて暮らしていました。父はジャーナリストとしての仕事をこよなく愛する一方で、家族のこともとても大切にしてくれました。原稿の締め切り間近であっても僕とのサッカーを優先してくれたり、一人っ子の僕にとって親友のような存在でもあります。

 僕が帰国してからはずっと都内の実家で一緒に暮らしていましたが、2012年に父のパーキンソン病と認知症が発覚し、今は介護施設に入居しています。初めの頃は、あの親父がそんな病気になるはずがない、単なる老いだと、僕は父の病を受け止めることができませんでした。三島さんとの待ち合わせに失敗してから時間厳守だった父が仕事に遅れたり、ガスコンロの火をつけたまま外出してしまったりと、ありえないミスが増えているのを感じても、「やる気があれば治るだろう」と勘違いして父を怒鳴りつけてしまったり。ちょうどその頃、僕も今とは違う事務所にいて仕事について悩んでいたり、祖母が脳梗塞で倒れたりと問題が重なって、父の不調に真剣に向き合うことができなかったことは今も後悔しています。

 幸い、僕の仕事が軌道に乗り始めて経済的に家族を支えられるようになると徐々に現実とも向き合えるようになり、僕自身もシニア検定という資格を取ったり、マッサージの仕方を勉強したりして、なんとか今日までやってこられました。父はもう会話をするのもかなり困難なのですが、コミュニケーションは欠かしていません。コロナによる自粛期間の前まではほぼ毎日父のところへ通って、僕がノートに言葉を書き、ゆっくり読む。父の頭の中で意味が繋がると、微笑んだり、言葉を発してくれることがあるんです。僕自身のこと、彼の学生時代の友人のこと、それからやはり三島さんのことを書くと大きなリアクションが返ってくるので、積極的に話題にしています。

ヘンリー・スコット゠ストークス(Henry Scott-Stokes)
1938年、英サマセット州グラストンベリー生まれ。オックスフォード大学修士課程修了後、62年フィナンシャル・タイムズに入社。64年『フィナンシャル・タイムズ』初代東京支局長として来日。67年より『タイムズ』、78年より『ニューヨーク・タイムズ』でそれぞれ東京支局長を歴任した。著作に三島の伝記『三島由紀夫 生と死』(徳岡孝夫訳、清流出版 原題 "The Life and Death of YUKIO MISHIMA")ほか多数。

ハリー杉山
1985年東京生まれ。所属=株式会社テイクオフ。英ウィンチェスターカレッジを卒業後帰国し、投資銀行勤務の傍らモデル活動を開始。その後ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(中国語専攻)へ進学。現在モデル、タレント、俳優として幅広く活躍している。

スタイリング=前田順弘/ヘアメイク=豊田まさこ/撮影=坪田充晃(新潮社写真部)

新潮社 yom yom
vol.65(2020年11月20日配信号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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