本能寺の変の鍵は“働き蟻の法則”? 組織論の視点から描かれた、全く新しい歴史小説! 『信長の原理』

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信長の原理 上

『信長の原理 上』

著者
垣根 涼介 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041098646
発売日
2020/09/24
価格
814円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

本能寺の変の鍵は“働き蟻の法則”? 組織論の視点から描かれた、全く新しい歴史小説! 『信長の原理』

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:細谷 正充 / 文芸評論家)

「涼介の原理」。本書を読んでいる間、この言葉が頭の中にあった。なぜ作者は歴史小説を書くようになったのか。なぜ歴史小説に、独自のアイディアを投入するのか。それを解明することで、垣根涼介という作家を貫く原理が見えてくると思ったのである。作者の経歴から始めて、そのことを検証してみたい。

 垣根涼介は、一九六六年、長崎県に生まれた。筑波大学第二学群人間学類卒。会社勤務の傍ら、初めて書き上げた小説『午前三時のルースター』を、もっとも賞金額の高かったサントリーミステリー大賞に応募。大賞と読者賞をダブル受賞し、作家になった。以後、ミステリーのジャンルで活躍。二〇〇四年には、ブラジル移民政策を端緒にした、スケールの大きな復讐譚『ワイルド・ソウル』で、第六回大藪春彦賞、第二十五回吉川英治文学新人賞、第五十七回日本推理作家協会賞を受賞した。また、クライム・ノベル「ヒートアイランド」シリーズの人気も高い。

 その一方で作者は、二〇〇五年に、会社のリストラに直面した人々を描いた連作集『君たちに明日はない』を刊行。自身の体験を反映させたという垣根流お仕事小説で、多くの読者を獲得した。作品はシリーズになり、NHK総合でテレビドラマ化されている。

 さらに二〇一三年の『光秀の定理』から、歴史小説にも乗り出す。これがとにかく、とんでもない作品だった。明智光秀の人生に、食い詰め兵法者の新九郎と、謎の僧・愚息を絡め、読み出したら止まらない興趣豊かなストーリーを創り上げたのである。いや、実在人物の脇に架空の人物を配することは、多くの作家がやっている。そこは驚くべき点ではない。ビックリしたのは、光秀という人間と、その行動を描くために確率論──それも“モンティ・ホール問題”を使ったことだ。

 モンティ・ホール問題とは、アメリカのゲームショー番組のゲームに関する論争が由来になっている。そのゲームを要約すると、閉じた扉が三つあり、ひとつが当たりになっている。まずプレーヤーが、ひとつの扉を選び、司会のモンティが残されたふたつの扉のうち、外れの扉を開ける。ここでプレーヤーは、最初に選んだ扉を変えてもいいといわれる。この場合、変えた方がいいかどうか、という問題である。

 普通に考えると、変えても変えなくても、確率二分の一に見える。だから選ぶ扉を変えても、当たる確率が上がるとは思えない。だが実際は、変えた方が当たる確率が高いのだ。なぜそうなるのかは煩雑になるので書かない。興味のある人は、ネットで検索するといいだろう。なるほど、そういうことかと感心するはずだ。

 そしてこの問題が、大きな騒動に発展する。ニュース雑誌にコラムを連載していたマリリン・ボス・サヴァントが、モンティ・ホール問題についての読者の質問に、正解は扉を変更する。なぜなら扉を変更すれば、当たりの確率が二倍になるからだと答えたのである。これに対して、マリリンが間違っているという投書が相次ぎ、有名な数学者までが反論する騒動になった。もちろんその後、マリリンの主張が正しいことが証明されたが、とんだ御難というしかない。

 ところでこのマリリンというコラムニスト、かつて「ギネスブック」で、存命中の世界でもっとも高いIQの持ち主に認定されたことがある。おそらく彼女にとってモンティ・ホール問題の正解は、自明の理だったのだろう。だけど多くの人は、それが理解できず批判したのである。突出した才能や知性は、大衆と隔絶するということか。その観点から日本史を俯瞰すると、浮かび上がってくる人物がいる。本書の主人公の織田信長だ。

『信長の原理』は、「小説 野性時代」二〇一六年八月号から一八年四月号にかけて連載。二〇一八年八月、KADOKAWAから単行本が刊行された。『光秀の定理』の姉妹篇といえるが、内容そのものは関係ない。どちらも未読の人は、まず本書を読んで、面白かったら『光秀の定理』に手を伸ばすといいだろう。

垣根涼介『信長の原理』上巻
垣根涼介『信長の原理』上巻

 母親の愛情に恵まれず、幼い頃からひとりで遊んでいた吉法師。飽きることなく蟻を見ていた少年は、やがて奇妙な法則に気づく。餌を巣に運ぶ蟻で、真面目に働くのは全体の二割。漫然と働いているのが六割。やる気のないのが二割。この割合で動いているのだ。しかも、なぜかこの割合は、何度確認しても変わることがなかった。やがて織田信長となった少年は、人間にもこの法則が該当することに気づく。

 と書けば、すぐに分かる人もいるだろうが、本書は“働き蟻の法則”を使って、織田信長及び、彼の家臣を描いている。やがて織田家を継ぎ、勢力を伸ばしていく信長は、ことあるごとに働き蟻の法則を検証。二・六・二の割合を、さらにシンプルに一・三・一として、自分の家臣に当て嵌めるのだ。『光秀の定理』のモンティ・ホール問題に引き続き、よくぞこんなアイディアを投入しようと思ったものである。

 だが、それが本書の成功の源になっている。信長が目指したのは、自分をトップとして、配下のすべてが一所懸命に働くことだ。いうなれば究極の成果主義である。もちろん信長にも欠点はある。むしろ多い方かもしれない。また蟻の実験の結果、“この世に神は無くとも、神に近いこの世を支配する何かの原理のようなものが、存在するのか。それが、これらの事象を発生させているのか”と思うようになる。

 それでも信長は、常に思考し、準備をし、時には命を懸けて、自分のやるべきことを実行する。そうしなければ未来が切り拓けないからだ。そしてその性格から、この世の原理に逆らっても、自らの理想を追わずにはいられない。だが他の人たちには、信長にとっての自明の理が理解できない。このギャップの中から、時代の中で突出した存在とならざるを得なかった、信長像が浮かび上がってくるのである。

 さらに織田家の統一から本能寺の変に倒れるまでの信長の軌跡が、随所で働き蟻の法則と照応させながら、ガッチリと描かれている。だから、よく知っている史実を、新鮮な気持ちで読めるのだ。信長が松永久秀に寄せた奇妙なほどの厚意や、三方ヶ原の戦いを仕掛けた徳川家康の本意など、本書ならではの解釈が、面白くてたまらない。働き蟻の法則にこだわるが故に、明智光秀の心底を信長が読みそこない、本能寺の変に繋がっていくという展開にも痺れた。信長を主人公にした戦国小説は無数にあるが、その中でも特異な輝きを放つ作品となっているのである。

 しかも信長だけでなく、彼の家臣も、きっちり書き込まれている。信長の思考に迫りながら、実利主義に徹する木下藤吉郎もよかったが、感心したのが丹羽長秀の捉え方だ。彼は、熾烈な競争原理が織田家の方針だと分かっていながら、

「自分のような特に傑出した能力がない人間に、何よりも大事なのは、競争に勝ってゆく生き方を志すより、絶対に負けぬ生き方──織田家でしぶとく生き残っていく道を、確実に選ぶことだろう」

 と思う。これは働き蟻の法則で六割に所属する人間の思考だ。トップの二割に属さない人間だって、どう生きるかは考えている。信長の配下や、周囲の武将たちも掘り下げているからこそ、本書の重厚な読み味が生まれているのである。

 さて、以上のような作品の内容を踏まえながら、あらためて作者が歴史小説を執筆した理由を探ってみたい。もともと作家になったときから、歴史小説を書きたいという意識はあったそうだが、それを阻んでいたのが言語運用の問題だった。歴史小説は使える言葉に縛りがあるが、モダンな感覚を取り入れようとすれば、言語運用の縛りに対抗できるような文章スタイルが必要になる。そのため作者は『ワイルド・ソウル』の第一章で、一九六一年のアマゾンを詳しく書くというトライをした。これに手応えを感じ、本格的な準備を始め、『光秀の定理』に取り組んだのだ。

 なるほど歴史小説は、書くべくして書かれたのか。だが、それだけで納得するわけにはいかない。大雑把な分類になってしまうが、クライム・ノベル─お仕事小説─歴史小説という、一部が時期的に重なりながら、別のジャンルへと移っていく、創作の流れに注目すべきだろう。「小説トリッパー」二〇一九年冬季号に掲載されたインタビューの中で作者は、

「努力すれば報われるって言葉があるじゃないですか。それは違うと思います。報われるのは、正しい方法論で考えて努力する人間だけです。それは、自戒としても強く感じます。死ぬまで走り続けるしかない時代に、僕らは生まれてきてしまっている。何も考えずに漫然と働いている人間はやがて淘汰されます。『君たちに明日はない』も、実はそういう話です。本質はそれなんです。ジャンルは違えども、書いているテーマは、実は僕の中では変わっていない」

 といっている。“死ぬまで走り続けるしかない時代”に、どう生きるべきか。このテーマこそが「涼介の原理」なのだ。だからジャンルを変えて、常に作者自身が変化していく。それは作家として、死ぬまで走り続けるメソッドであり、覚悟の表明だ。ついでにいえば歴史小説では、現代と通じ合う戦国時代が選ばれている。詳しく触れる余地がなくなったが、動乱の室町時代を舞台にした『室町無頼』も同じ理由だろう。また、モンティ・ホール問題や働き蟻の法則を投入することで、時代に左右されない不変の法則を提示。これにより戦国時代の物語を、現代人が受け入れやすくなっているのである。内容と作品の存在そのものが、作者の姿勢を明確にしている。そこに垣根涼介の凄さがあるのだ。

 ところで『光秀の定理』『信長の原理』と読んで、次の主人公は豊臣秀吉だなと思った人はいないだろうか。私はそう思った。また別の、何かの法則を投入した作品が生まれると確信したのだ。ところが作者は、こちらの安易な予想を簡単に覆す。「週刊朝日」に連載し、今年(二〇二〇年)に単行本が刊行される予定の歴史小説第四弾『涅槃』の主人公は、戦国の梟雄として知られる宇喜多直家ではないか。いつだって作者は、私たちの意表を突き、読む気を刺激してくれる。だからこれから、ますます広がるであろう垣根流歴史小説の世界が、楽しみでならないのだ。

▼垣根涼介『信長の原理 上』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000362/

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https://www.kadokawa.co.jp/product/322007000520/

KADOKAWA カドブン
2020年12月01日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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