世界史の中心だった英独仏3国はなぜ「凋落」したのか

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英仏独3国は対立と協調を繰り返しながら、独自の国家を築いていく(写真AC)

 2021年大河ドラマの主人公・渋沢栄一は幕末に渡欧し、多くの文物・制度に衝撃を受け、帰国後に日本の近代化に貢献したことで知られています。その意味では、ヨーロッパは日本人にとって精神的な「源」ともいえるでしょう。
 一方で、テロや紛争、移民、格差など、いま世界で起きている諸問題の「源」は、主に19世紀以降のヨーロッパが生み出したのも事実。とくに英仏独3国は、中世から「対立と協調」を繰り返しながら、「国民国家」という考えを定着させるも、それによる軋轢や矛盾が、日本を含む世界を覆い、20世紀の世界大戦を経て、現在に至っています。
 歴史作家として長年、精力的に執筆を行い、『世界史を突き動かした英仏独三国志』(ウェッジ刊)の著者である関眞興氏は、世界中がコロナ禍で人類史的とも呼べる危機を迎えているいま、世界史なかでもとくに英仏独3国の「対立と協調」の歩みを紐解いて、グローバリゼーションを考え直す必要性を説いています。
 今回はその関氏に、18~19世紀に存在感のあった3国が凋落し、戦後に米ソの後塵を拝し、いまに至るまでの歴史的経緯について語っていただきました。

「戦争の18世紀」で起きた革命

 18世紀後半~19世紀初め、アメリカ独立革命とフランス革命を経験して、歴史は「近代」に入っていきます――というのはいささか型通りすぎる表現です。

「革命」はいろいろな社会的矛盾が爆発したものになりますから、それ以前のアメリカ植民地やフランス社会の抱えていた深刻な問題は無視できません。しかし、これまた紋切り型の言い方になってしまいます。ここでは国際関係を軸にして、まずフランスで革命が起きた理由を考えてみましょう。

 18世紀は「戦争の世紀」でした。ヨーロッパ各地で起きた戦争が、新大陸にも拡大し、イギリスとフランスは植民地をめぐって戦い続けました。18世紀の前半はフランス経済も好調でしたが、敗北が続き、深刻になっていきます。

 決定的になったのは、新大陸のイギリス植民地で起きた「アメリカ独立戦争」です。フランスは植民地を支援、アメリカ合衆国が独立したことで、イギリスには一矢を報いたことになりますが、財政はいよいよ逼迫しました。

 ルイ16世は財政立て直しのため、免税されていた特権階級への課税を図りました。革命の展開はここでは詳細を省きますが、一言でいうと、穏健な勢力の国王への異議申し立てから始まった革命が急進化し、改革を目指した国王を処刑するに至ります。

 しかし、急進派の支配も長くは続かず、穏健な勢力が権力を握って終結しました。そして、革命後の混乱を強力な軍事力で抑えたのがナポレオンです。

 イギリスはフランスの革命を、「自分たちは過去に経験した」という余裕をもって見ていました。もちろんフランス革命の影響は受けますが、体制そのものを変革させるような事態にはなりませんでした。

 一方のドイツでは、ナポレオンに国土を蹂躙されるなどの屈辱も経験しますが、革命によって明らかにされた自由主義への強いあこがれも出てきます。

19世紀にしのぎを削った英仏独経済戦争

 このように大混乱で始まった19世紀なのですが、長かった18世紀の戦争への反省から概して平和な時代が続きました――というほど事態は簡単ではありません。

イギリスで成功した産業革命は各国にも影響を与え、戦争よりも経済発展が図られるようになります。その結果、社会・経済そして政治においても新しい傾向が出てきます。困窮する労働者を救済するための社会主義(もう一歩進んで共産主義)思想が誕生したのはその1つです。

 その対極で、資本主義は深化されていきます。巨大産業の誕生により扱う資金(資本)も巨大化し、銀行と産業が一体化していきます(金融資本)。それらがさらなる利益を求め市場としての植民地を求めます。先進のイギリス、続いてフランス、さらに新興のドイツも中東、アフリカやアジアに進出、3国は激しく対立します。

 19世紀のアメリカは新興国です。しかし、実現された自由の下、旧本国イギリスを圧倒するような経済力をつけていきます。このアメリカにも植民地が必要になり、ラテンアメリカ諸国の市場化を図ります。モンロー主義でヨーロッパ勢力の進出をけん制しました。

 ロシアの歴史は西欧と同時代にまでさかのぼることができます。しかし、モンゴルの長い支配など、この国の発展は遅く、経済も農奴制が強固に維持されていました。18世紀にピョートル大帝やエカチェリーナ2世のような改革者も出ましたが、この国の近代化はクリミア戦争敗北後の農奴解放令が発布されて以降になります。

 そしてロシアの進出の先は極東と中央アジア、そしてバルカン半島で、日露戦争敗北後は、改めてバルカン政策が積極化されました。このような、国家が主導する対立の時代が帝国主義時代です。

20世紀に引き起こされた「30年戦争」

 第1次世界大戦と第2次世界大戦を合わせて20世紀の「30年戦争」ということが多くなってきました。この2つの世界戦争を経過する中、新しい世界秩序が生まれ、イギリスとフランス、ドイツ3国が主導した国際秩序は崩壊していきます。

 第1次世界大戦ではイギリス・フランス・ロシアの間に成立した三国協商が、ドイツ・オーストリアと戦いました。多くの国が参戦したのですが、ここに書いた5国では勝敗が付かず、最後はアメリカが介入して、ドイツ・オーストリアの敗北で終わりました。アメリカの力を見せつけました。

 ところがこの戦争末期、もうひとつ世界史上の大事件、ロシア革命が起こりました。社会主義思想は、労働者の解放を目指していますが、先進資本主義国家より、後進資本主義国のロシアで社会主義政権が打ち立てられたのです。ロシア革命の成功は、ロシアは言うに及ばず、各国の労働者、さらに、帝国主義諸国の搾取に苦しんでいた植民地にも大きな影響を与えていきます。

 第1次世界大戦はすべての責任がドイツにあるという立場で講和が行われたため、ドイツ人の不満が大きく、やがて誕生したナチスが第2次世界大戦を引き起こしました。この戦争では、フランスは簡単に占領され、大きな戦闘がないままドイツは東ヨーロッパなどに領土を拡大しました。しかし、米英ソを中心にした連合軍が巻き返し、45年ドイツの敗北でヨーロッパの戦争は終わりました。

 この時、イギリスの果たした役割も小さなものではありませんでしたが、恐慌後の経済政策で圧倒的な軍事力を持つに至ったアメリカと、ドイツと戦いながら体制を強固なものにするため強引ともいえる政策を行ってきたソ連も、軍事大国に育っていたのです。

米ソ対立で凋落した英仏独

 悲しい現実ですが、国力は軍事力に反映されます。第2次世界大戦はそれを証明しました。問題は2つの超大国の政治体制が異なっていたことです。資本主義と社会主義という相容れない理念の対立も顕在化しました。両国の覇権争いは第3次世界大戦の危機をはらんだものにもなりました。

 第2次世界大戦の敗戦国で連合国の占領下に置かれたドイツ、そのドイツの占領下に置かれ、軍事的には発言力を持てなかったフランス、米ソと並び対ドイツ反撃作戦の中核になったイギリスと、大戦へのかかわり方は三者三様でした。

19世紀の世界史の中心であった3国が凋落したことは確かです。ただしソ連が受けた損害も大きなものがあり、立て直しとアメリカへの対抗心から、その政策には強引さが目立ち、米ソの対立は戦闘にはならなかったものの「冷戦」といわれる危機的な現実が生まれました。

 さて、アメリカとソ連(現在はロシア)は、見方にもよりますが、共に英仏独3国の「子供」ということができます。イギリスから独立したアメリカは、親にあたるイギリスが生み出した現実的な知恵を自由に発展させ強国に成長しました。親であるイギリスは頼もしい息子ではあるとしても、親のメンツも保ちたいところです。

 一方のソ連(ロシア)はいろいろな面で遅れており、西ヨーロッパは憧れであり模範でもありました。19世紀、それを強く意識して近代化に取り組みましたが、ロシアが取り入れた文物では、西欧で生み出された社会主義が一番の影響力を持ったのです。英仏独3国でも無視できなかった社会主義への取り組みは一様でありませんが、ロシアにしてやられたという思いもあったはずです。

 ソ連の社会主義は挫折しました。アメリカの覇権主義にも陰りが見えています。2020年はコロナ禍にも見舞われました。そのような世界で、長い伝統を持つ英仏独3国が、世界のモデルになれるような新しい政策が打ち出せるか注目されている「現代」と言えます。

ウェッジ
2020年12月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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