『魂の邂逅』
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類い稀なふたりの関係を日記、書簡、発言などから辿る
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
ふたりの表現者が五十年以上にわたり親密な関係を保つだけでも稀有なことなのに、異性の間柄で、しかもそれぞれに家庭を持っていた。一方は『苦海浄土』の著者、石牟礼道子、もう一方は『逝きし世の面影』で知られる渡辺京二。
渡辺は自身が創刊した『熊本風土記』に『苦海浄土』の元となる連載を依頼した縁で石牟礼と知りあい、水俣病闘争をともに闘う仲間となる。石牟礼の晩年には日々の食事を作り、看病に通うなど、彼女の人生を根底から支えつづけた。
その類い稀な関係を、ふたりの日記、書簡、発言などを引用しながら辿っていく。著者の考察は控え、なぜふたりがこれほど惹きつけられたかを、読者自身が想像するように導く。読み終えた後に思わず人と語ってみたくなる本である。
石牟礼は水俣病闘争の活動家という印象が強いが、同じ熊本で公害問題を目撃してきた渡辺にとっても反体制の生き方は必然だった。だが闘争運動では勝つことが目的化され、思いは二の次となる。いや、思いよりももっと切実な人間の本質的な悲しみが忘れ去られ、別のものにすり替えられていく虚しさに、ふたりの魂は強く共振し、互いを必要としたのではないだろうか。
石牟礼がいるのは〈この世の生存の構造とどうしても適合することのできなくなった人間、いわば人外の境に追放された人間の領域〉だという渡辺の言葉を引き、著者は言う。
「渡辺がそう書くことができるのは〈人外の境に追放された人間の領域〉を渡辺もまた知っていたからである」
人間界から見れば「人外」だが、自然界からすると話が逆で、近代以降、人間だけがそこから外れてしまったのだ。その事実に敏感に反応せずにいられない二つの魂が出会い、死への渇望を乗り越え、互いを生きる杖として長い人生を全うする。人の出会いの奥深さを想う。