余命少ない子どものためのホスピス その誕生劇に見る「生」と「幸福」の価値

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余命少ない子どものためのホスピス その誕生劇に見る「生」と「幸福」の価値

[レビュアー] 佐々涼子(ノンフィクション作家)

 がんで亡くなった友人が、生前こんなことを言っていた。「長さでは測れない命の質というものがあるんです」。今でも時々考える。命の質とはなんだろう。本作を読むと、子どもたちが答えを教えてくれる。これはがんなどの難病の子どもたちが「深く生きる」場としての、民間のこどもホスピス誕生とその後を描いた群像劇である。

 八〇年代、医療にとって死は敗北であり、子どもも過酷な闘病を強いられた。だが、どれだけ頑張っても中には命を落とす子もいる。病名を伏せられ、管理され、苦しい治療で一生を閉じた子は、時には「恨んだ目」をして死んでいく。残された家族が崩壊することもしばしばだ。医療者も家族も、子どもにつらい人生を強いたのではないかと後悔に苛まれた。

 一方、海外に目を向けると、イギリスには、子どもが「病人」ではなく、ひとりの子どもとして生きることを尊重される場が用意されていた。そこでは治療中の子どもであっても、やりたいことをやり、会いたい人に会える権利がある。しかも、家族のための支援もなされるという。日本でもイギリスのホスピスをモデルにして、治療一辺倒ではない全人的なケアができないか。医療関係者や家族、ボランティア。さまざまな人々が子どもたちのために動き始める。

 大人だけではなく子どもも声を上げた。大阪の高校生、久保田鈴之介君は、病気の子どもたちが勉強できる環境を整えるよう当時の橋下徹市長に働きかけ、院内学級を実現させる。彼は病の再発に苦しみながらも、夢をあきらめず、その命のぎりぎりまで勉強し続けた。子どもたちにとって、学び続けることがどれほど未来に希望をつなぎ、成長を実感することなのかを読者は彼に教えられるだろう。その健気さ、ひたむきさに、悲しみより感動で心を震わされる。「よく生きたね」、そう言って思わず拍手をしたくなる。

 本作を読みながら、子どもたちに教えてもらうことがたくさんあった。幸せとは、普通の部屋で暮らすこと、友達とのおしゃべり、アイロンビーズづくり、人を好きになること、みんなで開くパーティー。どれもこれもささやかなこと。しかし、その小さな胸をこの世界の楽しいこと、美しいことで思いきり満たすことができたら、人生は長さでは測れない、その子だけのきらめく命の軌跡となる。

 読めば、全ての子に深く生きる機会をと願わずにいられなくなるだろう。これは慟哭の書ではない。紛れもなく希望の書だ。

新潮社 週刊新潮
2021年1月21日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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