矢口高雄さんはなぜ「津波」がテーマのマンガを描いたのか 評伝著者が語るマンガ家矢口高雄の素顔③

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「激涛~Magnitude7.7」と「大津波に襲われた」

 2020年11月に亡くなったマンガ家の矢口高雄さんの代表作といえば、「釣りキチ三平」「マタギ」を挙げる人がほとんどだろう。しかし、それ以外に自然の脅威を正面から扱ったこんな異色作があるのをご存じだろうか。東日本大震災で数多くの命が失われるよりも20年近く前、矢口さんは津波の恐ろしさをマンガで訴えていたのだ。
 評伝『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』の著者、藤澤志穂子さんによる追悼記事、最終回は、その異色作にかけた思いに関するエピソードである。

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 2020年11月にすい臓がんで亡くなったマンガ家の矢口高雄さんは、代表作「釣りキチ三平」以外にも数多くの作品を残しました。中でも異色なのは津波被害を検証した「激濤~Magnitude7.7」(小学館「ビッグコミック」1989-90年連載)で、30年も前に発表された作品です。矢口さんの故郷:秋田県を襲った1983年5月の日本海中部地震が題材で、タイトルは地震の規模を示した数字です。矢口さんは津波被害を検証、2011年に起きた東日本大震災より20年以上も前から、津波に対して無知だった我々に警鐘を鳴らしていました。この作品はタイで翻訳され、津波の教則本として活用されています。
 筆者の取材に、矢口さんは次のように語って下さいました(以下、引用はすべて『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』より)。

「地震が起きたら高台へ逃げる『津波てんでんこ』という言葉は、東日本大震災の後で知られるようになった。だが当時は誰も知らず、地震が来たら『山が崩れるから海へ逃げろ』という言い伝えまであった」

 1983年の日本海中部地震は、沿岸部で104人が死亡、うち83人が秋田県の犠牲者で、ほとんどが津波による被害者でした。矢口さんは秋田県つり連合会が同年、地震の被害を受けた釣り人や遺族に聞き取り調査をしてまとめた記録「大津波に襲われた」を入手、内容に驚き、中学時代の恩師の甥が、釣りの最中に津波にさらわれて亡くなっていたことも知りました。自身も釣り人として記録に「突き動かされ」、マンガ化を思い立ちました。


マンガ家・矢口高雄さん

「釣り人たちに警鐘を鳴らす作品を描きたい」「地震大国の日本で、津波はどこでも起こりうる災害と知ってほしかった。『のど元過ぎれば熱さを忘れる』ではいけない」

 1986年には被害の大きかった男鹿半島(秋田県男鹿市)の海岸沿いを、地元の人々の案内で取材します。海沿いを歩くうち、知られていなかった津波の恐ろしさが被害を大きくしたことが分かってきます。釣り人たちが地震に気づくのが遅れ、津波に巻き込まれたケースもありました。

「海のそばにいると地震の揺れを感じにくい。磯釣りの現場は、長い時間をかけて日本海の荒波に打ち砕かれた場所で、強固な地盤が残ったから、揺れを感じにくかったのかもしれない」「磯釣りの際にライフジャケットを着るのは常識だが、当時はそうではなかった」

 この地震の最大の悲劇と言われるのは、加茂青砂海岸で、バスで遠足に訪れた小学生と引率教員が津波に襲われ、13人が亡くなったことです。児童たちは地震に気が付かないままバスを降り、海岸で昼食を食べようとした瞬間に津波に巻き込まれました。矢口さんは当時、子供たちを助けようとした付近の住民や漁師に話を聞きます。

「手を伸ばせば届くようなところにいた子供たちが引き潮に巻き込まれて消えていったそうです。大きな衝撃を受けました」

 矢口さんは出版社にマンガ化を持ちかけました。ですが「社会的な意義はあるテーマだが地味」と却下されてしまいます。実現したのは3年後の1989年で、「事実に基づいたフィクション」として作品を描きました。加茂青砂海岸の顛末も、何とかして描きたいと考えたものの、見送りました。遺族が学校の責任を追及する訴訟の動きがあったためでした。東日本大震災で訴訟になった、大川小学校(宮城県石巻市)のような事態がすでにあったのです。

 その後、「激濤」はタイで、津波の教則本として活用されました。スマトラ島沖地震(2004年12月)で津波被害を受けた日系NGOがタイ語に翻訳、日本政府の助成を得て2007年に現地の小学校や図書館に計6000部を無償配布しました


「激涛~Magnitude7.7」のタイ語版(三平ギャラリー所蔵)

 2011年の東日本大震災の折、矢口さんが運営を協力していた石ノ森章太郎さんの記念館、石ノ森萬画館(宮城県石巻市)が津波に襲われました。その経緯をマンガにする話が持ち上がり、「Magnitude7.7」を描いていた矢口さんが真っ先に描き手候補にあがります。ですが体調不良により叶わず、「仮面ライダー」シリーズを手掛けた村枝賢一さんにより「風の絆~東日本大震災を駆けた男たち~」という作品が生まれました。矢口さんは「残念だった。でも『風の絆』も多くの子供たちに読まれるようになってほしい」と話していました。

 矢口さんは事実を徹底的に取材して検証し、警鐘を鳴らす――ジャーナリストのような視点を持ったマンガ家でもありました。

藤澤志穂子
元産経新聞秋田支局長。学習院大学法学部政治学科卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学ビジネススクール客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に「出世と肩書」(新潮新書、2017)。東京都出身。

藤澤志穂子(元産経新聞秋田支局長)

新潮社
2021年1月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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