『暗殺の幕末維新史』
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暗殺の幕末維新史 一坂太郎著
[レビュアー] 長山靖生(思想史家)
◆テロ頻発 政局絡み陰惨化
暗殺は一種のテロであり犯罪だ、とふだん私たちは考えている。だが時に暗殺者は思想を同じくする人々から英雄視され、国家規模で讃(たた)えられるケースすらままみられる。
暗殺は古代から現代まで世界中で起きてきたが、なかでも幕末維新期の日本ほどテロが頻発した例は珍しい。その件数は黒船来航から王政復古までの十数年に、実に百件以上に上るという。本書は大津浜異人上陸事件や吉田松陰のペリー暗殺計画にはじまり、幕末の「天誅(てんちゅう)」の嵐を経て明治新政府高官暗殺に及ぶ。
なぜ幕末維新はそんなに暗殺がはやったのか。人々が強い危機感に駆られたことに加えて、武士の時代だったからというのも大きいだろう。江戸時代は文治政策が取られたが、武士が戦いを本分とする存在なのは戦国時代と変わらず、大名行列も行軍だった。江戸市中の登城行列も同様で、桜田門外で井伊直弼が襲われた際、無傷だった彦根藩士は士道不心得として処罰された。襲う側も合戦のつもりだったのかもしれない。
だが幕末も文久年間となると、次第に暗殺の様相が変化してくる。要人を直接襲うのではなく、周辺の人物を狙うことで権力を揺さぶり、政局を有利に展開させようとの「言路洞開」が増えていくのだ。巧妙かもしれないが陰惨な手法であり、復讐が復讐を生んでいくことになる。
殺された側も殺した側も、立場や思想は異にするものの、時宜を得れば活躍できた有為の人材だった。惜しい限りで、せめて議論の場があればと現代の観点からは思うのだが、身分が違えばまともに口もきけない封建制度のもとでは「話せば分かる」はあり得なかったのかもしれない。
それどころか明治以降も評価の対立が続いた。井伊直弼と水戸浪士、それぞれを顕彰する人々が反発し合った経緯は興味深い。価値観が対立する局面は現代も随所にみられ、思い込み交じりの信念と対話の努力のあいだで、社会は常に揺れている。私たちは何に努め、何を大切にし、どのような社会を目指すべきか、考えるヒントがここにある。
(中公新書・902円)
1966年生まれ。萩博物館高杉晋作資料室長。著書『長州奇兵隊』など。
◆もう1冊
栗原康監修『日本のテロ 爆弾の時代60s−70s』(河出書房新社)。あの時代を政治と暴力と文学から考える。幕末維新の暗殺との違いは何か?