『だまされ屋さん』
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コロナ禍で「家族」を問う
[レビュアー] 朴沙羅(ヘルシンキ大学文学部文化学科/社会理論・動態研究所)
家族は、しばしば幸福の源であるかのように語られたり、描かれたりする。その反面、「毒親」という単語を目にするようになって久しく、虐待やドメスティック・バイオレンス、引きこもりなど、家族が抱える様々な問題もしばしば報道される。大人も子供も何か問題を起こせば、家庭が話題にされる。親は良き親でいられずに苦しみ、子供は親に縛られる。家族は大変な時に私たちを守ってくれる砦でもあれば、私たちを困難に追い込むリスクでもある。
こんなに問題を抱える家族が多いのであれば、それは個人や家庭だけが原因なのだろうか。
この小説に登場する人々は、揃いも揃って、家族に問題を抱えている。結局は子育てに無関心なまま他界した父親。「月並みな子育て」をしたはずなのに子供たちから絶縁されてしまった母親。正義を振りかざす小心な長男。借金を繰り返す次男。DVを受けたあとシングルマザーとして子供を育てる長女。長男と次男の配偶者たち。小説の前半は、まさに家族の間でしか感じられないような、行き場のない閉塞感に満ちている。
厄介なことに、それぞれの登場人物が、入れ替わり立ち替わりに自分の置かれた状況を語るのを読んでいくと、こうなったのは仕方がないように思えてくる。誰もそこまで悪くないし、みな自分なりにがんばってきたはずなのに、なぜこんなに抜き差しならないことになってしまったのだろう。男はかくあってはならない、母ならこうしなければならない、子供はこうしなければならない─みな、そういう思い込みにがんじがらめにされている。
その膠着状態は、どう考えても怪しい男性と女性が入ってくることによって、次第に変わり始める。自分たちしかいなかったはずの、家族という小さな牢獄に、歴史も前提も共有しない、空気を読まない人々がやってきて、牢獄の窓を少しだけ開ける。登場人物たちは、抱え込んできた思いや感情を言葉にすることを通じて、自分たちを縛っていた呪いを解き、その牢獄から出ようとする。
2020年の春から、家族以外の人々と出会う機会は減った。家族以外の人々や場所が果たしてきた役割は、家族に負わされた。他方で2020年には、結婚する人々の数も、生まれる子供の数も、少なくなると言われている。失業する人が増え、景気が悪くなるなら、さらに結婚したり子供を産んだりする人の数も減るだろう。
家族に期待される役割が大きすぎるとき、人々は家族から逃げ出す。それなら、家族の果たす役割が小さくなれば、人々は家族を作り始めるかもしれない。そうして生まれた家族なるものは、今の私たちが想像するような、あるべき家族の姿とは違うかもしれない。それは、どんな人間関係なのだろうか。この小説には、著者のサッカー(と相撲とラテンアメリカ音楽)への愛とともに、まさにいま読まれるべき問いが詰まっている。