浪花節(なにわぶし)で生きてみる! 玉川奈々福著
[レビュアー] 太田和彦(作家)
◆編集者辞し ささげた浪曲再興
何年も前、浅草木馬亭で玉川奈々福嬢の浪曲を聞き、流麗な「節」、腹に響く「啖呵(たんか)」、沢村豊子曲師三味線のスカッと明快な強い芸に心奪われた。以来、胸のすく「次郎長伝 お民の度胸」、詩情あふれる「銭形平次捕物控 雪の精」、格調高い「仙台の鬼夫婦」、それはまだ民が愚かという貴い徳をもっていた時代…と始まる谷崎潤一郎の原作に想を得た新作「金魚夢幻」など浪曲の芸幅、深さ、面白さにはまってゆく。
世間を斜に見て粋を尊ぶ知的な高座芸である落語に比べ、社会の底辺で生まれた大道芸の浪曲は、道行く人の足を強引に止め、とことん唸(うな)って感情に訴える暑苦しい芸と本人は言う。歌舞伎や能のような流派家元はない全くの大衆芸として明治に始まり、知識人に「お涙頂戴」とさげすまれても、終戦後の苦しさが続く昭和三十年代前半まで最も人気の芸能だったが、高度成長期にみるみる衰退。浮かれた世の中に「我慢」や「情」の美徳は捨てられた。
しかし大災害や病魔の昨今<本来、人は苦しみや悲しみを抱えて生きていくもので、危機的状況がいつでも起こり得るこの世の中において、悲しみを慰めてくれる物語が、人が生きる上で必要とされる時もあるかもしれない>は説得力があり、私がとりこになったのもそれゆえだろう。忘れかけていた真っすぐな心をよみがえらせたのだ。
一方興味を持ったのは、上智大学を卒業後、出版界に入り、筑摩書房では鶴見俊輔、井上ひさし両氏らに従(つ)いて日本文学全集を編むなど名編集者として知られた前歴だが、それを表にしない姿勢は「異色の浪曲師」などと呼ばれたくない覚悟の定まりだった。週五日は編集業、土日は過酷な浪曲修業を十九年も続けて倒れて会社を辞し、一気に浪曲再興につき進む。この初めての書は、修業の日々、浪曲の歴史、特質、名人伝などを慣れた筆力で読ませる。
楚々(そそ)として演台に進み立ち、うつむいて気を集中。そして面を上げた裂帛(れっぱく)の第一声よ。「(出版)待ってました」「奈々福、いい女、日本一!」
(さくら舎・1760円)
浪曲師・曲師。欧州や中韓でも公演。プロデュースも手掛け、第十一回伊丹十三賞受賞。
◆もう1冊
『浪曲師 玉川太福読本』(CDJournal)。玉川太福特集ムック。