蘇我馬子は実は傑物だった? 日本最古の“悪役”の素顔を歴史作家・伊東潤が語る

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覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子

『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』

著者
伊東潤 [著]
出版社
潮出版社
ISBN
9784267022753
発売日
2021/03/05
価格
1,980円(税込)

蘇我馬子は実は傑物だった? 日本最古の“悪役”の素顔を歴史作家・伊東潤が語る

[文] コルク


作家・伊東潤

歴史作家の名手、伊東潤の新作は、飛鳥時代の王権を支えた蘇我氏四代の二代目にあたる馬子を視点人物に据えた長編小説『覇王の神殿(ごうどの)日本を造った男・蘇我馬子』(潮出版社)。功罪半ばする日本最古の“悪役”と言われる蘇我馬子を中心に、推古天皇・厩戸皇子との愛憎劇や人間ドラマを描いた本作の発売にあたり、今、飛鳥時代をとりあげた背景や、執筆のきっかけについて語ってもらった。

国家へとまとまっていく過程や人間ドラマを描きたかった

――本作を書こうと思ったきっかけは何ですか。

伊東潤(以下伊東):私が掲げるテーマの一つに「この国を造った男たちを描いていく」というものがあります。そのテーマに沿った作品としては、『江戸を造った男』『修羅の都』『威風堂々 幕末佐賀風雲録』(2022年初頭発刊予定)といった作品が挙げられますが、それでは、この国を最初に造ったのは誰かと思い、調べていくと行き着いたひとりが蘇我馬子だったのです。
これまで蘇我氏の物語としては、四代入鹿と中大兄皇子らの時代を描くものが多かったのですが、あえて主人公に馬子を据えることで、豪族たちの集まりでしかなかった大和朝廷が、国家というものにまとまっていく過程を描きたかったのです。

――本作の読みどころはどこにありますか。

伊東:やはり力強い人間ドラマですね。当時を生きる人々にも感情はあります。誰かを好きになったり、大切な人を失って悲しくなったりするのは、今を生きるわれわれと変わりません。しかし研究本には、そうした感情は描かれません。歴史研究とはそういうものなので当然なのですが、感情部分が伝わらないと共感が湧かず、また史実上の言動さえ理解し難いものになってしまいます。そこに小説の存在意義があります。
むろん小説でも、勝手に歴史を書き換えることはご法度です。それゆえ史実を歴史解釈として提示した上で、感情の籠もった人間ドラマにしていくことが大切なのです。
本作はこれまで以上に、そうした人間の感情部分を深く書いていきました。
馬子の物語を書き終わった今は、歴史は感情が動かしていくものだと痛感しています。

――飛鳥の風景描写が多く入り、とても想像力をかき立てられます。

伊東:今回も「そこに連れていく」ことを念頭に置き、日本人の遺伝子に刻まれた飛鳥の原風景を描き込みました。脱稿後すぐに取材にも行ったので、もっと書きたいと思ったのですが、泣く泣く重複するような描写は削り取りました。
また風景描写だけでなく、当時の風習、儀式、食べ物、髪型、甲冑なども、しつこくない程度に書きました。こういうのは書き始めるときりがなくなり、ストーリーラインが曖昧になるので「ほどほど」にしています。それでも読者の皆さんを、当時の飛鳥にお連れすることができると思います。

現代社会まで影響を及ぼした蘇我馬子

――蘇我馬子は何を成し遂げたのですか。

伊東:これまでの馬子は、大王家に取って代わろうとした悪の権化のように描かれてきましたが、実際は推古大王と二人三脚で国家の基盤を整えた一代の傑物だと分かってきました。
古代国家では政治と宗教が並立するほど大切でした。稲目と馬子が国家統治の基盤に仏教を据えたことで、日本は仏教国家となり、それが現在でも全国七万二千余の寺院数として残されているのです。
もし物部氏が蘇我氏に勝ち、日本古来の神々が信仰対象になっていたとしたら、その理論的基盤の脆弱性から、宗教が根付くことはなく、今の国家の姿は違ったものになっていたと思われます。戦国時代以降、キリスト教が深く浸透し、日本は韓国やフィリピンのようにキリスト教国家になっていたかもしれません。その点、馬子の成し遂げたことは、よかれ悪しかれ現代社会にまで影響を及ぼしているのです。

――蘇我馬子とは、どのような人物だったのですか。

伊東:意志堅固で果断な上に行動力があり、何事にも動じない、まさに政界のトップにふさわしい人物だったと思います。しかし本作は馬子の若い頃から最晩年までを描いたものなので、最初からそういう人物としては描きません。様々なことに悩み、葛藤し、苦渋の決断をせねばならなかった一人の男の成長過程を描きました。
また本作は単純な立身出世物語ではなく、人間的な最盛期を中年の頃とし、馬子の「老いによる衰え」までを描きました。というのも私自身六十歳を迎え、老いによる衰えを意識し始めたからなんです。
鎌倉時代初期を描いた『修羅の都』は源頼朝のある病を老いの象徴としましたが、本作の馬子は老いても健康で、なおかつ頭脳も明晰なままでありながら、人として衰えていってしまう悲哀を描きました。
これまで当たり前にできていたことができなくなるのは、実に辛いことです。私自身、数年前まで平気でジョギングしていたのに、今は膝の痛みからウォーキングになりましたし、得意の水泳も休まずにターンして1km泳ぐなんてことは何でもなかったのですが、今は何度も休みを入れないと難しくなってきました。そうした私自身の衰えを本作の馬子に託しました(苦笑)。

推古帝・馬子VS 廐戸皇子の対立構造はあったか

――書いていて何がたいへんでしたか。

伊東:古代史には詳しくなかったので一から勉強です。古代史は何から何まで平安時代以降とは違います。文化や風習から食べているものまで学んでいくのは実にたいへんでした。「小説は十を知って一を書く」ものですから、小説家は大量の知識を消化し、自在に操れるようにならなければいけません。
それでも次々と新たな時代の新たな題材に挑み続けられるのは、「この国の歴史というものを俯瞰し、小説という枠組みを使って次の世代に伝えていきたい」という志があるからです。

――厩戸王子は病死というのが定説ですが、そのあたりをいかにお考えですか

伊東:もちろん病死だと思います。しかし推古帝と馬子の飛鳥方と厩戸王子の斑鳩方(いわゆる上宮王家)の間で対立がなかったかと言えば、それは言い切れません。
つまり以下の三点を解き明かさない限り、馬子の生きているうちから、双方の対立はあったと考えるのが自然です。
・推古帝はなぜ厩戸に譲位しなかったのか
・仏教の中心地が、なぜ飛鳥と斑鳩に分かれたのか
・蝦夷の跡を継いだ入鹿は、なぜ山背大兄王子(厩戸亡き後の上宮王家の首長)を討ったのか
歴史に謎は付き物です。それを解き明かしていくのは歴史研究の仕事です。しかし古代史は史料も少ないため、こうした謎を小説という枠組みの中で、歴史解釈として提示していく余地は十分にあると思います。

――伊東さんはこれまで現代の写し鏡として歴史を描いてきましたが、本作のメッセージはどこにありますか。

伊東:人というのは目先の問題を解決することに囚われ、つい大局を見失ってしまうことがあります。とくに老いてくると疑心暗鬼に囚われがちになり、取り返しがつかない判断をしてしまうこともあります。
例えば、豊臣秀吉は自らの後継者に甥の秀次を指名しました。ところがその後、秀頼が生まれることで、秀次が邪魔になります。そして自らの死後、秀次が秀頼を殺すのではないかという疑心暗鬼に囚われ、秀次を殺してしまいます。それにより中継ぎがいなくなり、本来の敵である徳川家康に天下を奪われてしまうわけです。
これなどは疑心暗鬼で身を滅ぼしてしまう典型例で、老いて衰えることの恐ろしさを物語っています。
馬子も秀吉と同じように老いていくに従って若き頃の英気を失い、決断力が鈍り、疑心暗鬼に囚われていきます。こうした疑心暗鬼は、秀吉や馬子といった天下人だけでなく、老いれば誰もが陥ってしまうかもしれないことなのです。

是非多くの方に『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』を読んでいただきたいと思います。

コルク

CORK
2021年3月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

CORK

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