ようこそ、いらっしゃいまし。時代小説の名手が贈る江戸の“お店”小説集!『商売繁盛 時代小説アンソロジー』解説

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ようこそ、いらっしゃいまし。時代小説の名手が贈る江戸の“お店”小説集!『商売繁盛 時代小説アンソロジー』解説

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:末國 善己 / 書評家)

 お仕事小説が、人気を集めて久しい。この背景には、終身雇用、年功序列を維持する企業が減り、非正規で働く人が増えるなど労働環境が激変するなか、どのような働き方を選択すべきかに迷う人たちが増えている現状があるように思える。

 実は、お仕事小説というジャンルが定着する前から、時代小説には商人や職人など働く人たちをクローズアップする作品が多かった。そのことは、大正末期に近代的な時代小説を作る大衆文芸運動をリードした白井喬二が、建築家が奇怪な事件に巻き込まれる短篇「怪建築十二段返し」でデビューし、築城家の二つの流派の確執を追った大河ロマン『富士に立つ影』を代表作とすることからも明らかだろう。

 お仕事時代小説は、山本周五郎、藤沢周平、北原亞以子、宇江佐真理、山本一力らによって継承されながら発展し、現代に至っている。本書『商売繁盛 時代小説アンソロジー』は、現在、お仕事時代小説を牽引している女性作家が発表した傑作五篇をセレクトした。いずれの作品も、江戸の情緒や当時の働き方、商売のあり方などを丁寧に描きつつ現代的なテーマも浮かび上がらせているので、過去の出来事とは思えないほどのリアリティが感じられると考えている。

『商売繁盛 時代小説アンソロジー』著:宮部みゆき、朝井まかて、梶よう子、西...
『商売繁盛 時代小説アンソロジー』著:宮部みゆき、朝井まかて、梶よう子、西…

 巻頭に置いた朝井まかて「晴れ湯」は、江戸の町で様々な仕事をしている人たちに着目した短篇集『福袋』の一作で、湯屋を舞台にしている。

 江戸の各町内には最低でも一、二軒はあった湯屋は、毎日入浴する習慣があった江戸の人たちの社交場の役割も果たしていた。そのため湯屋は、市井ものの時代小説では必ず登場するが、その実情に詳しい読者は少ないのではないか。作中には、菖蒲湯の日は客が湯銭のほかに祝儀を出す、備えつけの小桶は無料だが、その人専用の留桶は節句ごとに二百文出して新調するなど、知っているようで知らない湯屋の内情が活写されており、そこも読みどころになっている。

 本作の主人公は、神田松田町にある松乃湯を営む夫婦のひとり娘で、十歳になったお晴。両親が考えている以上に家業の手伝に情熱を注いでいるお晴は、早く湯屋の仕事を覚えようと懸命に働いている。好きな仕事に打ち込んでいるお晴だが、自分より仕事を覚えるのが早い後輩の少年が現れたり、日常的に裸を見る仕事であるがゆえに手習塾の仲間に揶揄されたりすると、落ち込むこともある。

 どんな仕事をしていても、お晴のような葛藤を抱えることがあるので、悩みながらも前に進むお晴には共感も大きいのではないだろうか。

 梶よう子「月に叢雲、花に風」は、江戸後期に広まった三十八文店、現在でいえば百円ショップの「みとや」を経営する長太郎とお瑛の兄妹を主人公にした『ご破算で願いましては』の一篇である。

 長太郎が仕入れてきた守り刀が、夜中に鳴動を始めた。噂話によると、昔、武家の姉妹の血を吸った守り刀があり、その刀を手にした因業な質屋が連続して不審な死を遂げたという。お瑛は「みとや」にあるのが、祟る守り刀だと考え怯える。

 小間物問屋の大店だった実家を手放した過去がある長太郎とお瑛は、「みとや」を発展させて実家を再建したいと考えている。祟る守り刀という怪談が、お瑛たちの目標と重なっていく意外な展開になる本作は、会社が倒産したり、リストラされたりした人が再チャレンジできない状況が、社会の閉塞感に拍車をかけている現状への異議申し立てのようにも思えた。

 「利休鼠」は、〈しゃばけ〉と並ぶ畠中恵の人気シリーズで、付喪神と化した古道具を数多く扱う古道具屋兼損料屋「出雲屋」を営む清次とお紅を主人公にした『つくもがみ貸します』の一篇である。損料屋は現代でいえばレンタルショップで、井原西鶴が一六八八年に刊行した浮世草紙『日本永代蔵』にも言及があるので、その歴史はかなり古いといえる。

 近所にある岡場所へ商売に出掛けた清次は、常連の遊女から付喪神が関係するトラブルで困っている武士を紹介された。そのため岡場所の揚代や、遊び方、働く女性の実情などが詳しく描かれているのも興味深い。問題の武士・佐久間勝三郎は次男だったが、嫡男が亡くなった名家の蜂屋家に婿入りすることが決まった。蜂屋家では跡取りが鼠の形の根付けを継承していたが、その根付けが鼠に変じ逃げ出したという。根付けを捜して欲しいと頼まれた清次は、「出雲屋」が持っている古道具を蜂屋家などに持ち込み、付喪神たちが集めた情報をもとに謎を解こうとする。

 本作には長く使われた道具は本当に付喪神になるというシリーズのルールを利用した仕掛けがあるので、真相が明らかになった時には驚きも大きいはずだ。奇妙な事件を通して、家族の世話で貧困に陥る現実、出世する人間に否応なく感じてしまう嫉妬心など、現代とも無縁ではない問題を浮かび上がらせたところも鮮やかだ。

 上野の寛永寺、不忍池の周辺は、江戸時代から風光明媚な観光地として有名で、現在でいえば料亭の料理茶屋が立ち並んでいた。その一方で人が押し寄せる寺町ということもあり、男女に密会の場を提供する出合茶屋も多かった。西條奈加「千両役者」は、この界隈を舞台にした『上野池之端 鱗や繁盛記』の一篇である。

 鱗やは池之端にある料理屋だが、高級店だったのは今や昔、場末の岡場所も同然に落ちぶれていた。そんな鱗やの再建に乗り出したのが若旦那の八十八朗で、店を全面リフォームし、女中の着物も一新する。さらに姑が贔屓にしている人気役者で食通としても有名な小村伴之介を囲む会を、鱗やで開くことも計画する。こうした八十八朗の改革は、店のイメージと信頼性を高めるブランディングや、インフルエンサーを使ったマーケティングといえるので、経営の参考になるほどだ。

 だが伴之介を囲む会で、落花生にアレルギーがある客に、落花生油が入った食事を出してしまう。誰がどのように落花生油を入れたのかを探るところは、「月に叢雲、花に風」「利休鼠」と同様にミステリとして秀逸で、八十八朗のトラブルシューティングの見事な手際は、不祥事対応が苦手な日本企業への皮肉とも読める。

 宮部みゆき「坊主の壺」は、怪談集『お文の影』の一篇である。

 斎藤月岑『武江年表』は、一八五八年のコロリ(コレラ)の流行を「この病に終れる者凡弐万八千余人、内火葬九千九百余人なりしといふ。実に恐るべきの病」と書いている。本作は幕末のコロリの流行を背景にしており、その描写は生々しい。

 本作は、コロリのたびにお救い小屋を出している材木問屋田屋の主人・重蔵の活動を、重蔵に救われた少女おつぎの視点で描いている。そのため、材木の商いではなく、現代的にいえば企業経営者によるボランティア活動を軸にしたといえる。

 江戸時代の商人は、丁稚、手代、番頭へと出世する過程で、店主や上司、先輩から商売のノウハウだけでなく、質素、倹約、礼儀などの商道徳を徹底して叩き込まれたので、高い倫理観を持っていたとされる。感染症に苦しむ人たちを無私の精神で救う重蔵は、江戸の商人の心意気を示すのはもちろん、金を稼ぐためなら手段を選ぶ必要がないという近年の風潮を批判する役割も担っているのである。

 ただ物語が進むにつれ、重蔵の献身は善意だけでなされているのではなく、ある怪異と結び付いている事実が判明し、この不可思議な事態におつぎも深くかかわることになる。選ばれた者、優れた者が背負う“業”というテーマは、著者の『龍は眠る』『クロスファイア』などの超能力ものの現代小説とも共通している。

 本書の作品セレクトは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がまだ“対岸の火事”だった時期に行った。「坊主の壺」を選んだのはクオリティを優先した結果の偶然である。新型コロナの終息が見通せず、リモートワークの拡大など日本の労働環境はさらなる変革を求められているが、このような時代に、本書が働くすべての人に勇気と希望の“光”になることを願ってやまない。

▼『商売繁盛 時代小説アンソロジー』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000365/

KADOKAWA カドブン
2021年03月02日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク