学生との対話でひも解く中世哲学の神髄

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世界は善に満ちている

『世界は善に満ちている』

著者
山本 芳久 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784106038617
発売日
2021/01/27
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

学生との対話でひも解く中世哲学の神髄

[レビュアー] キリスト新聞社

 殊勝な気持ちで「名著」に挑んだものの、数ページで挫折したという経験は誰しもある。

 「欲求されうるもの(アペティービレ)が、欲求能力(アペティートゥス)に、まず自らへの適合性―欲求されうるものが気に入ること(コンプラケンティア)―を与えるのであり、そこから欲求されうるものへの運動が続くのである」(トマス・アクィナス『神学大全』)

 日本語でありながら日本語でないような難解な文章に辟易し、読むことを諦めがちであるため、しばしば「名著」は読まれないベストセラーとなる。トマス・アクィナスは今から700年以上前に生きた人物で、今もカトリック教会においては最も偉大な神学者とされている。トマスは、キリスト教の「神学」と、キリスト教が誕生するはるか前に古代ギリシアで栄えた「哲学」とを深く結びつけ、新しい地平を切り拓いた「哲学者」であり「神学者」である。

 「神学」とはキリスト教の「信仰」に基づいた学問であり、「哲学」は「理性」に基づき、この世界の構造を論理的に解明しようとする学問。両者を融合させたトマスの業績は、「信仰と理性の統合」と評される。トマスの主著『神学大全』は、日本語訳版で全45巻が刊行されているが、それでもトマスの全著作の7分の1程度である。膨大な著作の中、本書で取り上げているのは、『神学大全』第10巻に述べられているトマスの感情論。

 本書では、哲学者と学生との対話という形式を採用し、学生の質問に哲学者が答えるという仕方で解説されていく。「世界は善に満ちている」というタイトルは、この世に満ちる悪や悲惨さ、人生の苦しみや虚しさに目をつぶった脳天気なものではない。

 学生からの鋭い指摘や問いかけに誘発され、哲学者の口から豊かな思考が紡ぎ出され、感情の根源となっているものと、それを肯定して生きる道とが解きほぐされていく。難解であるはずのテクストが次第に読めるようになり、中世哲学と現実の生活とが地続きになっていく感覚は刺激的だ。

 トマスの感情論の特徴は、「感情には明確な論理がある」と考えるところにある。一見捉えどころのない、浮かんでは消えるただの思いに見える感情に、明確な構造と論理を見出していく。

 最大の鍵は「愛」であるという。「愛」がすべての感情の根源にあるとする考え方は、「キリスト教は愛の宗教だから」といったキリスト教寄りの見解から生まれたものではない。トマスは、人間ならば誰もが共有している「理性」に基づいて、「すべての感情の根底には愛がある」との洞察を導き出す。

 だから、トマスに「キリスト教の神学者」というレッテルを貼り、「キリスト教の信仰を持たない自分には関係ない」と考えてしまうのは惜しい。トマスは、「信仰」という思い込みで、世界を強引に肯定しようとするタイプの「信仰者」ではないのだ。

 それでいながら「理性」に基づくトマスの知的探究は、キリスト教の「信仰」と対立するどころか、むしろ共鳴していく。ひたすら「理性」によって展開されるトマスの感情論が、キリスト教の「神の愛」と結合することによって、どのような神学的ヴィジョンが見えてくるのか、関心に火がともるとさらにトマスを学びたくなる。

 終章では、「愛されるものの刻印」を受け、それを育むことが、虚しさに押しつぶされそうになる状況を打開していく手がかりとなると述べられる。著者は、トマスのテクストから心に「刻印」を受けることで、読者の人生が豊かなものになるよう願うという言葉で、「あとがき」を結んでいる。

 疫病によって一瞬にして変えられた世界、どうしようもない人生の中でも、読むことと考えることはできる。「名著」によって、心の体幹を鍛えてみるのはどうだろうか。

キリスト新聞
2021年4月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

キリスト新聞社

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