病と闘い、人を癒やす。江戸の医者たちを題材にした傑作短編集!――『いのちを守る 医療時代小説傑作選』【文庫巻末解説】

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いのちを守る 医療時代小説傑作選

『いのちを守る 医療時代小説傑作選』

著者
宇江佐 真理 [著]/藤沢 周平 [著]/藤原 緋沙子 [著]/山本 一力 [著]/渡辺 淳一 [著]/菊池 仁 [編集]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041110737
発売日
2021/03/24
価格
836円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

病と闘い、人を癒やす。江戸の医者たちを題材にした傑作短編集!――『いのちを守る 医療時代小説傑作選』【文庫巻末解説】

[レビュアー] 菊池仁(文芸評論家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■『いのちを守る 医療時代小説傑作選』文庫巻末解説

解 説
菊池仁(書評家)  

 まず次の文章を読んで欲しい。
「私は、長年自分の仕事も投げうち、家産も投じて必死の覚悟でこの種痘法に努力して参りました。それは、また年が明ければ多くの嬰児が天然痘で死ぬことがあきらかで見るに忍びがたいからです。この上は、もはや藩などのお世話になどはなりませぬ。必ず自分の力だけでやりとげて見せます」
 吉村昭『日本医家伝』に収録されている「笠原良策」からの引用である。良策は種痘術が良法であることを庶民に訴え、藩の役人に書面で訴え続けた。ところが役人も藩も動かない。その間にも天然痘の流行は激しくなる一方である。遂に良策は憤りを抑えきれず、藩に口上書を叩きつける。前掲の文章はその末尾である。自分の身も家も危うくなることにためらいはなかった。良策は庶民の〈命を守る〉ために病気と闘った江戸の医師の一人である。
 現在、新型コロナウイルスが猛威を振るい、日常生活が一変し、平常時にはなかった様々な現象が起きている。中でも注目されるのが、医療に携わる人々の、犠牲を強いられながらも、命を守るために日夜闘う姿である。
 歴史を振り返ることに意味があるとしたら、志と精神の連続性及び知恵の集積であろう。笠原良策の言葉はその象徴といえる。本書はそういった時代を鑑み、江戸時代の〈命を守る〉ために様々な分野で活躍した医師の姿を集めてみた。

「衣替え」 山本一力
 山本一力『たすけ鍼』の根強い人気の秘密は、主人公・染谷のキャラクターの魅力に尽きる。鍼灸師を営む染谷は、ツボ師の異名をとる名手。「医は仁術」と心得て、市井の人々を癒し、人助けや世直しに奔走する。人と人との交流が濃かった江戸の町ならではの存在といえよう。そんな染谷に新たな光を当てたエピソードを盛り込んで綴ったのが、続編『たすけ鍼 立夏の水菓子』に収録されている「衣替え」である。
 まだ十二歳だというのに、さゆりは身体中が黒い体毛でおおわれるという奇病を患っていた。なかでも下半部の恥毛は、男の月代よりも剛い毛が生えていた。両親もさることながらさゆりの心情は察するに余りある。ここからさゆりと染谷の奇病との闘いが始まる。
 作者は治療法で苦戦する染谷よりも、治療に耐える健気なさゆりの心の動きに軸足を置いて描いていく。つまり、「衣替え」ではさゆりの心に寄り添うのが染谷の治療法としてクローズアップされている。患者に寄り添うことの大切さが伝わってくる。「衣替え」という題名はその象徴ともいえる。作者の円熟が光る一編である。

「女牢」 藤沢周平
 藤沢周平の人気シリーズ「獄医立花登手控え」の第一巻『春秋の檻』からの一編である。物語の発端を紹介しておくと、羽後亀田藩出身の若い医師立花登は、医師として大成する志を持って、江戸で開業している叔父の家に身を寄せる。ところが頼りにしていた叔父は酒に溺れ妻の尻に敷かれている。叔母とその娘にこき使われ下男扱い。加えて、小伝馬町の獄医まで引き受ける羽目となる。登にとってはあこがれていた環境とは大違いなのだが、この設定がシリーズの面白さを決定づけている。
 第一に、命を守ることを志した青年医師の成長物語としたこと。第二は、獄医という立場で訳ありの囚人たちが抱える様々な事件と出会うことで、人生修業をすること。第三は、登は起倒流柔術の達人で、推理能力にも長けていること。これらが融合することで第一級のエンターテイメントにしあがっている。
 中でも「女牢」は異色の作品となっている。三年前に診察した男の女房が入牢してくる。その女房との交情が主筋となって展開する。
 つまり、前掲の設定に加えて、登の人妻に寄せる思いが切なさを伴って迫ってくる。まさに名人芸である。

いのちを守る 医療時代小説傑作選 著者 藤沢周平 宇江佐真理 藤原緋沙子...
いのちを守る 医療時代小説傑作選 著者 藤沢周平 宇江佐真理 藤原緋沙子…

「名医」 宇江佐真理
 作者には八丁堀の役人と組んで死人の検死ばかりを行っていた医師を描いた『室の梅 おろく医者覚え帖』があるが、ここでは『口入れ屋おふく 昨日みた夢』に収録されている「名医」を選んだ。理由は後程述べる。題名の口入れ屋とは現在の人材派遣業である。おふくは口入れ屋・きまり屋の番頭の娘で、店の手伝いをしているが、斡旋する女中がすぐ辞める、長続きしないなど、決まって訳ありの奉公先に行くことになる。物語は、そこでおふくが見聞きした家族の秘密や、内緒ごとに揉まれることで成長する姿にスポットを当てている。
 そこで「名医」だが、おふくの新しい派遣先は、近所の町医者・岸田玄桂の家となった。玄桂の母・玉江が捻挫したため、女中依頼が舞い込んできたのだ。実は玉江のきつい性格から、女中が長続きしたことがない上に、医院のほうも閑古鳥が鳴いている始末。やっぱり訳ありである。
 ところが玄桂の人柄に触れるに従い、閑古鳥が鳴いている背後にある、命を守ることと真摯に向き合っている医師のドラマを垣間見ることになる。作者は問いかける。名医とは何か。これが選んだ理由である。それにしても作者の人間を見る目の確かさ、温かさに脱帽である。

「蜻火」 藤原緋沙子
「藍染袴お匙帖シリーズ」は、「隅田川御用帳シリーズ」、「橋廻り同心・平七郎控シリーズ」に続く、三本目のシリーズで、前二作と同様、画期的な成功を収めた。要因は設定の巧さにある。「隅田川御用帳」では深川に縁切り寺があったという意表突く舞台装置を設定。「橋廻り同心・平七郎控」では人生の縮図でもある橋をモチーフと使い、平七郎を橋廻りの役職としたことである。
「藍染袴お匙帖」では主人公・千鶴を医者と設定。これだけでは新味に乏しい。千鶴の人物像に境遇と住家や町に対する愛着を付加することで独自性を持たせている。その象徴が藍染袴である。医学館の教授方であった亡き父の遺志を継いで女医者となった千鶴は治療院で治療するだけではなく、牢屋敷の女囚の治療や、町奉行所から依頼された検死にも当たっている。医者としての活動範囲の広さが物語を豊かなものにしている。そこで遭遇する患者や囚人たちに起こった事件を解決していくというのが主筋となって展開する。
「蜻火」は新シリーズの第一弾ということもあって、作者の気合を感じさせる凝った造りとなっている。特に出だしの場面は秀逸の一言に尽きる。藍染袴の由来や家の佇まいを描いているのだが、千鶴の医者としての決意と、志の高さがひしひしと伝わってくる。特筆すべきは、千鶴が持ち込まれた白骨死体の顔の復元をする件である。顔の復元により残された家族は陽炎のように揺らめくひとときの幸せを得る。妙手ともいうべき仕掛けで、読者は思わずその意外な展開に引き込まれていく。これがこのシリーズの原動力であり、長寿の秘訣であろう。

「かさぶた宗建」渡辺淳一
 作者の歴史時代小説は独特の風貌を持っている。最大の理由は医師という体験と密接に絡まっているからである。初期の代表作である直木賞を受賞した『光と影』も『花埋み』も医師らしいリアルで乾いたタッチの叙述にも拘らず、医師としての体験を止揚することで、描写に厚みと深みが加わり、独特の風貌を持つ表現となっている。
「かさぶた宗建」もそんな特徴が色濃く出た作品となっている。短編であらすじを書くのは興を削ぐので避けるが、日本の種痘術を完成させた楢林宗建が試行錯誤を繰り返し、治療法を確立するまでの過程を描いている。読みどころは内科的知識を持っている作者が再現しているだけに緊迫感に溢れている点である。早い話が人体実験なのだが、目前の厚い壁を打ち砕いていくためには、強烈な自我と子供たちの命を守るという使命感が不可欠である。それを読者に納得させる力強さがこの作品の特筆すべき点である。

■作品紹介

病と闘い、人を癒やす。江戸の医者たちを題材にした傑作短編集!――『いのちを...
病と闘い、人を癒やす。江戸の医者たちを題材にした傑作短編集!――『いのちを…

いのちを守る 医療時代小説傑作選
著者 藤沢周平 宇江佐真理 藤原緋沙子 山本一力 渡辺淳一
編者 菊池仁
定価: 836円(本体760円+税)

病と闘い、人を癒やす。江戸の医者たちを題材にした、傑作短編集!
藤沢周平、山本一力他、人気作家が勢揃い!鍼灸師、獄医、女医者……。確かな技術と信念で患者と向き合った、江戸の医者たちの奮闘を描く。読む人の心を癒やす、まったく新しい時代小説アンソロジー。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000469/
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KADOKAWA カドブン
2021年04月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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