164回直木賞受賞後、第一作目となる『曲亭の家』。作品に籠めた想い、そして直木賞作家となった今の心境を語る!!
インタビュー
特集 西條奈加の世界
[文] 角川春樹事務所
曲亭馬琴の息子に嫁いだお路を主人公として描き、今作で著者が見せた時代小説の新たな形とは!?
***
今作は史実とはいえ、家庭が舞台。いわばホームドラマ。
――直木賞受賞おめでとうございます。
西條奈加(以下、西條) ありがとうございます。
――受賞後の会見では戸惑いのほうが大きくてとおっしゃっていましたが、心境の変化などありましたか?
西條 そうですね。いきなり親戚が増えたり、サイン本を母校の学長や母の友人からも頼まれたりと、これまでの文学賞とは周囲の反応があまりにも違うので、直木賞をいただくというのは大変なことなんだなと思っています。取材もたくさんしていただきましたが、作品のことは話せても、自分のことを語るのはすごく苦手で。これはまた別の意味で大変でした。
――では、『曲亭の家』について伺いましょう。本作は曲亭馬琴の一人息子(宗伯)に嫁いだ路の目を通して、馬琴の人となりやその家庭の様子が描かれています。『心淋し川』は市井の人の営みを哀切とともに描いた作品でしたが、今回はガラリと変わった世界観で驚きました。
西條 これは史実とはいえ、家庭が舞台。いわばホームドラマなので、これまで書いてきた史実ものともまた違う感じになっているかもしれないですね。
――路は後年、馬琴の創作を手伝うようになりますが、基本的には主婦です。主人公としては珍しいタイプですね。
西條 江戸時代の女性を主人公にした作品が書けないかと兼ねてより考えていました。路は良妻賢母として明治の頃から知られていたようですが、私が興味を持ったのは群ようこさんの『馬琴の嫁』を拝読したのがきっかけです。そこでの路の姿がとても印象的で、チャンスがあれば私も書いてみたいと思っていました。ただ、それ以上に気になっていたのが曲亭馬琴なんです。人気戯作者として執筆に追われながら、何十年にもわたって日記を書き続けていた。しかも、今日は誰が来たとか、家の行事で何をしたとか細々とした事務的なことばかりを。すごいマメですよね。ある意味しつこいとも言えるのでしょうけど、そんな人間っぽい部分を書いたら面白いだろうなと。私は教科書に出てくるような人物を脇から見ることのほうが多いんですね、史実ものの場合は。そのこともあって路を主人公にしました。
――「気が小さく」て「吝嗇」で「偏見の塊」。舅としての馬琴は、歴史に名高い文学者のイメージとあまりにギャップがあって、人間っぽさも全開です。
西條 ギャップと言ってもらえると嬉しいです。作家ってどこか変なところが一個くらいはあるものだと思うし、家族からすれば扱いづらい。特に馬琴は私も友達にはなりたくないタイプですから(笑)、そんな家に嫁いだ路は大変だったろうなと。書いているうちに同情しちゃって、その大変な部分を前面に押し出して書いたところもありますね。
主人公・路の魅力と、曲亭馬琴との関係
――かなり辛辣な言葉で馬琴を評する路ですが、決して憎悪しているわけではないのが伝わります。そこに路の人間的な魅力も感じます。
西條 もちろん私の人物造形ではありますが、路はきっとシビアな人間観察で日々のストレスを発散しつつ、バランスを取りながら結婚生活を続けていったんだろうと思います。実際、旦那さんの宗伯にはかなり言っていて。馬琴の日記にもあるのですが、路が口答えしてくると馬琴に訴えているんです。小さい男だなと思うんですけど(笑)。ただ、そこからもわかるように、路は言われているような良妻賢母として盲目的に仕えていただけの女性ではないんだろうなと。
――人を一面では捉えない、西條さんならではの人間描写に引き込まれました。
西條 馬琴が失明してからは路が代筆していくわけですが、文筆の手伝いができるような女性がただただ我慢をしていたというのは私にはピンと来なくて。曲がりなりにも文章を書くような人であれば、斜めから物を見たり、辛辣な物言いもするでしょう。そんな姿を重ねてみたら、しっくり来たんですよね。
――ちなみに、かの『南総里見八犬伝』のことを路は「好みではない」と言っていますが。
西條 それは私の感想です(笑)。難しいし、物語に入り込めないんですよね。
――この作品は評伝でもありますが、家庭が舞台とあって市井ものの要素がミックスされて、時代小説の良さを凝縮したような面白さがあります。またそれが読みやすさにもなっていると思います。
西條 読みやすかったですか? 良かった。書きながら、読者が退屈しないか、読みづらいところはないかといつも気になるんですよね、特に時代小説は。
史実を書くのは不得手!?
――歴史ものと市井ものの両方を書かれていますが、切り替えのポイントなどはあるのでしょうか。
西條 いえ、そもそも史実ものは不得手なんです。資料が苦手なので。だから、限られた数しか書けなくて。今年は『曲亭の家』のほかにも史実ものが出る予定ですが、一年に二作入るというのは珍しいです。本来は三~四年に一作ぐらいですから。
――この作品を読んで、その言葉を信じる人はいないのでは(笑)。それに、発表されるたびに、新しい題材で新たな世界を見せてくれるので手に取るのが楽しみです。
西條 できればそうでありたいと思いながらやっています。でも書き続けていると、同じようなのが出ているなと思っていて。特に市井ものは似てしまいがちなので、一時期は市井ものから離れてみようかと考えることもありました。とはいえ、注文が一番多いのが市井ものなので、なかなか難しいですけど。たまには現代ものを書きたいのですが、言い回しなどが時代ものに慣れてしまって。ちゃんと勉強して現代ものを書いてみたい。それが抱負ですね(笑)。
時代小説作家としての“自覚”と“覚悟”
――時代小説作家と呼ばれることに戸惑いを感じていた時期もあったと伺いましたが。
西條 デビューしてから十年くらいは“時代小説作家”なんて名乗れないと思っていました。その間はずっと新人作家の気分でしたし、時代ものが得意と言えないというのを免罪符のようにしていたのかも。でもある日、編集者の方にもう中堅ですねと言われ、えぇーって。中堅と言われることにショックを受けつつも、新人気分のままではだめなんだと急に自覚が出てきた感じで、受け入れることができるようになりました。
――“自覚”とおっしゃいましたが、『曲亭の家』には西條さんの作家としての覚悟も感じます。「読者あっての戯作である」というくだりがありますが、ご自身の思いでもあるのかなと。奇しくも直木賞受賞後の会見で同様のことを話されていましたよね?
西條 私も同じこと言っちゃったと思いました。恥ずかし~(笑)。“読者あっての”と強く思うようになったのは、この三~四年のことなんです。ものを書くということにおいてプロとアマチュアの境目は何かと常々考えてきて、辿り着いた一つの答えのようにも思います。読んでイメージするものはそれぞれ違うはずなんですね。印象なり、人物の顔なり、風景なり。そうやって一人ひとりが思うことで、初めて小説は完結するのではないか。ちょっと大袈裟な言い方ですが、受け取る人がいて初めて私の世界が広がるというか。書いて終わりなら、自分ひとりの世界でしかないわけで。受け取ってもらって、読んでもらって終えることができる。プロとして書くとはそういうことなんだと思うようになりました。
――作家としての在り方を自問されてきたのですね。
西條 そうですね。デビューして十年経ったあたりから、そんなことを考えるようになった気がします。ちょっとお休みが欲しいなと思っていた時期でもあって、ヘタレた感覚の中で見出した書き続けるためのモチベーションだったのかもしれませんけど。
――直木賞作家となれば、当面お休みは難しそうですね。
西條 これからはそう呼ばれてしまうんでしょうか……。色がついてないほうがいいなぁ。会見の時もそんなことを考えてしまって、素直な喜びを表現できなかったんですよね。私、とんでもないことを口走ってしまうことがあるんです。言いたいことがちゃんと言えなかったりとか。だから書いています。納得いく言葉で伝えることができるから。やっぱり、この仕事なんでしょうね。
***
【著者紹介】西條奈加(さいじょう・なか)
1964年北海道生まれ。2005年『金春屋ゴメス』で第17回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビュー。2012年『涅槃の雪』で第18回中山義秀文学賞、2015年『まるまるの毬』で第36回吉川英治文学新人賞、2021年『心淋し川』で第164回直木賞を受賞。