脳出血で倒れた俳優の塩見三省さんが語る 失意のどん底から這い上がれた理由と揺れ動く心情

インタビュー

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歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望

『歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望』

著者
塩見 三省 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784758413800
発売日
2021/06/15
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

塩見三省の世界

数々の映画やドラマで存在感を示してきた俳優・塩見三省さんが脳出血で倒れたのは二〇一四年三月のことだった。

一命を取り留めるも半身麻痺となり、左手足の自由を奪われた。それでも今、カメラの前に立っている。

奈落の底から、いかにして這い上がったのか。その闘病の日々を、揺れ動く心情とともに伝えようと自ら本にすることを望んだ。

 ***

半身麻痺になってからの本の執筆


塩見三省(撮影:三原久明)

――エッセイが刊行されましたね。本を手にされ、どんなお気持ちですか。

塩見三省(以下、塩見) 嬉しいです。これまで俳優として表現というものをやってきたわけですが、病に倒れ、以前のようにはできなくなりました。それだけに、新しい自分を与えてもらったような気がしています。あなたには、もうひとつ表現する場があるんですよと。そのためにずっと生きてきたんじゃないかと思ったりもしながら、本を作るという作業に関して、自分なりに一生懸命やってきました。

――iPadに右手の人差し指一本で文字を打ち込むそうですが、書き上げるまで時間も掛かったのではないですか。

塩見 パソコンに比べれば四分の一くらいのスピードしかありませんから、二年ほど掛かりました。でも、僕には膨大な時間があったし、いつの間にか書き上げていたという感じです。とはいえ、書きたいことはあるのに、それを表現する言葉が思い浮かばなくて。広がりのある世界を得るためのキーワードを見つけるのは難しかったですね。じっと待って、言葉が自分の中に降りてきたら、三日も四日もその言葉に関して考えて。すると、ああ、そうなんだと思うことも発見できたり。どちらかと言えば、幸せな作業、幸せな時間であったと感じています。

――突然の脳出血発症。一命を取り留めたものの、代償は半身麻痺という大きなものでした。そこから壮絶なリハビリが始まりますが、その間に”書く”ことは始められていたんですね。

塩見 はい。ただ、エッセイに書いたようなものとはまったく違います。後遺症がひどかったですから、自分に向き合うのがものすごく怖かった時期でした。病気のこともこれからのことも考えなくてもいいように、妄想やら願望やらをメモのように書き留めて。意識を別の空間に持っていく、そんな作業だったと思います。

――エッセイは、「我が身に起きたことを、困難な状況にある誰かに伝えたい」という思いから生まれたということですが、書くことで気持ちが変化していったのでしょうか。

塩見 すぐにというわけではありません。この頃は自分が正気を保っているかどうか、その確認みたいなものだったし、頭に浮かぶのはマイナスなことばかりで。でも、そのマイナスの思考みたいなものが僕を助けてくれた。自分なりのセラピーだったんだろうと思います。

――そうした日々を送ることで、ご自分の状況を受け入れられるようになっていった?

塩見 少しずつですが。それで、脳出血によって脳がどうなってしまったのか知ろうと思うようになりました。でも、お医者さんの話だけではわからないことが多く、同じような病気になった人たちが書かれている本を読みました。例えば、脳梗塞で倒れた免疫学者の多田富雄さんの、闘病の様子を克明に記録したものとか。自分がどれほど悪いのかを知ることができました。むさぼり読んでいくうちに、僕も何か残せたら、読む人の力になれるかもしれないと思ったんです。医学的なことではなくて、こういうことがあるよ、こんなこともあるよ、だから、こうしてみるのもいいよとか。そういうことを書き残していきたいと思うようになりました。

――闘病の日々を伝える言葉は一つひとつが重く、それだけに今、こうしてお話を聞けることが奇跡のようにも思います。

塩見 ありのままを書きました。僕は半分脳がやられています。だから、半分の脳でしか考えていない。考えることが直線的になっていると思いました。以前だったら躊躇していたこともやるようになった。書きたいという思いもそうだったんでしょう。別の見方をすれば、それは、弱さなのかもしれません。リハビリの間だけでなく、仕事に復帰してからも、置き去りにされているような、自分が異物となり孤立しているのではないかという思いがありましたから……。と、いろんな言葉にしていますけど、結局はヘルプと、助けてくれということの現れなんだと思います。

星野源さんからの言葉に見出したもの

――星野源さんは塩見さんのその無言のヘルプを感じ取ったのかもしれないですね。だから、書くことを薦めてくれた。

塩見 あるドラマで親子役で共演した時に「自分は書くことで病に一区切りつけられたから」と言ってくれました。星野くんも同じく病の経験があるので。それと、忘れられない一瞬があるんです。僕が演じていたのは、ガンに侵されながらもこの地の産科医は自分以外いないからと診療を続ける産婦人科医で、息子に諭されるはずでした、「入院しなきゃだめだよ」というセリフで。でも彼はこう言った。「だったら、生きろよ。そんなにやりたいなら、生きてくれよ」って。彼、そんなにアドリブをいう人じゃないんですよ。

――まるで、心の叫びのように聞こえます。

塩見 生きるということと、芝居するということはそういうことなんだと思うんですよ。そんなこともあったから、僕は彼の言葉を真剣に受け止め、書くことをもっと意識するようになった。本にしたいと思うようにもなった。星野くんが後押ししてくれたのは間違いありません。

――人とのつながりが大きな力になっていたのですね。エッセイには長嶋茂雄さんのお名前もありますね。

塩見 同じリハビリ病院だったので毎週顔を合わせていました。ある日僕が弱音を吐くと、長嶋さんが「これも人生だから」とおっしゃって。その言葉に思わず僕は泣いてしまった。すると、「ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ」と、病院中に響き渡るような大きな声で言ってくださって。もう本当に、ナヨナヨしている場合じゃないなと思いました。僕はいろんな人に助けられました。その一つひとつの出会いも何らかの形で残していきたい。いや、違うな、人生そんなに捨てたものじゃないってことを伝えなくちゃ、とね。俳優として芝居ができる場を与えられたのなら、懸命にやって。半身不随だって生きていくんだという覚悟を、そうした人々にも見せなくてはと思います。

――杖をついて出演されるドラマを拝見しましたが、役柄としての設定ではなく、その姿でいることの必然さえ感じました。

塩見 僕が杖をついたら芝居で杖をつく人はいなくなるだろうぐらいの気持ちは持っています。「僕のは本物だ」ってね(笑)。欧米ではすでに障害を持った人たちが出演しているようですが、日本のドラマの現場でまだそこまでには至っていません。だから、僕のような”本物”が入っていける、バリアフリーの時代を作りたい。それがこれからの俳優としての使命だと思っています。

――共演されてきた俳優や映画監督とのエピソードも綴られていて、かけがえのない時間を過ごされてきたんだなと実感しました。

塩見 昔のことを思い出すことが多くなったんですが、それも悪くないなと。明日、未来のことを考える時、自分の来し方を振り返って、そこから次を、新しい自分を探していけばいい。そう気付かせてもらいました。そのことへの感謝の気持ちみたいなものを形にしたかったというのもあるんです。北野武さんなんて、ラブレターみたいになっちゃった(笑)。

――大好きだという気持ちが伝わります(笑)。そんなつながりの中で意外だったのが、作家の高田郁さんとの交友です。巻末に高田さんが書かれた解説がありますが、それを読んで初めて知りました。

作家・高田郁さんとの関わり


絵 ささめやゆき(撮影:三原久明)

塩見 この本で、僕自身は高田さんのことに触れませんでした。なぜなら、高田さんは書かれる作品の中にいるから。僕の一方的な思いで書いていいことじゃないなと思ったんです。ただ、高田さんの橋渡しがなければこのエッセイは出なかった。今ここに本がある喜びは別のところで伝えたいと思っています。

――さまざまな思いが詰まったこのエッセイですが、カバーにささめやゆきさんの絵を使いたいと提案したのも塩見さんだと伺いました。

塩見 これは宮沢賢治の『ガドルフの百合』(偕成社)の最後のページで使われている挿画なんです。出会ったのは二十五年くらい前で、妻がささめやゆきさんの個展で原画を見つけて。以来、部屋に飾って暮らしてきました。

――絵はガドルフが歩き出す後ろ姿を描いていますが、童話を読むとガドルフが塩見さんに重なります。

塩見 ガドルフは旅の途中で雷雨にあい、雨宿りに寄った家の窓から凛と咲く百合を見つける。風雨によって一本は折れてしまったけれど、他の百合はまだ残っているのを見て、旅を続けるんです。百合は希望の象徴なのかもしれないですね。僕はもう元通りにはなりません。新しい自分として歩んでいかなければならない。でもその道には、これまで多くの人が希望を与えてくれたように、さらなる希望が待っているんだと信じています。

 ***

【著者紹介】

塩見三省(しおみ・さんせい)

俳優。1948年生まれ、京都府出身。舞台を中心に活動を始める。1989年より、つかこうへい作・演出の舞台3連作に出演。1991年、『12人の優しい日本人』を機に映像作品にも活動の場を広げ、映画『Love Letter』『アウトレイジ ビヨンド』などに出演し幅広く活躍、連続テレビ小説『あまちゃん』の「琥珀の勉さん」役で人気を博した。2014年に病に倒れるも、懸命なリハビリの後、2017年、映画『アウトレイジ 最終章』で復活を果たす。出演作にドラマ『この世界の片隅に』、大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』など。

構成:石井美由貴 写真:三原久明

角川春樹事務所 ランティエ
2021年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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