『日本の道化師』
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日本の道化師 ピエロとクラウンの文化史 大島幹雄著
[レビュアー] 原健太郎(大衆演劇研究家)
◆喜劇の「教科書」受容と展望
「クラウン」と呼ぶべきサーカスの道化師が、なぜ日本では、「ピエロ」という言葉に置き換わり、親しまれてきたのか。本書では、その受容の歴史が、文学や美術、演劇、映画、さらには大道芸など、さまざまな分野の検証を通して解き明かされていく。
一九九〇年十一月、東京・原宿で、旧ソ連のクラウンパフォーマンス集団「ミミクリーチ」の日本初公演が行われた。伝統的な道化師のスタイルに身を包んだ六人の若者たちは、パントマイムによる寸劇や足ひれを付けたステップダンスなどを披露し、わたしたち観客を、摩訶(まか)不思議な笑いの世界に引きずり込んだ。
圧巻は、登場人物のささやかな感情のもつれにより、一枚の小さな紙切れが次第に量を増し、やがて舞台ばかりか客席までを紙くずで埋め尽くすという、終盤の演目だった。やはり、セリフは一切ない。優れた体技と音楽性、そして並外れたナンセンス感覚−。わたしは、これこそが本物のドタバタ喜劇であり、その「教科書」がついに目の前に現れたぞと、快哉(かいさい)を叫んだ。
この頃より、サーカス学校やクラウンの養成所が開設されるなど、日本のクラウン事情は劇的に変化していった。そうした「現場」と密接な関係を持ちつづけていた著者は、平たんではなかったはずのその道筋を粛々と記し、読む者の心を震わせる。
ミミクリーチ公演から三十年余が過ぎた。サーカス関係者の活眼と努力の上に、今日、さまざまな成果が認められる。幾多の若い才能が育ち、ある者は世界に向かって羽ばたいていった。だが著者は、日本におけるクラウンのあるべき姿について心を砕く。道化師が、真に「クラウン」として受容される、新しい歴史をつくるためだ。
さて、大切な「教科書」を前に、この間、喜劇に関わる人々は、まるで居眠りをしていたかのように何ら変化を見せなかった。かつてエノケンこと榎本健一らが血肉を注いだドタバタ喜劇は、依然として影も形もない。目の前にあるのが「国会のドタバタ劇」ばかりとは、情けない話である。
(平凡社新書・968円)
1953年生まれ。ノンフィクション作家、サーカス学会会長。
◆もう1冊
大島幹雄著『海を渡ったサーカス芸人 コスモポリタン沢田豊の生涯』(平凡社)