『新装版 眠る盃』
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自作の水着で泳いでいると笑われた理由
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「水着」です
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水着でまず思い出すのは林芙美子。昭和五年、『放浪記』がベストセラーになり無名の女性が一気に作家として世に知られた。
それまでは貧乏暮しが続いていた。昭和四年の夏、杉並区の妙法寺の近くで借家住まいをしていた。
浴衣さえ売ってしまい仕方なく紅い水着を着てしのいでいる。そこに来客があった。紳士だった。水着姿で応対するしかなかった。
客は改造社の編集者。『放浪記』はこの人が手がけた。水着から思いもかけないベストセラーが生まれた。
向田邦子にも笑い話にするしかない水着の苦い思い出がある。「青い水たまり」(『眠る盃』)で書いている。
終戦の翌年のこと。女学校のプールに何年ぶりかで水が満たされた。プール開きである。
しかし、終戦後の物不足の時代。生徒の多くは水着を持っていない。
向田邦子は、水着を自分で作る(偉い!)。友人に借りた婦人雑誌の附録に水着の作り方が載っていた。
母親のセルの着物をうまく水着に仕立てる。薬屋で染料を買い濃紺に染めた。いい出来だった。
プール開きの日。彼女が泳いでいるとクラスメートも先生も笑い出す。
染め上りに色止めの酢を落すのを忘れたため色が溶けて水着のまわりが墨イカのようになっていた。
それから数年。卒業して就職し、はじめてのボーナスで買ったのが水着だった。ボーナス全額の値だったが「どうしても欲しかった」。大事にしたことだろう。