『流転の中将』
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流転の中将 奥山景布子(きょうこ)著
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
◆「大義」ゆえの苛烈な生
幕末における悲劇の中将といえば、会津藩主・松平容保(かたもり)がよく知られている。だが、彼よりなお苛烈な生を送らざるを得なかったのが、容保の弟、桑名中将・定敬(さだあき)である。
本書はこの兄弟が、大坂城を敵前逃亡する徳川慶喜から“かまいたち”をくらうところからはじまる。“かまいたち”−それは、謡をたしなむ慶喜が予告も容赦もなく、いきなり放つ、殺気の如(ごと)き大音声(おんじょう)のことだ。この一喝は、秘密裡(り)に脱出を企てようとする慶喜を諫(いさ)めんとした定敬らに対する苛立ちの表れなのだ。
朝敵の汚名を着るか、それとも恭順の意を示すか。国許(くにもと)の意向により、藩主としての存続すらあやうい定敬は、自問自答を繰り返す。いわく、「−なぜだ、なぜ、私の何が、さような罪に当たるのだ」。いわく、「−大義を貫くのが、わが桑名のやり方」等々。そして定敬のかたくなさは、彼に思いも寄らなかった流転の人生を歩ませていく。海の果て上海まで。
この転変の暮らしの中で最も悲惨を極めたのは、上海におけるそれだろうが、そのことは、単に地理上の距離のみを意味してはいない。
作者は定敬のそれまでの悲運は、彼が大名故(ゆえ)のものであったとしつつも、その上海行きは「柏崎から会津、米沢、仙台、そして箱館と、ひもじさもわびしさも、じゅうぶん味わいつくしたつもりでいたが、本当に下々の人間として扱われるということは、こういうことなのだ」と記している。
が、ここへ来て私たちは、こう考えねばなるまい。一体、定敬は何のために抗おうとしているのか、と。
定敬は異邦の地で、もはや誰一人からも顧みられることのない“下々の人間”となったのだ。もし本当にそうなら、いつまで自分に理不尽を強いてきた負の人生に縛られることがあろう。しかし彼の、自分は恭順をするために日本に帰るのだといううめくような思いは、自分のアイデンティティがそこにしかないことを如実に示している。この逆転してしまった人生こそが定敬にとっての最大の悲劇なのである。
(PHP研究所・1980円)
1966年生まれ。作家。著書『圓朝』『浄土双六』など。
◆もう1冊
奥山景布子著『葵の残葉』(文春文庫)。本書に連なるモチーフで描かれた新田次郎文学賞受賞作。