『ヴァイタル・サイン』
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ヴァイタル・サイン 南杏子(きょうこ)著
[レビュアー] 関口苑生(文芸評論家)
◆看護師の過酷な感情労働評
感情労働という言葉をご存じだろうか。肉体労働と頭脳労働に続く第三の労働形態ということなのだが、実はこれ何も目新しいものではない。
接客業やサービス業の店員が客に対して提供する、もしくは客が求める笑顔が典型的な一例だ。これも立派な労働なのである。だが、対価が支払われることはない。
数ある仕事の中で、最もこの感情労働を強いられるのが看護の現場だという。看護師たちは、自分自身の感情を酷使して、患者や家族が求める優しい声や表情、態度を提供するのを当然視される。いわゆる“無償の愛”と“限りない善意”に貫かれた「白衣の天使」になりきるのだ。
南杏子『ヴァイタル・サイン』は、そんな看護と介護の実態を、ドキュメント風に描いた渾身(こんしん)の医療小説である。しかしこれがすさまじい。
舞台は長期入院の療養病床が、全体の40%ほど当てられている病院だ。患者も後期高齢者が多いため、死亡退院の比率は約七割と非常に高かった。物語は、この療養病棟で働く看護師の日常業務が、日勤、深夜勤、準夜勤とそれぞれのシフト別に、淡々と、だが詳細克明に描かれていく。
たとえば日勤の日の本格業務は午前九時半、体の自由がきかない患者を十人ほどひとりずつ順番に風呂に入れる、入浴介助からスタートする。自力で立ったり歩いたりするのが難しい患者である。中には拒絶反応や激しい抵抗を示す患者も少なくない。この入浴作業を終えると、次は十一時半きっかりに午前最大のイベント、昼食の配膳と食事介助が一斉に始まる。これが想像を絶するほどの感情労働になっているとは、これを読んで初めて知った。また深夜勤務の日となると、休憩時間が一時間ほど認められているにもかかわらず、そんな時間をとる暇などまずほとんどない。それでもなぜ、看護師たちはこの仕事を続けられるのか。
苦しく、切なく、悔しい思いばかりが続く業務の中で、看護師がこの仕事を愛する理由は何なのか。そのすべてがここにある。
(小学館・1760円)
1961年生まれ。出版社勤務を経て医師・作家。2016年『サイレント・ブレス』でデビュー。
◆もう1冊
南杏子著『いのちの停車場』(幻冬舎文庫)。吉永小百合が主演した映画の原作。