「どんな人でも能力を発揮できる仕事は必ずある」余命3年、障害を抱えた社長が働き続ける理由

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小澤輝真氏

 毎年9月が「障害者雇用支援月間」ということはご存知ですか? 今年も、障害者の職業的自立を支援するため、厚生労働省をはじめ、さまざまな啓発活動が展開されていました。

 さまざまな形の支援がある中で注目したいのが、北海道で建設会社「北洋建設株式会社」を経営する小澤輝真さんの存在です。

 北洋建設は、これまで600名以上の元受刑者を雇用していることで知られる一方で、障害者の雇用にも力を入れています。同社代表である小澤さん自身も、難病の脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)により、1種1級の障害を抱えており、発症当時(2012年)には医師からは余命10年と宣告されています。

 現在、余命3年となった厳しい状況に置かれてもなお働き続けるのはなぜか? また、元受刑者や障害者を雇用し続けている想いとは? その理由を小澤さんの著書『余命3年 社長の夢』より紹介します。

1種1級の障害になってもやろうとしていること

 2012年、病を発症した。病名は「脊髄小脳変性症」。

 小脳などの神経細胞が少しずつ萎縮していく進行性の病気で、言語や運動の機能に障害が起こる。それによって発症後、徐々に話ができなくなり、歩行が困難になっていく。やがて、肺機能が低下し、呼吸が止まる。

 身体障害者手帳で、僕は障害の程度がもっとも高い1種1級に分類されている。

 お医者さんからは、「余命はおよそ10年でしょう」とつげられた。

 それからずいぶん時がたった。

 前よりも話し方がたどたどしくなっているし、車いすなしでは移動できない。

 指が震えるから、ペンや箸もうまく扱えない。

 携帯電話はガラケーに変えた。スマートフォンだと指がすべってうまく入力できないからだ。パソコンは、人差し指でパチパチ入力している。

 そんな重病で、社長なんて務まるのかと思われるかもしれない。

 確かに、身体は満足に動かすことができないので、現場に出ることはなくなった。

 でも僕の場合、大脳の機能はまったく正常だ。

 だから頭はクリアで、自分の身体がどのような状態にあるかよくわかる。それゆえにもどかしいこともあるが、気にしていてもしょうがない。

 やるべきことがあるからだ。

 僕がやっていること、それは元受刑者たちの居場所づくり。

 この国には前科がつくだけで、とたんに人生の選択肢が狭まる現実がある。

 その最たるものが仕事だ。

 罪を犯した人を雇用しようとする会社は、きわめて少ない。

 だから、僕は、元受刑者の就労を支援する活動を行っている。

「あとがない人」たちが発揮する力

 元受刑者たちは本当にあとがない。あとがないから一所懸命働く。

 だから、何かの縁があってうちで働くことになったら、僕は、父や母がそうしてきたように彼らの親がわりとなって全力で愛情を注ぎ、面倒を見る。高齢の元社員を自分が所有するマンションに住まわせたり、グループホームに入居させたりしたこともある。

 それは障害者でも同じだ。

 北洋建設では、現在僕以外に6人の障害者が働いている。

 建設現場は危険だからと断るのは簡単だが、障害があってもやる気があれば、できそうな仕事を見つけてあげたいと思っている。

 あるものは、元請けの会社にいたときに脳梗塞で倒れた。その会社からリハビリがてら入れてほしいと依頼されて、10年以上前から資材センターで働いている。

 資材センターでは、足場の資材の片づけ、整理、準備をするなど、なかなかハードな仕事を行う。

 最初のうちは、後遺症で何を話しているかよくわからなかったが、最近は完全にわかるようになった。働くことがリハビリになったと同時に、まわりの人との関係も築けた。今では朝その日にやってほしいことを伝えれば、勝手に一人でやってくれる。

 2010年からは厚生労働省が進める中間的就労のモデル事業所としての活動を始めた。具体的には、長期間働いていない、心身が不調、障害がある、コミュニケーションが苦手などさまざまな課題を抱えて、本格的に働くことが難しい人がその準備のために行う就労だ。

 この活動で入ってきた人の一人は、資材のなかでも比較的軽いパイプなどを準備する担当だが、計算が苦手なため、正確な数をそろえることが難しい。一緒に声に出しながら、チェックすることが欠かせない。しかし、コツをつかむとびっくりするほど、早く丁寧に並べてくれる。

 このとき、うちではベテランの社員の経験や人間力が大きな力になっている。だから、定年を70歳にして、70歳までは昇給が可能な賃金体系にしている。そのため、68歳で家を買った社員もいる。

 障害者を正式に雇用すると、市から助成金が出る。しかし、うちでは助成金をもらわずに日当でお金を支払っている。彼らには1、2年働いて、仕事ができるようになったら別のところに行って仕事をするように言っているからだ。もちろん希望すれば、引き続き働くこともできる。

 助成金は転職先で使ってもらう。面接では北洋建設にいたということを言っていい、むしろ言うようにと伝えている。おかげさまで、札幌では北洋建設は就労支援である程度、名前を知られている。社名を出せば、プラスになるケースも少なくないからだ。

 元受刑者にせよ、中卒者にせよ、障害者にせよ、仕事があるということは、とても重要なのだ。そして、どのような人でも、必ず能力を発揮できる仕事はある。

脊髄小脳変性症になったからわかったこと

 僕が余命を抱えながら活動していることが知られるようになってから、学校などに呼ばれて、人前で話をする機会が増えた。

 子どもたちを前に話をするとき、必ず言うことがある。

 それは、自分を大切にしてほしい、ということだ。

 講演では、参加している子どもや保護者の方に、大切なものは何ですか、と質問をしている。

「家族」「友達」「お金」など、さまざまな答えが返ってくる。

 そうすると、僕はこう言っている。

「家族や友達を大切に思うのも、お金を使うのも自分です。だから自分を大切にしてください。将来、嫌なことがあっても自分を守ってください。自殺する人もいますが、自分は必要な人間ということを覚えておいてください」

 これは子どもだけでなく、すべての人に対するメッセージだ。

 僕の信念の一つと言ってもいい。

 人生でいちばん大事なものは自分だ。

 自分をちゃんと愛しているから、ほかの人にも愛情を注げる。

 自分の花を大きく咲かせることが、結果的に他人の花を咲かせることにつながる。

 自分を大切にする。

 自分の代わりはいないのだ。

 脊髄小脳変性症になったからこそ、困っている人たちの気持ちもすごくわかるようになった。

 脊髄小脳変性症になったからこそできたこと、実現したことがたくさんある。

 自分を大切にするから、自分をあきらめない。

 人のこともあきらめない。

 余命がわずかだとか、身体が不自由だとか、十分に話せないだとかは、不幸だとは思っていない。

 死ぬのは嫌だし、家族や社員たちのことを考えるとなんともいえない気持ちにもなる。また、身体が動かせなかったり、話せなかったりするのは、本当にきつい。それでも自分は幸せな人間だと思っている。

 家族や社員など、自分の大切な人がいつもまわりにいてくれて、助けてくれる。

 ちょっと移動をするときに、若い社員が進んで肩をかしてくれる。病気だからと、古い友人たちも会いに来てくれる。

 元請けの会社が仕事を出してくれるから、会社が回っているし、取引先に行けば「病気の体でよく来てくれた」と喜んでくれる。

 社員には「病気の俺がこれだけできるんだから、お前たちも頑張れ」と言える。そして実際に頑張ってくれる。

 なにより、社員たちが、社会に根を張っていく姿を間近で見ることができる。

 やはり自分は幸せだ。

 自分を愛していれば、前を向くことができる。

 だから、いちばん大事にするべきは自分だと思う。

 幸せをかみしめて、今できることを精いっぱいやろう。

小澤輝真(おざわ・てるまさ)
北洋建設株式会社代表取締役社長。1974年、北海道札幌市生まれ。1991年、創業者である父の死に伴い、18歳で北洋建設入社。2012年、父と同じく進行性の難病である「脊髄小脳変性症」を発症し、余命10年とつげられる。2013年より現職。北洋建設は、創業以来500人以上の元受刑者を雇用。「人は仕事があれば再犯をしない」という信念のもと、余命宣告以降、より積極的に受け入れを進めると同時に、大学院へ進学し「犯罪者雇用学」を専攻。企業が元受刑者を雇用しやすい環境づくりを訴えている。2009年、放送大学教養学部卒業。2012年、日本大学経済学部卒業。2015年、放送大学大学院修士課程修了。東京弁護士会人権賞、法務大臣感謝状など受賞・表彰多数。

小澤輝真(会社経営者) 協力:あさ出版

あさ出版
2021年10月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

あさ出版

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