『青森 1950-1962 工藤正市写真集』
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コロナ禍のおかげで蘇ったスナップショットの敏捷な視線
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
この写真集が生まれた成り立ちがまずおもしろい。父の没後に写真のネガがどっさりと出てきた。父が若いころに写真を撮っていたのは知っていたが、ネガが残っているとは聞いていなかった。娘はおもしろく思ってスキャンし、コロナ禍で家にいる時間が増えたときにInstagramに載せたところ、予想外の反響があった。約七十年前の青森の街路や、そこを行き交う人々、その表情や仕ぐさに、青森がどこにあるかも知らない海外の人までもが反応する。まるで地中に眠っていた種子がある日突然発芽したかのようだった。
どのカットにも人々が全身を使って暮らしていた様子が弾けるようなスナップショットでとらえられている。六、七歳の子どもたちが赤ん坊を背負い、女たちは背負子に荷物をくくり付けて運び、鉄道員は蒸気機関車のお罐の蓋を磨いている。人ばかりでなく馬だって懸命に馬車を引いているのだ。
同じ場所が繰り返し撮られているが、最もよく登場するのは旧市街と新市街をむすぶ跨線橋界隈だ。季節を変え、角度を変えて登場するそこを細部の違いに眼を凝らして見るうちに、この場所を知っているように錯覚する。フレームの端にちょこっと写っているものが、まるで自分が街の一角に立って眺めているような気持ちにさせるのだ。フレーミングを決めすぎず、でも大切なものは逃さない敏捷な眼のお陰である。
写真の中の人々はまぶしいほど輝いているが、みんながいい人だったはずはない。ずるい人も腹黒い人も怠け者もいただろう。でも写真を見ているときに、そういうことは頭に上らない。みんなそれぞれの事情を抱えながら生きていたその尊さだけが心の内に広がっていく。良き時代などどこにもない。良きものを見つける眼だけがあるのだ。
撮影地を記入した一九五五年の市街地図が載っているのが想像力を刺激し、素晴らしい。