現役警察官も憧れる「警察小説」は 「俺たちもどこが嘘か気づけない」

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警察学校の教官が薦める本とは?

数多ある職業小説の中でも抜群の人気を誇る「警察小説」。では日本国内の約30万人の現役警察官は、実際にそれを読んでいるのか。
警察学校の教官が薦める本がある? 印象に残っているシーンって? 元週刊誌記者の「小説新潮」編集部員が、警察官の読書習慣や本音を徹底調査!(前回、現役警察官がオススメする「本当に面白い警察小説」の続き)

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本と現場で学んだ「凶悪犯罪」

 前回の取材から約一か月。なかなか明けない梅雨の合間、久しぶりの晴天が広がっていた。三人目の取材者との待ち合わせ場所には、夏らしい日差しが降り注ぎ、子供達の声が響いている。

 都心から少し離れた住宅街にある、とある公園のベンチ。そこが今回の取材場所だった。

 間が空いてしまったのは、いよいよ取材者探しが壁にぶつかっていたからだ。心当たりに声をかけても全く見つからない。縋る思いで私用のSNSに投稿したところ、数人から「親戚に聞いてみる」という返事があり、その中でも一人だけ、アポイントがとれた。三〇〇人超と繋がっているはずのSNSでたった一人しか見つけられないとは、取材前には想像もしていなかった打率の低さだった。

「わざわざこちらまで来てもらってすみません! 今日は自分が子供の面倒をみる約束でして……。こんな風に子供を見ながらのお話ですけど、勘弁してくださいね」

 四歳の息子を遠くに見つめる彼は二〇代後半の機動隊員だ。中背ながら肩幅はしっかりとしていて、色黒な肌に白い歯が際立つ、典型的なスポーツマンタイプにみえる。

「本好きの警察官を探すのは大変でしょう。自分もほとんど読まないんで……。『身体が資本』の現場で毎日体を鍛えていますからね。警察についての知識だって、最初はあの小学生探偵から学んだクチです」

 笑いながらあけすけに語る彼は、さながら生徒から信頼される体育教師のような趣がある。

「伺ったお話だと、大切な本が一冊あるとか……」

「あっそうなんです。小説ではなく、ノンフィクションなんですけど……。門田隆将さんの『狼の牙を折れ』(小学館、二〇一三年刊行)という本です」

 一九七四年、東アジア反日武装戦線「狼」と呼ばれる過激派集団が丸の内の中心地で無差別爆破テロを起こし、八人の死者、三七〇人を超える負傷者を出した三菱重工ビル爆破事件。『狼の牙を折れ』は、この事件で実際の捜査指揮を執った土田國保警視総監の日記を基にしたノンフィクションで、日本で初めて公安捜査官の実名が挙げられた作品でもある。

「この本は警察学校時代の教官に薦められて読みました。警察学校は警察官としての最低限の知識を学ぶ場ですが、全寮制で卒業間際には時間の余裕もできます。それで読んでみようと思ったんです。他には『教場』(長岡弘樹、小学館、二〇一三年刊行)とかも薦めてくれてたっけな。でも、公安警察ってなんだかかっこいいし、実際にあった事件について書かれているというのにも惹かれました」

 聞くと、二人目の彼が語ったのと同じく、公安警察は“ヴェールに包まれた存在”として憧れの的なのだという。

「特に印象に残っているシーンってあるでしょうか」

「そうですね……。犯行現場の遺体の表現はかなり衝撃的でした。序盤で、事件発生直後の現場の様子が当時の目撃者たちの目線で生々しく描かれます。体の一部がもぎ取られた死体、血みどろで蹲っている負傷者、オフィスビルのガラスが粉々に砕けて絨毯のように道路上に散らばっている光景。一般の方は誇張していると思われるかもしれないけど、これ、本当なんだろうって自分たちにはわかるんです。普段から、遺体を見ることがあり、例えば現場から五〇メートル離れたところに目が発見されるなんてことも自分たちの世界では“あるある”です。そんな日々の経験があるから、作中の爆破現場の描写の切迫感がひしひしと伝わってくるんです」

「……でも現実には『爆弾を仕掛けた』などとデマをネットに書き込む、いたずらや愉快犯のケースの方が多いんですよね」

 グロテスクな話題に思わずそう口にすると、彼は頷きながらも真剣な表情で答えた。

「自分も学生の頃は、たかがイタズラに大げさだなと思っていました。でも警察官になってみると、イタズラであろうが、何も起きないならそれでいいと考えるようになりました。たくさんの人員を投入しようと、被害がないことが一番なんです」

 彼の目線の先には笑顔ではしゃぎまわる息子がいる。真剣な眼差しのままで、彼は続けた。

「凶悪犯罪はいつ起こるかわからない。そのことを警察職員は忘れてはいけません。自分たちは常に悪と対峙している。過去の事件を紐解き、人々を守るという信念を再認識させてくれる、警察官である自分にとって礎のような本なんです」

 彼の逞しい腕に息子が飛び込んで、二人分の笑い声がはじける。この日常こそが彼の守りたいものなのだろう、と強く感じた。

小説はモチベーションになるのか

 最後の待ち合わせは懐かしい場所だった。目の前には緑豊かな芝生が広がり、学生たちが思い思いの格好で寝そべっている。

「お疲れ様です~。お久しぶりです」

 ぺこりと頭を下げて向かいに座ったのは、大学の文芸サークルの後輩だ。現在社会人二年目。少しガタイが良くなったように見える。とはいえ黒々とした太い眉とぎょろりとした大きな目、そして、青と白のボーダーのTシャツにチノパンというファッションセンスはあの頃のままだ。

「悪いね、出てきてもらって」

 彼はいま、隣の県の寮で生活している。だが今日は「せっかくですから」と、都内にある母校のカフェを提案してくれた。私の会社が母校に近いことを、慮ってくれたのだろう。

「めちゃくちゃびっくりしましたよ。夜勤明けで寝ていたら、いきなり電話かかってきて『好きな警察小説はなんだ』なんて言われて……」

 あと一人、どうにか本を読む警察官を見つけられないか……。八方塞がりの状況に頭を抱えていた時、ふと大学卒業後に警察官の道を選んだ後輩の存在を思い出した。灯台下暗しとはこのことだとすぐに携帯に電話すると、彼は快く取材に応じてくれた。

「夜勤ってのは……」

「俺、今交番勤務なんですよ。ちなみに今日も夜勤明けです」

 にやっと笑う彼に、ますます申し訳ない思いが募る。早めに帰してあげようと、早速好きな小説を尋ねた。

「すごく悩みました。葉真中顕さんの『ロスト・ケア』(光文社、二〇一三年刊行)とかも大事な一冊なんですけど、今日は濱嘉之さんの『完全黙秘』(文春文庫、二〇一一年刊行)を持ってきました」

『完全黙秘』は濱嘉之氏の「警視庁公安部・青山望シリーズ」の第一作である。時の財務大臣を刺殺した犯人は、大人しく逮捕されるもその後の取り調べで完全黙秘を貫き、名前すら把握できないまま起訴される。犯人の正体、そして背後に潜む巨悪を暴き出すべく、警視庁公安部の青山望を中心とした捜査員たちが奮闘する物語である。

 またも飛び出した〈公安〉という言葉に、思わず「やっぱり」と声が出る。すると彼は「他の方もそうなんですね」と納得した表情を見せた。

「たぶんなんですけど、公安がテーマだと、俺たちもどこが嘘か気づけないんですよ。粗探ししないで済むというか……。安心して楽しめるんじゃないですかね」

 私たちが刑事小説を読む感覚を、彼らは公安小説で味わっているということなのかもしれない。

「特に、著者の濱さんはもともと警察官で、しかも実際にハム(註:公安を意味する隠語)にいたから内容が信頼できるんですよね。俺たちも『あそこってこうなのかな』って夢を見させてもらえます。あっでもね……」

 レモネードに添えられた鮮やかな色のレモンをしゃぶるのをやめて、彼はずいっと前のめりに語りだす。

「この作品の最大の魅力は、普通に物語としても楽しいところだと思うんです。主人公はとにかくなんでもできちゃうスーパーマン。頭の回転が速くて、捜査官の中でも頭一つ抜けた存在なんですけど、知識の幅も広くて、ワインとか芸術とかにも詳しい。食事のシーンでは、それにまつわる蘊蓄を披露してくれます。実際にこんなのがいたら相当面倒くさいと思いますけどね。でも意外とその知識が勉強になったりして、読んでいて楽しいんですよ」

 これまでの取材で、初めて読書観に共感した瞬間だった。思えば「読書が楽しい」という言葉を聞くのは久しぶりだ。

「本を読むのが楽しいって言ってくれてなんか安心したよ。正直、読書好きの警察官っていうのが全然見つからなくてさ……。やっぱり今の時代に読書する人って少ないんだなって痛感したよ」

 つい本音が漏れる。そしてふと、これまで聞いた人たちの間で読書があまり娯楽として語られてこなかったことにも気づいた。彼らの口から聞かれたのは「娯楽」ではなく、「モチベーション」という言葉だった。

「やっぱり、警察小説を読むのは日々の職務のモチベーションになったりするの?」

「モチベーション、ですかぁ……」

 彼はひとしきり考えこむ。

「うーん、俺の場合はあくまで趣味の域……ですね、うーん」

 そしてなにか納得したように頷き、爛々と輝く瞳をこちらに向けた。

「だって、制服着て交番に立っていると遠くから小学生が手を振ってくれたり、自転車でパトロールしていると地元の人が声をかけてくれたりするんですよ。『頑張ってね』とか、『いつもご苦労様』とか。もちろん、交番にはいろんな人が来るけれど、そういう一つ一つの言葉が胸に刺さるというか、力が漲ってくるというか。小説の中の世界よりも、現実に目の前にいる人たちの存在のほうが、俺にとってはよほどモチベーションになりますね」

 ちょっとかっこつけちゃったかな、と彼は照れ臭そうにまたレモンを齧る。

「でも本は昔も今も大好きですから。息抜きとして、楽しんでいます。だから面白い本、いっぱい作ってくださいね」

 メモを取っていた手が止まる。学生たちの楽し気な笑い声が耳に飛び込んできた。

新潮社 小説新潮
2020年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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