2度の否決をめぐる謎の解明に向けて 『大阪の選択――なぜ都構想は再び否決されたのか』試し読み

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「大阪都構想」を問う住民投票は,なぜ2度も反対多数になったのか――。大阪市民の選択の理由を詳細なデータから明らかにした一冊『大阪の選択――なぜ都構想は再び否決されたのか』(善教将大 著, 有斐閣)の序文を公開します。

序章 2度の否決をめぐる謎の解明に向けて

投票日前のなんばパークス
 2020年10月31日午後7時。明日が2度目の住民投票の投票日だからだろうか,維新の街宣車が停まっているなんばパークスの交差点には人だかりができていた。大阪維新の会代表の松井一郎は街宣車の上で,二重行政の無駄を廃止するための大阪都構想の必要性を訴えていた。一部の反対派の乱入もあったが,その場は松井を応援するムードに包まれていた。
 街頭演説の恒例行事となっていた質疑応答の冒頭で,街宣車の前にいた男性が手を挙げ,発言した。

 「松井市長に仰っていただきたいのは,都構想が成立しなかったらやめられるってことじゃなくて,都構想が成立した際は,松井一郎は成功するまで大阪市民と一緒に今までどおり体を張って頑張っていきます,だから信用してください,そういう言葉がほしいんです」

 ここは維新にとって最後のひと押しの場だ。今の松井は信用されていない。だからそのための言葉がほしい。質問した男性にはそういう想いがあったのかもしれない。
 維新の街宣車から向かって左手に,グレーのパーカーを着た男性がいた。2人の子どもと生まれたての赤子を抱えた女性のそばにいたその男性は,松井に質問したいことがあったのか,質疑応答が始まった直後から手を挙げ続け,ときには両手をふり飛び跳ねるなど,当ててもらおうと躍起になっていた。
 見かねたある女性が「松井さん,この人さっきから手を挙げ続けとるよ!」と声をかけ,松井はようやくその男性に気づいた。これからしようとする質問の内容が批判めいたものだったからだろうか,その男性の面持ちはややこわばっていた。

 「広域調整を行うときに人と人との関係と仰っているのですが,政党で意思決定を縛っているから広域調整できていると考えています。市長と府知事だけではなく,当然,議会の同意も必要です。維新という政党でまとまっているから府市間調整が行えているのです。大阪府と市を1つにまとめるときに政党でまとめているのが現状だと思います。明日,維新がなくなるとかならわかります。でもそれは想像できない。なぜ大阪市を廃止しなければならないのか。わからないのです」

 もしかしたら明日,大阪市は廃止されるかもしれない。それは本当に正しい選択なのか。都構想が大阪府市間の調整問題という難問を放置し続けた政治の機能不全に起因するのであれば,政党を,つまり政治を機能させるための条件に目を向けるべきではないか。この男性の質問には,そのような想いが垣間見られた。

再度の都構想否決という謎
 2020年11月1日午後10時50分頃,反対票が賛成票を上回ることが確実という速報が一斉に打たれた。住民投票の結果はこの速報どおり,賛成67万5829票(49.4%),反対69万2996票(50.6%)となった。2015年に引き続き,僅差での都構想否決だった。
 速報が打たれた直後の記者会見で松井は,市長任期をまっとうしたあとに,政界を引退する意向を表明した。同時に,日本維新の会の代表は当面継続するものの,大阪維新の会の代表については辞任する意向を表明した。現在,大阪維新の会の代表は,松井とともに維新を牽引してきた吉村洋文大阪府知事となっている。
 2020年の住民投票の結果は,2015年のそれと同じく僅差での反対多数である。そのためだろうか,「どうせ同じことが繰り返されただけだ」という声を耳にすることもある。たしかに結果はかなり似ている。しかし2015年と2020年の住民投票の間には,その過程や内容において天と地ほどの差があった。
 2015年の特別区設置住民投票を振り返ろう。このときは,都構想を推進する維新とそれに反対する反維新という対立構図だった。公明党は住民投票の実施には賛成したものの,都構想にはあくまで反対だった。維新以外の政党や政治家は「都構想反対」という御旗の下,一般市民も巻き込みながら一丸となって維新に抵抗した。住民投票の投開票前の世論調査でも反対が優勢だった。その状況下で維新は猛追を見せるが,最後の最後で大阪市民は踏みとどまった。
 しかし2020年の住民投票の構図は,2015年のそれと大きく異なっていた。まず,2019年の大阪市長・府知事クロス選で維新が圧勝したことを受け,公明党は都構想に賛成する方向へと舵を切った。さらに一部の自民党の府議も,都構想に賛成する意向を表明し,最終的には反対へと一本化されたものの,自民党大阪府連は一枚岩になりきれない状態だった。政治的な決着はついており,残すは大阪市民からの賛同を得るのみだった。
 では,肝心の民意はどうか。じつは,2度目の住民投票の実施が確定した直後,大阪市民の多数は都構想に賛成する意向を表明していた。住民投票の実施が確定した時期に行われたどの世論調査の結果も,賛成が反対を上回っていた。コロナ禍で吉村が評価を高めたことも,賛成多数への後押しになると見られていた。住民投票の実施が確定した9月上旬は,住民投票を実施することに対しても,否定的な意見は相対的には少なかった。
 維新のリベンジに向けての舞台装置は完全に整っていた。反対派の議員や市民の中にも,さすがに今度は賛成多数になると諦めていた人はいた。そう思ってしまうほど,賛成派が当初は圧倒していた。
 2度にわたる反対多数という結果をどう理解し,説明すればよいのか。改めて指摘するまでもなく,維新は大阪で多数の有権者に支持されている。それは住民投票後においても大きくは変わらない。維新の強い大阪で行われ,さらに圧倒的優勢という状況だったにもかかわらず,住民投票の結果は反対多数になったのである。
 住民投票後,多くの論者や識者が反対多数になった理由を説明した。そこでは,反対運動の成果だ,メディアのネガティブ・キャンペーンだなど,さまざまな理由があげられている。しかし,その多くは十分な根拠にもとづくものではない。くわえて,序盤の賛成優勢から中盤の賛否拮抗へ,そして終盤の賛否逆転という一連の推移を踏まえた説明にもなっていない。
 なぜ,再び都構想は否決されたのか。本書は,この依然として未解明の謎(puzzle)の解明を主たる目的とするものである。

維新政治をめぐる世論を解明する
 ある登山家は,なぜエベレストに登りたかったのかと問われたときに「Because it’s there(そこにそれがあるからさ)」と答えたそうだ。そこに知的好奇心を揺さぶる未解明の謎があれば,それを解明したいと思うのは世の常だろう。
 住民投票には多くの謎がある。なぜ住民投票の序盤では賛成優位だったのか。なぜ賛成優位から賛否拮抗へと世論は推移したのか。なぜ終盤で賛否が逆転したのか。再度の都構想否決という謎を解明するには,これらの謎の1つ1つを丁寧にひもといていく必要がある。本書では第II部で,住民投票が再度の否決に至ったメカニズムを解明する。
 もっとも,住民投票だけを見ればいいわけではない。そこに至るまでの背景事情にも十分に目配りしなければ,大阪市民の政治選択のメカニズムを,さらにいえば日本の地方政治が抱える構造的問題を理解することはできない。本書の第I部では,住民投票「前夜」として,2度目の住民投票に至った背景を分析する。
 さらに本書では,住民投票後の大阪に残された課題も議論する。約10年大阪で続いてきた維新政治は,大阪の政治や社会にさまざまな影響を及ぼした。その中には肯定的に評価できる点もあれば,批判的に検討しなければならないものもある。では,それは何か。本書の第III部では,住民投票後の大阪が抱える課題を指摘する。
 この本の下敷きとなっている筆者の前著についても簡単に紹介しておこう。筆者は2011年頃に,ひょんなきっかけで維新支持の分析を始めることになった。それから10年近く,意識調査を継続的に実施し,分析結果を学会報告や学術論文としてまとめ,公表し続けている。2018年に上梓した『維新支持の分析衽衲ポピュリズムか,有権者の合理性か』(有斐閣)は,筆者の2017年までに行った調査結果にもとづきつつ,大阪で維新が支持されるメカニズムと2015年の住民投票で反対多数になった原因の解明を試みたものだ。
 前著の理論枠組みや問題意識は本書にも受け継がれている。たとえば前著で筆者は,有権者の意思決定のメカニズムを(限定)合理的に捉える立場から分析した。本書でも,基本的には同様の枠組みで有権者の意思決定過程を分析している。その意味で本書で説明する維新支持の特徴や論理に関する説明は,前著のそれと大きく異なるものではない。
 以上を前提としつつ,しかし本書は,前著の議論を単純に繰り返すものでは決してない。本書は前著で十分に議論できていなかった多くの点をカバーしたものとなっているし,主張は同じでも前著で使用していない意識調査を用いたり,異なる分析視角から前著の分析結果の妥当性を再検証したりしている。前著とあわせて本書を読むことで,維新をめぐる世論への理解は一層深まるだろう。

データ分析の面白さ
 本書の最大の特徴は,可能な限り数量的なデータを用いた分析にこだわる姿勢だ。データ分析にはさまざまな利点がある。よく語られるのは客観性がある,中立的な結果を得ることができるといった点だろう。数量的な分析結果が唯一無二の「正しい」実態を伝えるわけではないが,現時点でもっともありうる解答を推論するうえで,計量分析が強みをもつことは間違いない。くわえて筆者は,データを用いた数量的な分析は,ものの見方の幅を広げてくれるとも考えている。私たちに見えている世界の幅は存外狭い。狭い視野の中で考えごとをすると,どうしても新しい発想が生まれにくくなる。自分の考えが「正しい」ものにしか見えず,自分とは違う発想を拒絶してしまう危険性もある。
 データ分析の結果は,しばしば分析者の意図を裏切る。しかしそれは悪いことではない。自身の凝り固まった思考を解きほぐし,その幅を広げるきっかけになるからだ。自分を変えるきっかけを与えてくれるところにも,データ分析の意義はある。
 本書は,その意味で淡々とデータ分析の結果を羅列するものではない。通説として何が語られているのか,それは分析結果と整合するのかといった地道な検証作業を積み重ねながら,自分に見える世界の幅を少しずつ広げていく。そのような本となるように,議論の展開などにさまざまな工夫を施している。新たな事実を発見する面白さや,自身の見方の幅が広がっていく喜びが,読者のみなさんに少しでも伝わればと思う。
 なお,本書では「箸休め」となるColumnもいくつか用意している。維新を支持する人の生の声,コロナ禍の選挙管理,世論調査方法論をめぐる課題など,本論で扱えなかった内容の一部をここで紹介している。ぜひColumnにも目を通していただきたい。

意識調査の概略
 本書で用いる意識調査の概略について説明しておこう。本書では主に2つの意識調査を用いて大阪市民の政治意識や行動を分析している。第1は2019年大阪市長・府知事クロス選後に実施した意識調査である。第2は2020年の住民投票前後に実施した意識調査である。ともに,株式会社楽天インサイトのモニターに登録している大阪市在住の,18歳以上79歳以下男女を対象としており,関西学院大学「人を対象とする行動学系研究倫理委員会」の承認を受けて実施したものである(承認番号2019-01,2020-43)。
 2019年に実施した調査は2019年5月17日から23日にかけて,Qualtrics(クアルトリクス)という意識調査を補助するシステムを用いて,オンライン上で実施した。有効回答者数は1415人である。性別(男性/女性)と年齢構成(20代以下/30代/40代/50代/60代以上)を,国勢調査のそれと一致するように調整しながら回答を回収した。本書ではこの調査を2019調査と呼ぶ。2020年に実施した調査はパネル調査である。パネル調査とは,同じ人に継続して実施する調査をいう。本書ではこれを2020調査(前)と2020調査(後)と呼ぶ。
 2020調査(前)は,2020年10月5日から7日にかけて,2020調査(後)は2020年11月2日から6日にかけて,Qualtricsを用いてオンライン上で実施した。有効回答者数は,2020調査(前)が2703人,2020調査(後)が2100人である(脱落率:22.3%)。なお,2019調査と同様に,性別と年齢構成が国勢調査のそれと一致するように調整しながら回答を回収している。
 これら2つの意識調査の回答者は,選挙人名簿などから無作為抽出されたものではない。また,性別と年齢の分布についても,国勢調査と若干のズレが生じていた。そのため傾向スコア(厳密にはエントロピーバランシングスコア)を用いて補正することで,結果の妥当性を向上させることにした。スコアを作成する際に用いた変数は,性別(男性/女性),年齢(18-29歳/30-39歳/40-49歳/50-59歳/60-69歳/70歳以上),大阪市長選での投票行動(松井/柳本/棄権・その他)である。

(続きは本書でお楽しみください)

有斐閣
2022年1月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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