不登校の子ども、路上の人々と「一緒にいる」「つながる」ことが支援になる 『伴走型支援 — 新しい支援と社会のカタチ』試し読み

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困窮や孤立,今日的なニーズへの支援として「伴走型支援」への期待が高まっています。この支援を通して社会はどのように変わるのでしょうか。10名のパイオニアが実践や研究の中から紡ぎ出す貴重なメッセージから,その概念や方法,課題や可能性について多面的に考える一冊『伴走型支援』(奥田知志・原田正樹 編,有斐閣)の第I部 第1章 第1節を公開します。

第I部 伴走型支援を考える

第1章 伴走型支援の理念と価値 奥田知志

第1節 伴走への気づき

 私が「伴走型支援」を強く意識し始めたのは,2000年5月の「西鉄バスジャック事件」がきっかけでした。1988年12月から始まった北九州におけるホームレス支援は,そのときすでに12年目に入っていました。訪ね出会うことから始まり,相談,そして自立。多くの人々が新しい人生を切り拓いていかれます。
 ですが一方で10年間以上,弁当を渡し声をかけ続けているにもかかわらず,一歩が踏み出せないでいる人がおられました。「すぐには,問題解決できない」という現実に,私たちは「焦り」を感じていました。スタッフからは「これ以上お弁当を渡す意味はあるのか」という声も聞かれるようになり,支援の意味が問われていました。「自立に向かう良いホームレス」と「立ち上がろうとしない悪いホームレス」という分断が支援者の中にさえ生じ始めたそのとき,あの事件が起きたのです。
 17歳の男子高校生が長距離バスを乗っ取り1人を殺害,2人に重傷を負わせたこの事件は,社会に大きな衝撃を与えました。彼は中学時代にいじめに遭い,不登校となります。高校に進学するも,通学は難しい。密かに「母校」の襲撃を計画します。実行直前に両親が気づき,国立の精神科病院に入院することになりました。
 5月の大型連休に,外泊許可を得て自宅に戻った彼は,バスジャックを決行しました。結果,死亡者1名,負傷者2名を出すことになりました。 母親が入院を手配してくれた大学教授に宛てた手紙が,事件後,新聞に公開されました。手紙を読んだ日の衝撃は今も忘れられません。

 いじめが原因で中学3年の夏頃より荒れ始め,まるっきり違う人格のようになり家庭内暴力になって何か違う方向へ行く危険性もあり不安でした。親が気づいても,病院の受診がない,診療したことがないからと断られる。医師,児童相談所,教育センター,教育相談所などいろいろ回りましたが,動いてくださる先生は1 人もいらっしゃらない。入院して20日余り,まじめでお利口さんを装っているとのこと。何を考えているのか,大きな不安に包まれています。入院当日,覚えていろよ,ただではおかないからなという言葉が忘れられません。心が開かれていない状態で退院となれば,今まで以上に暴力がひどくなるのではと不安です。心の闇がもっと広がるような気もします。このまま自分を閉じ込めた闇の中で一生終わってほしくはありません。しかし,一筋縄ではいかない強さももっていて,繊細で,敏感で,私たちの行動を見抜いて動いているようなところもあります。入院先の先生にお任せするしかありませんが,退院後の不安が強すぎて力がわいてこないのです。

 実は,私も不登校の子どもの親でした。ですからこの母親の言葉に,今も胸が痛みます。「今まで以上に暴力がひどくなるのでは」との母親の心配は現実のものとなりました。
 手紙の中で私がもっとも注目したのは,「親が気づいても,病院の受診がない,診療したことがないからと断られる。医師,児童相談所,教育センター,教育相談所などいろいろ回りましたが,動いてくださる先生は1 人もいらっしゃらない」の部分でした。かつての「いろいろ回っていた」自分を思い出します。一方で,この言葉に違和感も抱きました。
 とくに「動いてくださる先生は1 人もいらっしゃらない」の部分です。不登校児の親であった私が求めていたものとは違うと感じたからです。私が当時求めていたのは,「動いてくださる先生」ではありませんでした。「治してくださる」あるいは「問題を解決してくださる先生」でした。腕のいいカウンセラーはいないか? 精神科医は? 特効薬は? と,私たち親子は彷徨っていたのでした。それは親である私の正直な気持ちだったと思います。
 ですが,この母親は「動いてくださる先生」と書いた。なぜなのか。数年間に及ぶ息子との葛藤の中で母親は気づいていたのだと思います。「一筋縄ではいかない」ことを。だから彼女は,「動いてくださる先生」を求めた。本音は「治してくれる先生」だったと思います。しかし,それは,にわかには見つからない。だったら「とにもかくにも一緒に右往左往してくれる人」「一緒に喜び,一緒に泣き,一緒に悔しがってくれる人」が彼女は必要だと感じていたのです。
 「問題解決」をあきらめていたとは思えません。それが容易ではないことを彼女は知っていたのです。だから彼女は「伴走者」を求めたのだと私は考えました。実際にこのお母さんとお会いしたことはありませんから,どんな思いであの手紙を書かれたのかはわかりません。でも「一筋縄ではいかない」不登校の息子とやはり「一筋縄ではいかない」路上の人々と向き合っていた当時の私に,あの言葉は強烈に迫ってきたのでした。
 「動いてくれる」──それならば私にもできる。実に単純にあの手紙に応えようと思いました。もしあの言葉が「治してくれる先生」や「問題解決をしてくれる専門家」だったなら,私は「断る理由」をもてたと思います。なぜなら私は「専門家」ではないからです。しかし,「動いてくれる人」と言われたら,もはや断る理由はありません。「一緒にいる」「つながる」,それで支援になるのなら,もはや「断る」ことはできないと考えたのでした。さらに「誰でも支援者になれる」という漠とした希望を私は得たと思いました。伴走型支援のイメージが明確になったときでした。
 私たちは,常に「断る理由」を考えてきたと思います。自業自得と言い切る「自己責任論」はその最たるものといえます。そこまでの冷たさはなくても「相談を引き受けたら問題を解決しなければならない」というプレッシャーが,足をすくませていたのも事実だと思います。しかし,「一緒にいること」「つながること」が助けとなるのなら,私たちにできることはまだまだある。早々に「問題解決」とならなくても「やれること」はある。母親の手紙は,私にそのことを教えてくれたのです。

第2節  経済的困窮と社会的孤立── ハウスとホームは違う

 NPO 法人抱樸の活動は,炊き出しから始まりました。33年後の現在も続く基本活動です。始めるにあたり私たちは「なぜ炊き出しをするのか」を議論しました。食べることもままならない路上の人々に食料を配る。「いのちを守るため」。答えは単純でした。多くの人はそう考えると思います。しかし週に一度,弁当を配って「いのちを守る」は正直言い過ぎだと思います。もし,その理由なら毎日活動すべきです。
 議論の末,1つの結論にたどり着きました。「友だちの家を訪ねるとき,手土産ぐらい持っていくだろう」。それが炊き出しを行う理由でした。「食の提供」以上に「つながりを創ること」「友だちになること」が重要だと考えたのです。これは子ども食堂も同じだと思います。「いのちを守る」と同時に「ここには信頼できる大人がいる。いざというときにはここにおいで」という「つながり」を提供しているのだと思います。
 とはいえ「つながり」だけでは問題解決は難しいのも事実です。それで,活動開始3年目。路上生活者の「困窮」を「家がないこと」と「仕事(お金)がないこと」だと捉えていた私たちは,居住支援と就労支援を始めました。
 最初にアパートに入居されたのは70代の男性で,高齢でもあり生活保護を受給することができました。私たちは「問題解決,支援終了」と,次の方の支援へと進んでいきました。
 ところが数カ月後,「部屋から異臭がする」との連絡が入ります。慌てて訪ねると,ライフラインはすでに止まっており,部屋はゴミ屋敷状態。「亡くなっているかもしれない」と最悪の事態を想定しつつ部屋に入ります。ゴミの中で横たわるその人を発見。声をかけると彼は何事もなかったように起き上がりました。「生きてた」と安堵しつつも「なぜ,こんなことになったのか。自立支援はうまくいったはずだ」と自問していました。
 そこには2つの要因があると私たちは考えました。1つは「個人的要因」です。彼には何らかの障害があったか,あるいは生活自立の経験がなかったということです。現在の抱樸ならば,アセスメントにおいてそれらの課題を見出せたと思います。しかし30年前,力量不足は否めません。
 もう1つの要因は「社会的要因」です。つまり,入居後,誰も訪ねていかなかったということです。彼は,社会との「つながり」をもてずにいたのです。つまり,自立が孤立に終わっていたのでした。
 私たちは,とくに「社会的要因」の重要性に着目しました。「つながり」の必要性が明確に示されている事象だと考えたのです。「つながり」こそが,私たちに「意欲」や「行動の動機」を与えます。それが欠落し,ゴミ屋敷になった。
 つまり,私たちはいつ掃除をするのか,あるいはなぜ掃除をするのかということです。「衛生上の理由」といいたいですが,実はそれだけではありません。私のような「怠け者」の場合はとくにそうです。私は,誰かが訪ねてくれるとわかったとき,まじめに掃除をします。さすがに「恥ずかしい」という気持ち,あるいは「訪ねてくれる友人に対する心遣い」が働くからです。いずれにしても「他者の存在」が私に行動の動機を与えるのです。「自分のため」のみならず,「誰かのため」に掃除をするということです。長年野宿生活を続けてこられたこの方にとっては,ゴミの中で寝るほうが「日常だった」といえます。しかし,この日常に変化をもたらすものは何か。それが「他者との出会い」であり「つながり」なのだと考えました。
 「人は何のために働くのか」。一般的には「食べるため」「お金のため」といいます。これは自分自身の必要性,つまり「内発的な動機」による行為です。当事者の主体性を考えるとき,これは何よりも重要です。しかし,本人が「どうでもいい」と思った時点でそれは終わってしまいます。私は,「諦念」の中にたたずむ路上の人を大勢見てきました。そういう人がもう一度立ち上がるためには,居住や就労の支援に加え「私はあなたを応援している。一緒に頑張ろう」と呼びかける他者の存在が必要だったのです。「誰のために働くか」という問いとその答えをもつこと。「あの人が応援してくれるから」「愛する人のためだから」,これら「外発的な動機」をもつ人は踏ん張ることができます。
 路上では「畳の上で死にたい」と言っていた方がアパートに入居されます。でも「これで安心」とはなりません。「俺の最期は誰が看取ってくれるだろうか」。それが残された課題でした。就職も決まり,生活も落ち着いた。その姿は隔世の感さえあります。しかし,部屋の中にポツンと独りたたずむ姿は,路上のあの日と何も変わらない。何が解決して,何が解決していないか。私たちは問われていました。
 「問題解決型支援」の場合,「問題が解決した時点」で支援は終了します。しかし,解決していないもう1つの現実がある。「誰が……」の問いに答えがないということです。つまり「自立が孤立に終わる」ことが問題でした。自立しても最悪「孤立死」が待っている。それが「困窮孤立状態」にある人が抱える危機でした。私たちは,具体的な問題解決のために「この人には何が必要か」を模索しつつ,同時に「この人には誰が必要か」を考え続けました。「何が」と「誰が」を同時に解決する仕組みが必要だったのです。
 私たちは,「経済的困窮」を「ハウスレス」と呼び,「社会的孤立」を「ホームレス」と呼ぶようにしました。ハウスとホームは違うのです。これが抱樸の活動すべてに共通する認識であり,伴走型支援の基本的視点です。
 この視点に気づかせてくれたのはホームレス当事者でした。その方は,日々中学生から襲撃を受けていました。彼は「何とかしてほしい」と訴えつつも次のように語られたのです。「真夜中にホームレスを襲いに来る中学生は,家があっても帰るところがないんじゃないか。親はいても誰からも心配されていないんじゃないか。俺はホームレスだからその気持ちはわかるけどな」と。中学生は家に住んでいるのだから「ハウスレス」ではありません。しかし「帰るところがない」「心配してくれる人がいない」のなら「ホームレスだ」と彼は言ったのです。
 この襲撃事件から30年が過ぎました。残念ながら「社会が路上に追いついた」というのが私の実感です。格差や貧困が常態化し,同時に社会的孤立が広がりました。支援活動も拡充し野宿者数は減少していますが,「ホームレス(社会的孤立者)」は増えていると思います。そんな時代の変遷の中で生まれたのが伴走型支援でした。

第3節 伴走型支援とは何か── つながることの創造性

 私たちは,そんな社会の必然の中で「つながること」に注目してきました。そして,そのことに重点を置く「伴走型支援」の必要性を訴えてきました。NPO 法人ホームレス支援全国ネットワークでは,2010年度から「伴走型支援士養成講座」を開催し,これまでに1000人を超える人が認定を受けられました。2021年度からは,「一般社団法人日本伴走型支援協会」が活動をはじめ「伴走型支援」の普及を推進します。
 以下に,伴走型支援とは何かについて,問題解決型支援との関係も含め,私の理解を紹介したいと思います。

●「つながり続ける」こと
 伴走型支援は,深刻化する「社会的孤立」に対応するために「つながり続けること」を目的とした支援として生まれました。ですから必ずしも「問題解決」を前提としていません。「問題を抱えながらもどっこい生きている」,そのため必要なこととして「つながる─ ひとりにしない」ことに着目したのです。伴走型支援は孤立状態にある個人に対する支援(対個人)であるとともに,「人を孤立させない地域社会の創造」(対社会)をめざす「社会活動」でもあります。

(続きは本書でお楽しみください。)

有斐閣
2022年1月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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